第9話 深淵のボルガレア
「私は調律師でしたけど、アルメジスティアム専門で、『航海石』は管轄外なんですよ」
航海石を見たクレスはそれを珍しそうに眺めた。
「クレス、これから情報を読み取れないんだ」
「すみません。航海石は航星士の、レフィルの専門なんです」
「いえ、大丈夫。私たちの手の中にあることが重要なの」
まさかここでレフィルの名が出てくるとは思わなかった。
姫君は今どこで何をされているやら。
「エルドは……」
言いかけて口をつぐんだ。
もはやこの勇者には過去のデータがない。
仕えた姫君の記録さえなくしている。
エルドでもなく星琉でもなく、ただ、私を守るためにここにいる。
「ごめん」
「かまわないよ、おかげで自由だ」
ふと、星琉の笑顔が重なる気がした。
そうだ、彼はここにいる。
以前、エルドがイサナの航海石に灯を入れた。
ライブラリを捨てた今のエルドには、もう新たに航海石に灯を入れることはできないだろう。
つまり今それをできるのは私だけだ。
なぜだかわからないが航海石は私の手で輝く。
航海石はここにある。
それを目指して奴らは来るはずだ。
この石の効果は1つ。
「繋ぎ渡す」こと。
この作用がヴェルの航海を可能にする。
クリスタライン達は太陽系を去る際にヴェルからほとんどの航海石を持ち去っていった。
遺されたヴェルはテラフォーミングマシンとしての効用を残し地球の生命を育むために緩やかな気候変動をもたらした。
航海石は必要ないと判断したのだろう。
彼らがなぜすべての航海石を持ち去らなかったのは知る由もないが、いま私たちの手元に航海石は2つある。
確率は別として、手段は見えた。
奴らはすぐには追ってこなかった。
またもてあそばれているのだろう。
ガーディスが総力で攻めてこないことを祈るだけだ。
街を見て愕然とした。
そうだ、やはり間違いはなかった。
開港祭だ。
函月市の開港祭が始まっていたのだ。
これから戦場になるのに!
黒羽さんにはそれを伝えたのに。
自分も暦を忘れていたわけではないが、この事態だ。せめて港くらいは立ち入れないようにしてほしかったのだが。KAGUYAは何も手を打っていないのだろうか。
そんなはずはない、きっと何か策があるのだろう。
幸いにもイサナ灯台には人影がなかった。
いや、すでに閉鎖されているのか。
だが港のこの賑わいは!
エルドがイサナ灯台へ降りる姿は光学迷彩で何とかなった。
だが、これから起きる戦闘はどうにかなるレベルじゃない。
「場所を変えなきゃ」
イサナの航海石を持ち出して洋上にでも移動するしかない。
だが、遅かった。
ガーディスが降りて来た。
黒い霧をまとって。
港から見たら、それは異様な暗雲に見えるだろう。
そこにまるで人々の注意を逸らすかのように花火が上がった。
夕暮れ時のその光景に、ガーディスの放つ闇は誰にも気づかれなかった。
「メレ、港をお願いね」
今はメレのフィールドで被害を出さないようにするしかない。
こんなところで秘密の戦争なんてできるわけがないじゃない!
ガーディスを撃ったその爆砕音は、花火の炸裂音に打ち消された。
タイミングが良すぎる、絶対に黒羽さんの仕業だ。
本当に何を考えているんだ。
「さっきから、感じませんか? いえ、聞こえますよね?石の声」
クレスが港を指す。
「石が、並べられています。港全部、いえ街全体を囲うように」
誰かが、いやもうKAGUYAだろうが、月鯨石を加工して街中に配したってことなのか。
港に沿うように高い柱が建てられている。
それら全てに月鯨の結晶石が使われているようだ。
「アルメジスティアムがフィールドを張っています、街中がフィールド内にあるんですよ」
強度は知れないが、これだけの面積を覆うフィールドだ。おそらく世界中の月鯨遺跡から原石をかき集めたに違いない。いつの間にこんなものを?
それにしたってこの開港祭の賑わいは不都合ではないか。イサナを選んだのは失敗だったのか。
迷っても仕方がない。
それはじきに現れる。
黒曜の武士が降りて来た。
「レイド……」クレスの呼びかけに、いまだ応えない。
「レイドは、もう……」
「クレス!希望はなくさないで」
彼女の肩を抱く。
エルドが私達を守るようにフィールドを厚くした。
「コッグガーディスを食い止めている間、私は彼の意思を感じた。彼のアルメジスティアムコアは自我を維持している」エルドがクレスを元気づけようとした。
クレスはうなずく。「彼は、すごく強いんです……だから」
レイドは自我をコアにとどめアルメジスティアムによりフィールドを張っているのだろう。
「以前は油断していたけど今は違う。でもレイドの強さが段違いなのは変わらない」
エルドの過去の戦闘経験も失われている以上、小細工は無用だろう。
相手は船団最強の戦士だ。
「全力で戦う」
手持ちの月鯨石のアクセサリーをすべて取り出した。
「気休めにもならないだろうけどね」
月のハモニカで旋律を吹き込まれたそれらはエルドの五体に配されその姿を変化させた。
「人の笑顔のために、創ったものだったな」
「今もそのつもりよ」
「心得ておこう」
「クレス、お願いがあるの、イサナには灯を入れた航海石が3つあるはず。それを持ち出して欲しいの」
クレスなら、おそらくヴェルイサナの内部を理解できるはずだった。まずは航海石をそろえたい。
「無理は、しないでください、って言いたいですけど」
「お互いに、それ無理そうだね」
二人で笑ってしまった。
やらなければいけないことのために、やれるだけの無理をするのだ。後悔しないために。
「私、鈴音さんの淹れた紅茶を頂きたいです!」
「ええ、とびっきりを振る舞ってあげるね!」
あの日からクレスは私の旋律を受け止め続けていた。
私の気持ちの変化もすべてお見通しだ。
そう、ずっと以前からシアーシャにいたように。
クレスもちひろさんも山城さんも、そして星琉も。
みんな大切な仲間。
私にずっと足りなかったはずなのに、いつの間にかこんなにたくさんの仲間に囲まれていた。
かけがえのない宝物だ。
彼女の席は決まっている。
またお店が賑やかになる。
笑顔で拳を突き合わせて彼女を降ろした。
「エルド、あなたがどこまで覚えているかわからないけど、リンクはできるよね?」
「記録など無くとも我らに何の障壁があろうか」
今の私にとってこの繋がりが何よりも強い力だ。
いまこそ息を合わせよう。
幾度かエルドの前で呟いた詞が自然と唇に乗ってきた。
翼は 風纏うために
足は 大地の脈を掴むために
腕は 大気を抱くために
背は 時を継ぐために
肩は 労を分かち合うために
胸は 想い刻むために
指は 未来指すために
唇は 想い告げるため
涙は 虹をかけるために
瞳は 果て無き地平を捉えるために
これから君が守るべきことは一つだけ
君が君に誠実であれ
私を欺くこともあれど それもまた君の道
たがいに迷わず進もう
いつか収斂の邂逅果たす日まで
彼と一緒に乗り越える、このすべてを。
「レフィルって、よっぽど素敵な人だったんだろうね」
「そうだろうが、今は他人の話だ」
「そっか、そうだね!」
手元に航海石は2つ。
クレスがイサナの航海石を持ち出せば全部で5つ。
十分ではないが、プランはある。
その重い拳を受け止めるのは2度目だが、やはり効果はあった。
新たな月鯨石で防御できた。
「クレスには悪いけど、お互い無傷でやりあおうなんてできそうにないから、全力で行くよ!」
奏月刃をその腕に突き立てた。
巨大な腕は盾の役割を持つのだろう、エルドの刃をたやすく跳ね返す。
こんな石のぶつかり合う音さえも、港では花火か何かで打ち消されているのだろうか。
鈴音が思った通り、黒羽清輝はエルドの動きを見守っていた。
KAGUYAの張った結界は、データ上は現行兵器の爆撃にも耐えうる。
信用できないわけではないが備えは必要だ。それに何より、彼女たちだけが戦っている事実がもどかしくある。
装備を背負う。
「なんで、鈴音こんなことになっちゃったんだろう」
佐伯ちひろもまた、やりきれない思いを抱えていた。
「君たちはここで見届けろ。それもまた戦いだろう」
気休めにもならない言葉だろうが本心だ。
何度もイサナ灯台が光を放った。
その度に開港祭のスタッフに潜り込んだKAGUYAのメンバーが花火を上げているはずだ。
灯台と港の間には、いくつもの柱が建てられ月鯨石の結界を作り出している。
柱の間に張られた結界は、巨大なスクリーンとなり、映り込むイサナの明かりは虹のような光となり市民達には祭り余興と受け止められていた。
その向こうで繰り広げられる鈴音たちの死闘は市民の知るところではなかった。
「わたしたち、ずるいよね」
港が賑わうほどに佐伯ちひろはやるせない思いを募らせる。
山城槐多はちひろの肩を抱き寄せた。
「地球人は、何もしていなかったわけじゃない」
今誰もが自分にできる事をしている。市民が平和でいることさえ自分達の武器になる。異文明からもたらされた石にその全てを刻み込む。
黒羽清輝は2人を置いて担いだ装置のグリップを握った。
やはり力の差はそう簡単には埋められないのか。
最初は善戦していたエルドだが、ダメージの蓄積はこちらの方が早い。
正面切ってぶつかり合っても勝機は無いかに見えた。
焦りが募る。
そこへ大気が大きく重く振動した。
あの時と同じ、いや、あの時以上だ。
目の前のレイドが放っているわけではない。
そんな大きな力を放てるのは他にはいない。
「深淵のボルガレア……」
それを倒さなければ終わらないのにいまだその姿を現していない。
だが、この大気の重圧によってその存在が間近にいる事が示された。
どんなに苦しいことも、あの日以上の絶望なんてないだろうと思っていた。
そして、嘆き悲しみ苦しんだその記憶は、あるがまま自身の一部として受け止め歩んだつもりだった。
それを抉り出してもまだ足りないのではないかと思えるほどに心を逆なでし、重く響き渡る憎悪の響きだった。
心を試すように不協和音が響き渡る。
指向性を持ったそれは、街ではなく私自身だけに向けられているようだった。
◇第9話 深淵のボルガレア・おわり◇
第10話に続きます




