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その職場問題はリテラシー向上委員会にませてください?  作者: そぼろはるまき
第一章「向日葵の涙」
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第27話「メッセージ」

 「お帰りなさい。あっちはどうでした?」

「おう!いい天気だったよ。――じゃないか。

 仕事はまあ、お前らのバックアップのおかげで特にトラブルもなかったよ。

 ガデリウス(搬送ロボット)も機嫌よく動いてくれたしな」

「そうですか。それはよかった。

 ガデ(彼女)は試運転で壁にパンチで大穴を開けるジャジャ馬でしたからね。

 出張中こっちは―――、まぁ、ぼちぼちでした」


 僕に封筒を出した先輩社員、天間先輩が長い海外出張から帰ってきた。

 俺は彼に事件の事を話すか迷っていた。

 事件は既に人事預かりの秘匿案件として、俺たち事件の関係者にも箝口令(かんこうれい)が敷かれていた。


 『俺がおまえに送ったのはオレンジの封筒だよ。

 なーんかヤバイ感じがしたけど、次の日から出張だったからさ。

 おまえなら何とかすると思って松野に頼んだんだよ。へへへ』

 国際電話で話していた天間先輩の言葉が引っかかっていた。

 あの時はとにかく時間がなかった。他に調べる事が山積みになっていたことで、気にしないようにしていた事柄が喉に刺さった小骨のように、今になって俺の内側を突っついていた。

 あの時は心もとない捜査の中で、天間先輩の「らしい台詞」に安心した。彼の信頼に応えたいという責任感がその違和感をかき消した。しかし、俺はずっとその「らしさ」に潜む違和感を拭えずにいた。


 ふつう差出人も書かれていないあんな重たい封筒が届いたら、開封せずに誰かに渡すものだろうか?

 たとえ翌日から海外出張だったとしても、渡す相手を信頼していてもだ。

 自分だったら、一度は封筒を開けて中身を確認するだろう。

 それが「ヤバイ」と、天間先輩はどうして言えたのか。

 全ては、まず封筒の中身を見てからの話ではないか。

 そこにあるどうしようもない違和感に、俺は違ったエンディングに続くルートを見落しているゲーム実況を観るようなもどかしさを感じていた。

 禁断のワードが頭を過る。

 「もし、あのとき―――」


 最初にフロッピーディスクの中身を見た時に、全てのファイルの最終アクセス日時を記録しなかった。あの時、『僕』は幾つかのファイルを開いて中身を確認した。そのことで、そのファイルの最終アクセス日時は変わってしまっていた。

 その後、ディスクを解析した『僕』は、自分が開いて最終アクセス日が変わったファイルを除外して解析した。それ自体は的確な判断だった。

 しかし、脳裏に残っているおぼろげな記憶が、『僕』が最初にディスクの中身を見たときに、すでにアクセス日付が他と違うファイルが存在していたのではないかと詰め寄ってくる。

 そして『僕』は、捜査中にその事に気づいていた。しかし確証もなく確かめる術もないこの記憶を追うことはしなかった。犯人を追い詰める可能性の高い目先の証拠集めを優先した。

 あの時の『僕』にはその選択しかなかった。

 しかし今なら・・・。

 もしあのとき、現在の「俺」がいたら?


 俺たち設計士は設計業務をどれだけ効率よく最短時間で終わらすか、常に最短ルートを探索しながら仕事をしている。

 それは設計という仕事が複雑な要素を組み合わせて答えを探す謎解きの様なものだからだ。その為、俺たちは時々刻々と変化する状況や明らかになった事実を受け容れて、ゴールにたどり着くために行動する「解決脳」を養う訓練をされている。

 経験は直感に昇華する。

 濃密な経験と研鑽は、無意識で働く思考回路を(ニューロン)に刻む。

 直感はいつも正しい。

 その事を俺たち(設計士)は知っている。


 その直感が今になって囁く。

 あの時の決断は、あの時の『僕』には間違っていないと言い切れる。しかし、同時に現在の「俺」の直感が告げている。

「あの時、今のおまえならどの道を選ぶ?」

 その仮定を受け容れた瞬間、脳内で解決脳のスイッチが入り思考が勝手に走り出した。


 右脳の思考の先、左目の視界に無数の「もし」が重なったルートが展開された。それはあたかもこれから設計する製品が利用者に使われるイメージが浮かんで見えるように。

 難攻不落のサバイバルゲームの謎のを解く攻略サイトのように、あの時の自分が選ばなかったルートを進む自分の映像が鮮明に流れ出す。


 あの時の『僕』は、ディスクに刻まれた情報が重要な手がかりになるなど思いもよらなかった。それ以前にこんな事件になる事など想像もできなかった。それは仕方ない事だったし後悔などない。

 あくまで仮定で言えば、あそこに他のルートに続く分岐路があったとしたら?


 無事帰ってきた海外出張チームを俺たちバックアップチームが迎えた実験棟の休憩所で、交わした他愛ない会話の中に、涼介が描いて見せてくれた職場の相関図が重なって見えた。


 「本当は天間先輩は封筒を開き、中身を確認していたのではないか?」

「なぜそれを言わない?」

 「その時に封筒をオレンジからグレーに入れ替えられたのだとしたら?」

 「天間先輩はなぜそれを隠す?」

 

 聞き込み捜査をしながら、刻々と過ぎる時間の中で、皆の記憶がどんどん薄れていく焦りと、まだ見ぬ黒い犯人像にジリジリと追い詰められていく焦燥感が蘇る。

 切り捨てた違和感や疑念を押し込んだ壺の蓋を、今になって内側からジンワリと押し上げてくるのを感じていた。


 それはまるで、捕まって焦るゴンさんが口をついて言った「もう一人いる」であったり、誠司が言った「あいつは絶対やっている」という台詞たちが、黒い人型をした言霊となって、その先に隠された真のゴールに続く道を指差し、まだ僕の記憶の書庫の返却棚に置いてあるこの事件簿を抱えて薄ら笑っているような気がした。


 「天間先輩が、もし犯行に関わっていたら?」

 考えたくなかったことを仮定してみる。

 天間先輩もこの事件に関わる一味で、ゴンさんがデータ入手係。リサがフロッピーの運び屋。 それをバラまくはずだった天間先輩が、何かの理由で裏切ったのだとしたら?

 冷静に振り返ると要所に散りばめられたこの違和感の正体が、まだ明かされていない事件の真相に辿り着くために天間先輩が残したメッセージの断片。

「お前なら何とかするだろう?」の真意は、「おまえが救え」というメッセージだとしたら?

『僕』はまだ真相を明かす事が出来ていないのだとしたら――


 そんな僕の疑念を見透かしているように、この件の質問に天間先輩は答えようとしなかった。

 「まあ、俺はよくわかんねーけどよ。

  もう済んだことならいーんじゃねえか?

  楽しくやろうぜ。な?」

 と、はぐらかした。


 捜査序盤に封筒の宛名と似た筆跡を探したときに、天間先輩の筆跡を確認しなかった事が悔やまれた。

 封筒はもう、証拠品として課長たちに押収されて手元にない。


 ゴンさん獲捕後のあまりに早い課長達の対応。元凶のハラスメント事件を無視して、リサの被害届を優先する対応は、いくら訴状が出ていたとしても不自然だった。

 被害にあったOLたちの中で、リサのPCだけが操作された痕跡がなかった違和感に、今になって気づく。

 誠司が言ったように、もしも、全てが会社組織に深く根づく組織の仕業だとしたら?

 大山田部長の「こちらの事情」がそれだとしたら?

 ディスクは本当にオリジナルだったのか。組織の仕業なら、プロが巧妙に細工した複製の可能性すら浮かぶ。

 ゴンさんはただの尻尾切りだとしたら?


 考え出すと気になることが際限なく湧いてくる。俺の心の中の後悔の壺は、苦い蜜が蓋を押し上げ溢れ出す寸前だった。

 しかし、それを暴く証拠も気力も、もう俺には残っていなかった。

 仲間を、人を疑うことに疲れ果てていた。

 何よりもう捜査の原動力となる、「救うべき誰か」がいなかった。

 俺はその「事件簿」を、記憶の図書館の返却棚に放置して、仕舞うことも読み返すこともしないまま、やがて忘れていった。


 一方で、この事件の経験はそれまで技術者として歩んできた俺の考え方を大きく変えた。

 それまで探求者としての好奇心や探究心を原動力に働いてきた俺に、科学やテクノロジーは人を救う事のできる魔法になり得るのだと気づかせた。そしてそれを自らの手で成し得る達成感に、他に代えがたい充実感を感じていた。


 「もっと凄い(テクノロジー)を身につけたい。

  その力でもっとたくさんの人を救いたい」

 その為に必要な知恵と技術を磨き、それを役立てるために自分に足りないもの探求するため、俺は会社を辞めた。そして同じ思いを抱える人たちが集う場を求めて大学に通うことにした。

 そこでは様々なデータ解析技術と、この社会の仕組みと法律や経済、生きた経営手法や組織統制術を実践形式で学んだ。

 授業は現役の経営者やコンサルタントが担い、社会人を中心としたクラス編成だった。クラスメイトたちは大企業の幹部候補や自衛隊のキャリア、還暦を過ぎてなお海外進出を目論む歴戦の経営者たちと歯に衣を着せないディスカッションが行われた。

 明確な目的と意欲をもった多彩な人たちとの交流は、俺に多くの刺激と成長の機会を与えてくれた。

 そして、それまでどこか遠くの出来事のように観ていた企業や社会、国や世界も、一人ひとりの相容れない人間の想いで成り立ち、人同士の繋がり方ひとつで成功も失敗もする。

 人こそが社会を築き、未来への希望だということを知った。

 御しがたく、そこに渦巻く欲望や業が引き起こす悲喜劇にこそ、仕事の、人生の醍醐味があるのだと教えてくれた。

 それまで職場の人間関係や知人とのつき合いを煩わしいと思うこともあった。今回の事件はその煩わしさをより強く感じる出来事でもあった。しかしそんな僕の些末な気持ちを笑い飛ばすのに十分な、力強い人たちに俺の瑣末な失望は癒されていった。


 人とテクノロジーに魅せられた俺は、その後、経営システムを開発する企業で経験を積み、30歳半ばに小さなコンサルタント会社を立ち上げた。

 時代の移り変わりは益々早くなったが、人は簡単には変われない。

 取り残された人たちが巻き起こす問題に向き合わなければ社会は前に進めない。

 会社は、何かに導かれるように軌道に乗っていった。

 

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