かの有名なトロッコ問題は、勇者物語にとても似ている気がする。
無力だった。
瘴気に触れ、ヨスミの体が徐々に黒い斑点で覆い尽くされていく姿をただ見ていただけの自分が。
悔しかった。
瘴気に飲まれた魔物を相手に一歩も動けなかったことに。
あれからずっとヨスミに鍛えてもらい、自らの強さの高みを目指し続けた。
守るべき存在がまた一人増えたから、その分強くなるために。
相手は竜樹根。
とても希少な魔物で、強さもUランクではあるけど実際はAランク相当の魔物。
私はその1個下のBランク冒険者だけど、それでも自らの実力は高められたと思っていた。
でも、いざというとき、わたくしの足はすくんでしまった。
瘴気に触れれば、決して消えることのない激痛を伴う黒斑の呪いを発症してしまう。
もしそんな呪いを身に受けてしまったら、わたくしは冒険者としての活動は出来なくなる。
そんなことになったらわたくしの価値は・・・、わたくしの生きる意味は・・・。
そう考えてしまうと、どうしてもその一歩を踏み出せなかった。
でも、ヨスミは何の迷いもなく踏み出していった。
己の信念のため、踏み躙られたあの竜を救うために。
そして何よりも、わたくしたちを守るため。
あのまま竜樹根と戦闘になれば、間違いなく瘴気に触れて呪いを発症する者が出てきただろう。
それはハルネかもしれないし、フィリオラ様かもしれないし、わたくしかもしれなかった。
確実に犠牲が出る戦いであったことは明白だった。
それでもヨスミは立ち向かっていった。
まるで勇者のように、どんな脅威に晒されても守るべき者を守るため、己が傷つくのを躊躇わず、その身を犠牲にしてでも戦い抜いたとされる英雄・・・。
でも結果として、世界を守るためにその身を犠牲にして魔王を討ち果たした。
勇者の死と引き換えに、世界は滅びの運命から救われたのだ。
この人は、己が信じるモノのために、己の大切なモノを守るためなら進んで犠牲になる・・・、そんな人だ。
他の人にとって、それは素晴らしい自己犠牲で、誇りある行動に見えるかもしれない。
わたくしだって、そういった冒険の物語の美談に感動し、賞賛すらしていた。
でも、実際にそんなことをする人が目の前に現れ、そこで初めて自分がなんて愚かな考えを持っていたのかわからされた。
誇りある死? 皆を守るための犠牲? ふざけないで!!
そんなことのために、命よりも大事にしたいと思える人を失えというの?!
皆が救われるなら、喜んでその身を盾にしましょう?
世界が平和になるなら、喜んでその命を犠牲にしましょう?
さすれば英雄となり、人々から未来永劫称えられるでしょう?
ああ・・・、これはかつてのわたくしもそう信じていた思念の1つ。
それが当たり前だと信じてやまない、愚かな過去のわたくし・・・。
やっと、わたくしは自分自身の本当の”瞳”を持てた気がします。
この瞳に映る違和感に、やっと気づくことができた・・・。
やるべきことも、進むべき道もはっきりとした。
これ以上、わたくしは止まることは許されない。
この人は決して止まることなく、歩み続ける。
そんなあなたの隣を、これからもずっと共に歩み続けるために。
そして、わたくしがこの人を守る。守り通さねばならない。
愛しいこの人を犠牲に、世界に安寧が持た晒されるのなら・・・
わたくしはそんな世界など、――――――壊れてしまえばいい
「レイラお嬢様!」
ふとハルネに呼びかけられ、我に返る。
フィリオラが急いで駆け寄ってきて、レイラに抱き抱えられて横になっているヨスミへ治癒魔法を掛け始めた。
「ハル、ネ・・・?」
「黒斑の呪いは・・・ないみたいね。なら、治療はできるはずだわ・・・。だからしっかりしなさい、レイラ!まだヨスミは死んではいないわ!」
「フィー、様・・・?」
ハルネは自分が来ていたローブを脱ぐと、それをレイラに掛ける。
その時初めて、自分が酷く震えていることに気付いた。
歯止めの効かない体の震えに、どうすればいいのかわからず茫然としている。
「レイラお嬢様、もう大丈夫です!瘴気もなくなり、竜樹根も倒され、そして何よりヨスミ様もご無事です!」
「ヨ、スミ・・・?あ、あなた・・・」
抱き抱えているヨスミの方を見る。
流れ出ていた血も止まっており、気絶しているのか今は静かな寝息を立てていた。
レイラはヨスミの頬を撫で、頭を摩り、もう一度抱きしめてヨスミの心臓の鼓動を確かめる。
ヨスミの体から伝わる体温と心臓音に、体中の震えがようやく止まった。
「よかっ、た・・・。」
「でも、安心するにはまだ早いわ・・・!」
そこで初めて、地面が揺れていることに気付き、急いで周囲を見渡すとその空間が崩れ始めていることに気付いた。
「このままじゃ生き埋めになるわ。なんとかヨスミを起こして転移を使ってもらいたいけど、今の状態からして無理そうだし・・・。」
突如、竜樹根の体から濃密な魔力と生命力が溢れ出し、その余波を4人は浴びる。
体の奥底から漲るような感覚に襲われながらも、その濃密さゆえに酔いのような酷い倦怠感に襲われる。
「うぐっ・・・、汝、我らを守る力を今ここに顕現せよ・・・<魔法障壁>!」
ハルネがフラフラしながらも、4人を包む魔法障壁を作り出した。
それにより幾分か状態はマシにはなったが、根本的な解決には至らなかった。
「ぐ・・・、それにあれから溢れてくる濃い魔力と生命力をこれ以上浴び続けたら、レイラたちが危ないわ。ここから地上に向けて私の全力を放てば・・・、でも今、こんな濃密な魔力が漂う密閉された空間でそんなことをしたら何が起きるか・・・。それに、徐々に息苦しくなってきたし、時間も残されてない・・・。」
徐々にその空間に満ちていた空気もなくなりつつあったため、それが更にレイラたちを苦しめる原因の一つとなっていった。
その揺れも徐々に大きくなっていき、そしてとうとう天井の一部が大きく崩れ始めた。
もはや猶予さえないと、フィリオラが天を仰ぎ、大きく口を裂いたその時、後方の壁が崩壊し、無数の巨大な樹の根が現れた。
新手なのかとレイラとハルネは警戒したが、フィリオラは裂いていた口を閉じ、一安心するとその樹の根に触れる。
「安心して。これはおじいちゃんの根っこよ。だから早くこっちに!」
「あ、はい!」
レイラとハルネがヨスミの肩を抱き上げると、なんとか樹の根まで到着した。
すると、樹の根は4人を包み込むように根を張り巡らし、それは籠の形を成すとそのまま持ち上げていく。
地面の中を上昇していく樹根の籠はやがて地上へと到着したのか、巡らせていた根を解いた。
隙間から差し込む光がとても眩しく手で顔をかざした。
「うむ・・・、皆なんとか無事のようじゃのう・・・。」
心配そうにそう語り掛けてくる古霊樹の存在を確かめ、今度こそ安全だとわかり、全員その場に崩れ落ちた。
「た、助かったわ・・・。」
「あのまま埋もれてしまうのではないかと思いました・・・。」
「・・・・。」
レイラはヨスミに膝枕をしながら、天を仰ぐ。
あなた、わたくしは今よりももっと強くなります。
強くなって、あなたにこれ以上無理をさせないよう頑張ります
だからどうか、今度はその身を犠牲にするような真似はしないでください。
もしそうなった時は、あなた一人ではなく、どうかわたくしも一緒に連れて行ってくださいね。
あなたを1人には決して致しません・・・。
レイラはそう思いながらヨスミのおでこに顔を近づけると、そのままピンク色の柔らかい唇をそっと優しく口付けした。