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通過儀礼

作者: 第三高速

 暖かな空気に割り込んでくる冷たい風が心地よい。今日は通過儀礼には良い天気だ。

 ただし、今回はいつもと違う。私が通過する側であるということだ。


 私達の通過儀礼について少し触れておこう。それは高所から飛び降りるという単純なものだ。しかし、勇気がいるのは当然として、気象条件にも左右される。会場となる高所から地表と太陽のいずれも見えている場合には儀式が開催されないことになっているらしい。このおかげで、飛ぶ勇気を持つものでも長期間待たされたり、逆に1日に大量に通過せざるを得ない状況が発生したりするのだ。

 そしてもう一つ。どう飛ぶべきか、という点だ。儀式である以上、飛べば終了、ではある。しかし挑める機会は一生に一度しかない。美しく飛びたいと考えて当然だ。ではどう飛べばよいのか。それは、長時間飛ぶことだ。より強くなる落下中の恐怖に耐える姿を見せるために。そして、一度しかない機会を多くのものに見てもらうのために。比喩的な表現だと思っているが、「地表を照らす光」なんて言われることもある。長時間飛ぶには地表からの距離を確保すれば良い。会場の選択も鍵なのだ。


 私にもいよいよその時がやってきた。

 気持ちを落ち着かせ、静かに飛び降りる。

 いい感じだ。落下の間、この景色を目に焼き付けておこう。良い感じでこの儀式を終えられそうだ。


 しかし、次の瞬間、体に衝撃が走り、目の前が真っ暗になった。なんだ、まだ落下時間は残っているはず、いや、でもこの感触は、、。


 後で聞いた話によれば、私は降下の途中にヒライシンというものに吸収されたらしい。このおかげで、私は中途半端な通過儀礼をしたものとして笑いものになっている。二度と戻れない「雲」を見るたびに憂鬱になるのは、勘弁してほしい。雲を見ない日なんてほぼないではないか。


 そういえば、私達はヒトと呼ばれる生物から「カミナリ」と呼ばれ恐れられているらしい。

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