第1話「選抜会議#光 1」
新章、光と山田の出会いの物語
「カッカッカッカッ」
小田急線沿線、神奈川県西部の駅からオフィスまで徒歩10分。朝の爽やかな空気を切り裂き、住宅街に響くヒールの音は、彼女が職場に向かう出撃笛だ。
平成15年晩秋、高く抜ける青空とは裏腹に冴木光の足取りは重かった。
昨夜遅く、部長の渋沢から電話があったのだ。渋沢にとって世界は、何時でも、何処でも、自分を中心に回っている。光は彼の秘書ではなかったが、突然電話をかけてきては一方的に用件をガナリ立てて電話を切る。
なんとも始末の悪い「ザ・昭和の上司」だ。
昨夜も光が入浴中に電話をかけてくると、明日朝イチで課長たち幹部を招集し、緊急会議を開催するよう指示された。例によって議題を確認する間もなく電話は切れた。
いつもの事だが慣れたものでもある。光が社内に張り巡らせたアンテナに、彼の行動は想定内のものだった。
「やっぱり来たか⋯⋯」
それは、今全国に支社を持つこの会社の全員が、その動向に聞き耳を立てている今年最大の炎上プロジェクト、大手通信事業社MTTから受注した次世代コミュニケーションシステム開発プロジェクト、通称「コチコラ」プロジェクトへ、救援メンバーを送り込む選出会議だった。
程なく送られてきた渋沢からのメールに添付されていたファイルを開いて、浴槽の中で光は青ざめた。
「ウソでしょ………」
JR横浜線関内駅から中華街に向かうと現れる、黒いビルに通信事業社MTTの開発拠点はあった。この春、そこで始まった全国横断の大型プロジェクト「コチコラ」は、僅か数ヶ月でとんでもない火柱となり、全国の事業所に応援要請が繰り返されていた。
この部署からも既に50名を超える開発チームが参戦していたが、渋沢部長から聞かされたプロジェクトの状況は噂話を超えるものだった。
「プロジェクトがスタートして半年で、9ヶ月の進捗遅延てどういう事だ?!」
会議室に集められた課長たちも、それぞれが「火消し」として名を馳せた兵揃いだったが一様に押し黙る惨状だった。
システム開発を手掛けるこの業界にいればこの手の話は慣れたものだったが、普段冷静な光も青ざめた。
それは、炎上するプロジェクトから送られてきた交代リストの中に彼女の上司、千賀主任の名前があったからだ。