第3話「ABCコンサルタント#信」
平成18年11月。寒々とした風が吹き始めた頃、ABCコンサルタント㈱に山田信が入社して半年が経とうとしていた。
U社を退社した山田は、コンサルタントとして新たなキャリアを築く為に1年に渡るリスキリングの計画を立てていた。「あの」事件の後、傾いたU社は退職金を上積みして希望退職を募っていた。それに乗っかる形で退職した山田には多少の軍資金もあった。しかし退職手続きが一段落し、ひと月も経つと暇に耐えかねた山田は「お試し」と称してU社と同じ町にあるABCコンサルタントの入社試験に応募し合格してしまう。
初めての転職活動の上に合格を期待していなかった山田は、慌てて会社情報を調べるがいわゆるブラック企業に類する噂がネットには流れていた。ITが普及期を迎えたこの時代、システム開発を手掛けるこの手の企業には多かれ少なかれブラック企業の疑義はあった。しかし、あまりに計画外に決まってしまったこの会社への入社に山田は戸惑っていた。
柄にもなく学生時代からの友人の真島信忠に相談すると、「お前ならどうにかすんじゃね」と軽く流された。
山田が「考えてもどうにもならない状態」の切り抜け方と、「やりながら考える」能力を備えている事を真島は良く理解していた。
こうした経緯で綿密に建てられた山田の「プー太郎」計画は失業給付をもらう間もなくABCコンサルタント㈱に入社で幕を閉じた。
山田が配属された部署は、古巣のU社を見上げる丘の下に建つ三階建ての小さなビルにオフィスを構える通信ネットワークを使ったシステム開発を行う部署だった。
配属初日に通されたオフィスには、やさぐれた呑兵衛女性社員に、ニートオタクを絵に描いたようなデブ+眼鏡で会社のPCにエロゲをインストしている同僚。リストカットの絆創膏の絶えない前髪で顔が見えない腐女子。サバゲーマニアと言わんばかりに会社に迷彩服で来る現場リーダーが納品間近のソフトの校了を煽っていた。
入社のガイダンスも研修もない。新品の専用PCも用意されていない。自分のデスクを作るために疾走してしまった前任者の残留物を掃除するところから始まる初出社だった。
「すまん、凄いところに来ちまった」と、さしもの山田も心の中で妻子に詫びた。
最初に配属されたのは国のデジタル化の先駆けとなる「地デジ化」を推進する民間プロジェクトだった。
プロジェクトリーダーの藤堂は同学年、同じ神奈川県出身だった事もあり話も合った。口数は少ない強面の男だったが、こういう輩の方が男臭い工場務めが長かった事もあり気が楽だった。
システム開発を行うソフト技術者は、メカや電気回路の設計をする技術者と比べ、女性の比率が比較にならないほど高い。
「地デジ化」は国策の一端を担う一大プロジェクトだっが、藤堂がパートナー企業のニツニ電子㈱の大杉リーダーと二人で発掘した、まさに次代を担う事業を創るビッグプロジェクトだった。
入社早々思いがけず部署の期待を担う仕事に配属された山田は、新メンバーとして客先紹介で訪れたニツニ電子㈱の駐車場に停めた社用車の中で藤堂に藪から棒な洗礼を受ける。
「おまえ、タメだってなーー。うちの会社から見える丘の上のU社から転職って聞いたけど、なんだ?腰掛けか?こっちは遊びじゃねえからな」
山田は決して腰掛けのつもりなどなかったが、考え無しな無鉄砲な性格を見抜かれたようで少しギクリとした。
ぶっきらぼうに「あ―――」とだけ応える山田に、藤堂も無言で返す。
藪から棒に、ぶっきらぼう。
初対面の男の挨拶はこんなものだ。
山田は「やるな藤堂」と内心思いながら、この日はお決まりの街中華で昼飯を食ってオフィスへ帰る頃には数年来の友人の距離感になっていた。
後にこの出会いが、藤堂と山田の人生に大きな影響を与えることには、まだ二人とも気づいていなかった。