第26話「まだ終わってない」
事件解決からひと月たち、日常が戻りつつあった。
昼休み明けのサーバー室。
日課を終えて汗をタオルで拭いながら、口の中にあるサンドイッチをモガモガと食べている俺の前に、真剣な顔で俺を見つめる男がいた。
リサの彼氏、北川誠司だ。
あの夜、深夜の駐車場でたった独り、先輩社員たちを相手にリサをかばった男前な彼が、全てが終わった今、俺に話があるとサーバー室にやって来たのだ。
風貌はファッション雑誌のモデルのようなスラリとした高身長。日本人離れした堀の深い顔立ちにキリッとした二重の瞳、尖った高い鼻。男の俺から見ても、見惚れてしまうイイ男だ。
ふだんはクールに仕事をこなし先輩社員や上司からの信頼も厚い。それでいて仲間といる時は気さくに冗談を交わし合う、外見だけでなく内面の優しさが滲み出たような、人を惹きつける不思議な魅力をもった青年だった。
それに加えてあの事件で見せた、自分の考えを堂々と言える男気溢れる自慢の後輩だ。
そんな彼が、自ら庇ったリサの捜査を再開してほしいと、わざわざ頼みに来たのだ。
ひとしきり彼の話を聞いて俺が黙りこんでいると、彼は念を押すように前のめりになって俺に迫った。
「しのぶ先輩。リサは絶対にやっていると思うんです。あのときは彼女を庇いましたが、本当は彼女が何らかしらの形で、あの事件に関わっていると思っています。
お願いです。もう一度調べてください!」
ゴンさんは既に退職し、新しい会社で頑張っていると風の噂で聞いていた。
なっちゃんと瞳美も事件の事は忘れてはいないまでも、気持ちを切り替えてがんばっている。
正雄は―――、変わるわけもなく、涼介も一時はこじれたリサとの関係も事件の沙汰と共に元の距離感に収まっている。
今さら何を調べてほしいと言うのか。
(俺は探偵じゃないぞー)と内心思いながらも、いつも冷静な誠司が見せた意外な熱量に驚いていた。
そこまで言うならと理由を訪ねると、彼は少し考えるような仕草をした後、訥々と話しだした。
あの日、リサを連れ帰った誠司は、泣きじゃくる彼女を自宅まで送り、車の中で落ち着かせてから家族のもとに帰した。
翌日、改めて会いに行き彼女から昨夜の事情を聞くと、まだ幾分混乱していたものの、かなり落ち着きを取り戻していたリサが話す内容は、前日俺から聞いたものとほぼ同じだった。
誠司は彼女が言うように、一方的に犯人扱いされて納得がいかないのなら、文書を書いて会社に提出する事を奨めた。
そして彼女はそれを素直に実行し、会社はそれを受け取り動いた、というのが、週明け俺たちが課長たちに呼び出された事の次第だった。
誠司は、涼介がリサの元カレということも知っていた。そして二人が感情的になっているあの夜の状態では、関係のない瞳美や俺たちを巻き込んでこじれてしまう事を心配していた。
会社が第三者として介入すれば事実関係も明らかになり、俺たちの無実も晴れると考えてリサに文書を出すように奨めたことを語った。
俺は誠司の話を黙って聞いていたが内心は、
(く〜、さすが我が自慢の後輩! ナイス判断!)
と身悶えしていた。
誠司はそんな先輩社員の自画自賛など気にする様子もなく話を続けた。
「そこまでは良かったんです」
彼は少し眉をひそめて話を続けた。
「リサの言っていることが可怪しいんです。
いや、可怪しくなっていったんです。」と言う。
リサの話では、あの晩、なんの前触れもなくゴンさんから電話がかかってきた。
はじめは無視していたが、会社でなにかあったかと心配になり三度目に出た。
携帯の向こうでは何人かの話し声がしてゴンさんが出た。揉めているような怒鳴り声も聞こえた。
怖くなり電話を切ろうとしたときに涼介が出て、ゴンさんが自白したことを、ひたすら繰り返されて、すぐに来るように命令された。
誠司はその時、彼女とデート中だったので、彼女の異変に気づいて話を聞いた。
リサは呼び出しを無視しようとしたが、彼女の性格上、そういう事はできないことはわかっていたので、一緒に行くからと彼女を説得してあの場に行った。
そこまで話すと誠司は俺に向き直って言った。
「ね? 可怪しいでしょ?」
こんなところで振られるとは思わなかった俺はキョトンとして聞き返した。
「え? な、何が?」
誠司は軽くため息をつくと続けた。
「リサは電話が三回かかって来たと言いました。
しかし、彼女は最初からゴンさんとわかっていたんです。つまり、ゴンさんの電話番号は携帯電話に登録されているということです」
と言うと、少し鼻息を荒くして続けた。
「以前俺は、週末になると会社の付き合いと言ってパーティーに行くリサに、どういう付き合いなのか問いただした事があるんです。
その時彼女は、そのパーティーは普通の職場の付き合いで庶務という立場柄、誘いを無下にはできないと言って、心配する俺に携帯のアドレス帳を見せてくれました。
そこに、ゴンさんの名前はありませんでした」
確かにそれはおかしい。
でも、その後登録されたのではないかと聞くと、それはありえないと誠司は答えた。
理由はリサが仕事とプライベート用に2台の携帯電話を使い分けているからだと言う。
あの夜かかってきた電話は、限られた人間にしか教えていないプライベートの番号だった。
まだ話が見えない俺は、首を傾げる仕草で誠司にジェスチャーすると、
「実はその後、彼女の着信履歴を見てしまったんです。相手は本社秘書課のお局様です。」
と彼は言った。
携帯の履歴には何度かやり取りをした形跡があり、その後、課長から電話があって、リサの行動は可怪しくなったという。
今回明るみに出ていないが、実はリサは何かのサークル運営に関わっていて、それは本社や課長たちも関係した組織的なものではないか、というのが誠司の疑念だ。
誠司は、リサが急に訴状を取り下げたことを不審に思い、その事を彼女に詰め寄ったことで彼女と別れる事になったと言う。
誠司はそこまで話すと、まだ釈然としない顔の俺をもう一度見据えて、強い口調で言った。
「だから!しのぶ先輩! 絶対に調べてください!
頼みましたからね!」
そう言い残すと席を立ち、
「じゃ、俺は仕事あるんで!」
と、いつもの爽やかな彼に戻ると、
俺の返事も聞かず軽やかに部屋を出て行った。
結局、誠司がリサと別れた理由はよくわからなかったが、リサの背後には得体の知れない大きな「何か」があって、彼はその「何か」を俺に調べてほしいと言うことのようだった。
気になる気持ちはわからないでもないが、今さらそれを知って彼はどうするつもりなのだろう、という事の方が気がかりだった。
私怨は恐ろしいというのは、今回の事件で鈍い俺も身に染みていた。
そしてその「何か」を調べる意欲は、もうその時の俺には残っていなかった。
「期待してくれるのは嬉しいけど、買いかぶりすぎだよ」
と小さくため息をついた。
俺は、日々の忙しさの中で、この日の誠司の依頼を忘れていった。
この時すでに「フラグ」は立っていたのかもしれない。
その2週間後、誠司は突然会社を辞めた。
それから彼の行方は誰も知らない。