第十八話 根源律
——魔法学院 北棟 非常階段 昼休み
公証から二日が経った。
三人が踊り場に揃うのは、今では当たり前になっていた。
エルヴィンは毎日来る。
弁当も持ってくる。
セインはいつも先に来ている。
私は最後に来ることが多い。
今日もそうだった。
二人がすでに座っていた。
セインが弁当を食べていた。
エルヴィンが何か考えながら窓の外を見ていた。
私は向かいに座り、ノートを開いた。
ページの隅に、三日前から書き続けている問いがある。
「世界の底の未名エネルギー——この世界の言葉で、正確な名称を決める必要がある。」
まだ答えが出ていない。
◆ ◆ ◆
「公証の件、協会に動きはあったか。」
エルヴィンが言った。
「まだない。記録が処理されるまで数日かかる。クロイツが知るのはその後だ。」
「……そうか。」
セインが箸を止めた。
「クロイツが知った後、どう動くと思う。」
「三つの可能性がある。」私は言った。
「一、無視する。私が先にいるという事実を受け入れて、別のアプローチを探す。二、接触してくる。今度はもっと直接的に。三、圧力をかける。学院やアストラ家を通じて。」
「一番可能性が高いのは。」
「二だ。クロイツは完成を求めている。私が持っているものを手に入れようとする。」
「……来たらどうする。」セインが言った。
「会う。話を聞く。渡さない。」
エルヴィンが少し笑った。「簡単に言うな。」
「簡単ではない。でも手順はそれだけだ。」
◆ ◆ ◆
しばらく沈黙が続いた。
私はノートの問いを見ていた。
「名前か。」セインが言った。
顔を上げると、セインがこちらのノートを覗いていた。
「……読むな。」
「見えた。『未名エネルギー』って書いてある。まだ決まってないのか。」
「決まっていない。」
「どんな名前を考えてるんだ。」
「それが分からないから考えている。」
エルヴィンが興味を持ったように身を乗り出した。「どんなエネルギーなんだ。」
「大気の魔法素より深い層にある。世界の構造そのものに刻まれている。術者の魔力回路とは無関係に存在する。あらゆる魔法の、根本にある何かだ。」
「根本。」
エルヴィンが繰り返した。
「そうだ。魔法素は表面だ。術式は書き換えだ。でもその書き換えが可能な理由——世界がそもそも書き換えられる構造を持っている理由——それを支えているのが、このエネルギーだ。」
◆ ◆ ◆
「世界の法則みたいなものか。」
セインが言った。
「近い。でも法則そのものではない。法則を成立させている、もっと根本にある何かだ。」
「……基礎、みたいな。」
「基礎。」
私はその言葉を少し考えた。
「建物で言えば、基礎の下の地盤だ。基礎すら支えているもの。」
「地盤ならば、律でどうだ。」
エルヴィンが言った。
「法律の律じゃなく——物事の根本にある理の律。この国の古語では、世界の理を『律』と呼ぶことがある。」
私は少し止まった。
律。
——世界の底にある、あらゆる存在の根本を支えるもの。
魔法素より深い。
術式より根本。
世界が世界であるための、最も深い層。
「根源律。」私は言った。
二人が黙った。
「根源の律——あらゆる魔法の根本を支えるエネルギー。この世界の言葉で、意味が通る。」
◆ ◆ ◆
ノートを開いた。
「根源律:世界の構造そのものの底に存在するエネルギー。大気魔力・魔法素より深い層に位置し、あらゆる魔法現象の根本を支える。術者の魔力回路に依存しない。無属性術者のみが直接接触・変換できる可能性がある。正式命名:本日。」
書き終えた。
ペンを置いた。
——「根源律」——この世界の言葉で生まれた名前だ。
「それでいいのか。」セインが言った。
「いい。」
「あっさりしてるな。」
「名前は記号だ。意味が正確で、この世界の言語で通じれば十分だ。」
「……お前らしい。」セインが少し笑った。
◆ ◆ ◆
「一つ確認する。」
エルヴィンが言った。
「根源律が名前を持ったことで、何が変わる。」
「説明できるようになる。」
私は答えた。
「名前がなければ、人に伝えるたびに一から説明しなければならない。名前があれば——概念として扱える。理論書に書ける。他の術者が学べる。」
「いつか発表するつもりか。」
「条件が揃えば。今はまだ早い。」
エルヴィンが頷いた。
「でも——」
私は続けた。
「名前をつけたということは、この世界に実在するものとして認めたということだ。私の理論の中だけにあるものではなく、この世界の構造そのものに属するものとして。」
二人が黙った。
「根源律か。」
セインがもう一度呟いた。
「なんか——でかい名前だな。」
「実態がそうだから。」
「そのわりに、お前はあっさり使ってるよな。」
「慣れた。」
セインが呆れたように息を吐いた。エルヴィンが小さく笑った。
◆ ◆ ◆
昼休みの鐘が鳴った。
三人が立ち上がった。
「根源律の名前、公証書類に追記できるか。」
エルヴィンが聞いた。
「追記申請をすれば可能だ。近いうちに行く。」
「また馬車を手配する。」
「……ありがとう。」
エルヴィンが少し止まった。
「また礼を言った。」
「必要な時には言う。」
「そうだったな。」
エルヴィンが歩き出した。
セインが最後に立ち上がった。
階段を下りながら言った。
「根源律。……悪くない名前だ。」
振り返らずに言った。褒め言葉なのかどうか、背中からは分からなかった。
——でも悪くない、と言った。
ノートを閉じた。
根源律。
この世界に、名前が一つ生まれた。




