第十七話 記録に刻む
——王都 王立魔法協会 公証受付窓口 午後
学院から協会本部まで、馬車で約四十分だ。
エルヴィンが手配した。
「父の商会の馬車を使う。目立たない方がいい」と言った。
判断は正しい。私は同意した。
馬車の中、二人とも黙っていた。
エルヴィンがノートを手に持ったまま、窓の外を見ていた。
私は頭の中で申請の手順を確認していた。
公証の申請に必要なもの:術式の記述書類。日付の証明。保証人の署名。申請者の身分証明。——全部揃っている。
「一つ確認する。」
エルヴィンが窓を向いたまま言った。
「窓口で何を聞かれても、私には答えさせるな。お前が全部答えろ。」
「なぜ。」
「私が答えると、内容より家名の方に注意が向く。お前が答えた方が、中身を見てもらえる。」
——正しい判断だ。
「分かった。」
◆ ◆ ◆
王立魔法協会の本部は、王都の中心部にある石造りの大きな建物だ。
正面入口ではなく、東側の公証受付窓口へ向かった。
一般市民向けの入口だ。
貴族が使う入口ではない。エルヴィンの判断だった。
受付には三つの窓口があった。
二つは他の申請者が並んでいた。
一番端の窓口が空いていた。
担当者は四十代の男性だった。
書類を整理していた手が、私たちを見て止まった。
——十歳の子どもと、若い貴族の少年。
組み合わせとして珍しい。
「公証の申請をしたい。」私は言った。
担当者が少し間を置いた。
「……申請者はどちらですか。」
「私です。グラウ・ルナ。魔法学院一年。」
「保証人は。」
エルヴィンが一歩前に出た。
「エルヴィン・アストラ。アストラ商会の息子です。」
担当者の表情が少し変わった。
アストラの名前は、この街では通る。
「内容を確認します。どのような術式の公証ですか。」
◆ ◆ ◆
私は書類を出した。
術式の記述——外部エネルギー変換式の理論的証明と実装記録。
第四公理の反証を含む数学的証明。
実証実験の記録。
日付は三日前から今日まで、段階的に記されている。
担当者が書類を受け取った。
読み始めた。
最初の一ページで、手が止まった。
「……これは、」担当者が顔を上げた。
「第四公理の反証、ですか。」
「そうです。」
「これを書いたのは——あなたが。」
「そうです。」
担当者が私を見た。
十歳の子どもを、改めて見直すような目だった。
——疑っている。当然だ。
でも公証の仕事は内容の真偽を判断することではない。記録として残すことだ。
「公証の役割は、申請内容の正確さを保証することではなく、申請された内容と日付を記録として確定することです。」私は言った。
「真偽の判断は後でいい。記録だけを残してほしい。」
担当者が少し黙った。
「……正しい理解です。」
◆ ◆ ◆
書類の確認が続いた。
二ページ目。三ページ目。担当者のペンが、余白に何かを書き留めている。
五ページ目で、担当者が顔を上げた。
「この術式——実際に機能することを確認していますか。」
「はい。実証実験の記録は七ページ目から十二ページ目に記述しています。」
「出力の確認方法は。」
「蒼白い炎の生成と持続時間の測定。消費魔力量の測定。外部エネルギーの変換効率の計算。全て記録してあります。」
担当者が七ページ目を開いた。実証実験の記録を読んだ。
長い沈黙があった。
「……魔力消費が、ほぼゼロ。」
担当者が静かに言った。独り言のように。
「変換式経由の出力のため、術者の内部魔力はほとんど使いません。」
担当者が顔を上げた。
今度の目は、疑いではなかった。
——何か別のものだ。畏れに近い何かだ。
◆ ◆ ◆
「保証人の署名をいただけますか。」
担当者が言った。
エルヴィンが書類を受け取った。
ペンを取る前に、一度だけ私を見た。
何も言わなかった。
でも目が聞いていた。
——本当にいいか、と。
私は頷いた。
エルヴィンがペンを走らせた。
「エルヴィン・アストラ」という署名が、保証人欄に刻まれた。
担当者が書類を受け取り、奥の棚に向かった。
金属製の箱を出した。書類を入れた。
鍵をかけた。
「受理しました。公証番号は〇〇四七です。この番号で、いつでも記録の確認ができます。」
「ありがとうございます。」
「……一つだけ。」担当者が小声で言った。
「この内容は——特別研究部門の目に触れる可能性があります。申請記録は原則公開です。」
私は少し考えた。
「知っています。それが目的の一部です。」
担当者が何かを言いかけて、やめた。
◆ ◆ ◆
協会の建物を出た。
王都の午後の光が、石畳に白く落ちていた。
エルヴィンが隣に立っていた。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
「受理された。」エルヴィンが言った。
確認するように。
「そうだ。」
「クロイツが調べれば——私の名前が出る。」
「そうだ。」
「……後悔はない。」
エルヴィンが言った。
自分に言い聞かせるように。
でも声は安定していた。
私はノートを開いた。公証番号を書き留めた。
「公証番号〇〇四七。受理日:本日。内容:外部エネルギー変換式の理論的証明と実装記録。保証人:エルヴィン・アストラ。」
ノートを閉じた。
——盾が、完成した。
「帰るか。」
エルヴィンが言った。
「そうだな。」
馬車に向かって歩き始めた。石畳の上で、二人分の足音が重なった。
——観察結果:エルヴィン・アストラは署名した。迷った。でも署名した。
「後悔はない」——それは今日の言葉だ。明日も同じかどうかは、分からない。でも今日、彼は選んだ。
それで十分だ。
前世で学んだことがある。
証明は、完成した瞬間が全てだ。
その後どう使われるかは、また別の問題だ。
今日、一つの証明が完成した。
灰色の瞳が、王都の空を一度だけ見上げた。




