第4話「氷美人#信」
山田が彼女を初めて見かけたのは、駅からオフィスへ向かう朝の通勤路だった。パンプスの踵を鳴らし閑静な住宅街を颯爽と歩く背筋の伸びた後ろ姿。風になびく銀色の長い髪は遠目にも目を惹いた。
気がつけば眼前を闊歩している後姿美人に勝手に氷美人と名付けていた山田は、その日なんとか背中を見失わずに着いていくと、山田と同じABCコンサルタント㈱のオフィスに入って行った。
「うちの会社の人だったのか。何階の人だろう
顔を見たことはないからな。似た髪色の人は二人くらい見たけど⋯⋯⋯」
小ぢんまりとしたビルだったが、客先常駐や受託先のオフィスに間借りして、自社と往来を状態的に繰り返している者も多かった。どんな人間が何人いるのか未だ実態は分からなかった。
「なんか、蟻の巣みたいだなここは⋯⋯」
山田が以前働いていたU社のように、広大な敷地の中にある低階層の建物で、全員を見渡せる設計事務所で働くメーカー技術者とは大きく異なる職場環境だ。
ソフトウェア開発に製図器やCADと言った大きな設計ツールは必要ない。技術者はノートPCひとつあれば何処でも何時でも開発出来るのだ。こう言った技術特性の違いが就業環境の差となり、受託開発が盛んに行われるソフト業界の業態に現れていた。
腕前ひとつあれば独立できる、ソフト技術者はプロ職人の世界だった。その為か、独立心が強くプロ意識の高い人間が多かった。仕事さえ出来れば大抵の事は許されるため個性的でキャラが濃い。
入社早々、山田に衝撃を与えた漫画から抜け出したようなキャラたちが実在するのもその為だろう。
銀色の長い髪の彼女について職場で聞き回ってわかったのは、偶然見かけた氷美人の名前は冴木光。このオフィス一階の第三開発課で勤務するアナリスト兼庶務を手伝う正社員だった。
彼女の風貌はTVドラマに出てくる秘書が現実に飛び出したような、赤縁メガネに胸が大きく空いた白いシャツ、スラリと長い脚に紺のスラックス。薄茶色の瞳、銀髪に黒のメッシュが入ったセミロングの髪を仕事中は小綺麗に後で縛っている。山田も入社後何かと彼女と接する機会はあったが気づかなかったのはその為だ。
それと気づいてよく見ると、一見して日本人離れした風貌は本物の異国の血が入ったハーフかクォーターだとわかる。
その実、見た目とはかけ離れて規律に厳しく日本式雑談コミュニケーションには、茶色をさらに薄くした瞳を不機嫌そうに光らせて無反応だが、社則で禁止されているジーンズをこっそり履いてくる山田へ容赦なく指摘するのは彼女だけだった。
『山田さん、それ。ジーンズ禁止だから』
「―――なんで俺だけ? 他にもジーンズ履いている人いるのに⋯⋯⋯」
山田の不平は一切受け付けない。
仕事中、決して山田と目を合わせようとしない、むしろ関わろうとしない彼女だったが、山田が視線を感じて振り返るとそこには何時もそっぽを向いた彼女がいた。そんな事が重なったこともあり、駅からの道すがら、山田は思い切って話しかけてみるが会社の外では話しかけないでくれと言わんばかりに冷たくあしらわれて凹んだりだ。
特別な感情は抱いていないものの、何かと世話になる機会がある彼女の「情事」が山田の耳にも入ってきた。
彼女の直属の上司 千賀主任との恋仲の噂だ。面倒見の良い千賀主任は知っていた。入社早々、山田も社内のあれこれを教わり世話になっていた。彼が恐妻家で有名な事も知っていた。
人の道ならぬ恋に身を焼くタイプでもなかろうに、そんな事を他人にとやかく言われる年齢でもない。だいいち、そういうおせっかいが山田は嫌いだった。「言いたいやつには言わせておけ」と気にもとめなかった。
ただ、U社での事件で山田は学習していた。会社という場所の人間関係は、一皮剥けば表からは決して見えない有象無象が渦巻いている。
やはりここでも「そういうこと」があるのだと。あんなピシッとした人でも情に流されるものなのかと、少し親近感を持つくらいだった。
今はこの会社に引っ張り込んだケンを放おっておくわけにはいかないのだ。
山田は「コチコラ」プロジェクトへ救援選抜メンバーに選ばれていた。
旅立ちの前日、選抜された火消しメンバーを壮行する会で、それまでそっぽを向かれ続けた光から山田はもう一つのミッションとなる手紙を受け取った。