第十二話 観測される側
——魔法学院 図書館 朝
異変に気づいたのは、朝の図書館だった。
いつも通り開館直後に入り、禁忌術式の棚へ向かった。
先週借りた「質量変換術式の理論限界」を返却し、次の資料を探すためだ。
棚を見て、手が止まった。
——並びが、違う。
私は本の配置を記憶している。
前世からの習慣だ。
研究室の本棚は常に同じ順序で管理していた。
乱れがあれば気づく。
「魔力変換の基礎理論」が二冊ずれていた。
「外部エネルギー論の系譜」が逆向きに戻されていた。
司書の癖ではない——彼女はいつも背表紙を右に揃える。
誰かが、この棚を調べた。
閲覧記録簿を確認する。
司書に申請すれば誰でも見られる台帳だ。
直近一週間、この棚の閲覧者——私の名前が三回。
そして、もう一つ。
「特別閲覧:王立魔法協会承認番号〇〇七」
名前の記載はなかった。承認番号だけだ。
◆ ◆ ◆
——王立魔法協会の特別閲覧権限。
一般教師では持てない。
研究部門の上位職か、特別任命者だけが使える番号だ。
ノートに書き留めた。
「閲覧記録:協会承認〇〇七。閲覧棚:禁忌術式理論・外部エネルギー論。時期:先週火曜から木曜。仮説:学院外の研究者が、同じ領域を調べている。」
気配の一つ目だった。
◆ ◆ ◆
——魔法学院 魔法実技 午前
二時間目の授業中、ゼルム教師がいつもと違う話をした。
「今学期末に、王立魔法協会から視察が入る。特別研究部門の主任による巡回だ。優秀な術者の発掘が目的とされているが——」
そこで一瞬、言葉が止まった。
「諸君は通常通り授業を受けていればいい。」
——「通常通り」を強調した。自然な流れではなく、意図的な強調だった。
私はゼルム教師の表情を読んだ。
誇りではなく、緊張だ。
視察を歓迎していない。
上位の権力者が来ることへの、微妙な警戒感。
特別研究部門の主任。
ゼルムより上の立場。
そしてゼルムでさえ、微妙に緊張している。
ノートに追記した。
「気配②:学期末に協会特別研究部門の主任が視察。ゼルムに緊張の色あり。閲覧記録の承認番号との関連を要確認。」
◆ ◆ ◆
——魔法学院 北棟 非常階段 昼休み
セインがいつもの場所にいた。
私は向かいに座り、ノートを開いた。
今日は魔族研究の続きではなく、朝からの気配を整理するためだ。
「なんか変な顔してる。」セインが言った。
「考えている。」
「いつも考えてるだろ。」
「今日は別のことを考えている。」
セインが少し黙った。「……何があった。」
私は二つの気配を話した。
閲覧記録の不審な痕跡。
ゼルムの緊張。
セインは弁当を食べながら聞いていた。
途中で箸を止めた。
「王立魔法協会の特別研究部門——聞いたことがある。」
「何を。」
「闇属性の研究をしているという噂だ。学術的な研究ではなく——闇属性の魔力を『分解』して、他の属性術者が使える形に変換する研究、らしい。」
——魔力の分解と変換。
前世の記憶が動いた。
放射性物質の利用。
核燃料の再処理。
有用なエネルギーを取り出すために、危険な素材を「解体」する技術。
「闇属性の魔力を分解する」研究が、なぜ禁忌術式の理論書と外部エネルギー論に興味を持つのか。
繋がりが、見えた。
◆ ◆ ◆
「セイン。その研究の主任の名前を知っているか。」
「……オルヴァン・クロイツ、と聞いた。魔法協会の有名人だ。魔法理論の権威とされている。」
ノートにその名前を書いた。
「オルヴァン・クロイツ。特別研究部門主任。研究内容:闇属性魔力の分解・変換。閲覧領域:禁忌術式・外部エネルギー論。」
——外部エネルギー論に興味を持つ研究者が、魔力の「変換」を研究している。
第四公理の「外部補填は不可能」を越えようとしている可能性がある。
理論上は私と同じ場所を目指している。
でも——研究の方向が違う。
私は「理解」のために掘った。
クロイツは何のために掘っているのか。
◆ ◆ ◆
——魔法学院 屋上 放課後
三つ目の気配は、夕方だった。
屋上でκの改良を続けていた時、魔力の流れに異常を感じた。
遠い。
学院の外、おそらく王都の方角。
でも確かに——何かが、こちらを向いている。
感覚ではない。
ダークエネルギー変換式を起動した時に生じる、世界の底への接続が——外から干渉されているような、微細な乱れ。
一秒で術式を閉じた。
——誰かが、この世界の底を調べている。
私と同じ層を、別の方向から触っている。
乱れは消えた。三秒間だけの出来事だった。
気のせいかもしれない。
でも前世で学んだことがある——「気のせい」で片付けた異常が、後になって致命的な見落としだったと判明する事例を、何度も経験した。
ノートに書いた。
「気配③:ダークエネルギー接続時に外部干渉の乱れ。時刻:十七時十二分。方角:王都方面。持続:三秒。再現性:未確認。」
三つの気配が、一枚の紙に並んだ。
◆ ◆ ◆
夕暮れの屋上で、ルナは三つの記録を見比べた。
閲覧記録の承認番号。
ゼルムの緊張。
セインから聞いた名前。
そして世界の底への干渉。
仮説:オルヴァン・クロイツは、外部エネルギーの魔力変換を理論上追っている。
第四公理の限界を越えようとしている。
そして——世界の底に届きかけている。
確証はない。
三つの気配は、まだ点だ。
線になっていない。
でも——点が三つあれば、平面が決まる。
——クロイツが私と同じ場所に到達した時、何が起きるか。
計算した。
答えは、一つだった。
——私の術式の存在が、知られる。
ノートを閉じた。
感情は動いていない。
ただ、次の一手を考えている。
術式の紙を燃やした時と同じだ。
脅威は計算する。
感情的になる前に、手を動かす。
クロイツが到達する前に、私が何をすべきか。それが今日から考えるべき問いだ。
星が出始めた空を一度見上げて、屋上を後にした。




