わたくしはまだ【完璧な淑女】とはいえないかもしれないですわ・・・。
門の前で騒ぐ兵士たち。
それを必死に抑えている門兵らだったが時間の問題だろう。
「何をしているのかしらぁ~?」
そう言いながら、使用人たちを引っ提げてやってきたユティス公爵夫人がその場に姿を現した。
「我らはガヴェルド王直属の聖騎士である!ここに大罪人であるリヴィアメリアを逃がした罪人のヨスミが来ていることはわかっている!」
「さっさと人間風情を差し出せ!それこそがタイレンペラー王家に仕えし公爵家の務めだろうが!」
「貴様も獣人だろう?!我が国を襲った災厄は全獣人にとって憤りを覚えるほどの大惨事だ!異種人らを庇うこともないだろう??」
なるほど、あの子が言っていた通りね。
こんな会話を今のあの子に聞かせていたらどうなっていたか・・・。
あの瞳はもう余裕が一切感じられなかった。
きっと、この時点でここの兵士らを全員斬り殺していたかもしれないわね・・・。
「ここはぁ~、フォートリア公爵家のぉ~、敷地内なのぉ~。それにぃ~?あなた方の言っている大罪人って子はねぇ~?この事態を終息へ導いたぁ~、英雄なのよぉ~?それを大罪人~・・・?それはぁ~、一体ぃ~、何のぉ~、冗談かしらぁ~?・・・ねえ?」
最後の言葉一つでその場の空気が凍り付く。
先ほどまで勢い付いていた兵士たちもユティス公爵夫人から漂う、全身を突き刺すような鋭い殺気に思わず生唾を飲み込む。
気が付けば体中が震え出し、門越しから彼女に向けられている怒りが宿る視線に溜まらず後退りした。
ユティス公爵夫人は口元を扇子で隠し、豚を見るような冷ややかな目で震える小鹿のような兵士らを睨みつける。
「弁明してみなさい、雑兵どもが。この国の一大事にいち早く気づき、その身をもって事態を終わらせたのは私たちなの。その間、あなた達はこれまで何の支援もしてこなかったわ。それなのに全てが終わった後で英雄気取りのまま、英雄らを非難するのね?本当に落ちぶれたものだわ。」
彼女が一言喋るたびに、兵士らの精神力が削られていくようで、冷や汗が噴き出し、その場に立っていられなくなったのか幾人かの兵士たちはその場に膝から崩れ落ちる。
「なんともまあひ弱な雑兵ですこと。こんな言葉遊びで疲れるの?奴らはこんなもんじゃなかった。私の言葉を聞いても奴らは殺気を振り撒きながら襲い掛かってきたの。それがどんな意味かわかる?」
「い、・・・いえ・・・・!」
「私がただ喋っているだけであなた達がそんなにも疲弊しているのなら、あなた達は間違いなく生き残れていないでしょうね。喉を裂かれ、腹部を突き刺され、手足を捥がれ、玩具の様に嬲り殺されていたでしょう。本当によかったわね?そんな目に遭っていたのが私たちの兵士・・・家族たちだけで。」
「・・・す、すみま・・・せん・・・でした・・・!ふ、夫人・・・!」
「あ、がっ・・・!?」
「・・・さっさと帰りなさい。そしてこんなことを命令したあんたたちの指揮官、その上官、そしてガヴェルド王に伝えて。もし次同じようなことをしてきたのなら、あなた達の元に帰るのは生きた兵士じゃなく、生首の兵士らだってね。」
そう言い終え、扇子を畳むといつもの穏やかな笑顔へと戻った。
刹那、辺りを漂っていた殺気は消え、兵士たちも解放されたようで大きく息を吸っていた。
全員息を整え、フラフラとした足取りでその場を後にした。
彼等がふらつきながら帰っていく後姿を見送っていると、そこへレイラが様子を見にやってきたようだった。
「ユティス公爵夫人・・・助かりましたわ。」
「大丈夫よぉ~、私もぉ~、すっきりしたわぁ~。」
ユティス公爵夫人はレスウィードでの戦いで、ガヴェルド王子に救援を要請していたらしい。
だが帰ってきた返事は拒否を意味する文面だった。
いつ行動を映すか分からないゲラルド王子を前に一人でも戦力を割いてしまえば、いざというときに劣勢に陥ってしまうからといったものだった。
だがゲラルド王子の軍は最後まで行動を起こすことはなく、そもそも最初の『悲劇の凱旋』以降、一度も表にその姿を晒していなかった事から、その時にはすでに死んでいたのだろう。
またゲラルド王子の正規兵らに自らの兵士を紛れ込ませていたガヴェルドらは、ゲラルド王子の死に関する情報は掴めていたはずだ。
その情報を掴んでいたのなら、ゲラルド王子の兵士が動くことはないとわかっていたはずなのに、戦力を割くわけにはいかないと公爵家の救援を跳ねのけたのだ。
それもあってユティス公爵夫人は、タイレンペラー王家への不信感は高まっていた。
「それにしてもぉ~、まさか本当にぃ~、こんなことがぁ~、起きてるなんてぇ~、驚きよぉ~。」
「私もですわ・・・。でもユティス夫人、あんな風に追い返してよかったんですの?」
「別にぃ~、何の問題もないわぁ~。もし本当にあのバカがぁ~、軍を差し向けてくるんならぁ~・・・その時は本当に容赦なく殺せばいいだけ、よぉ~。」
一瞬、冗談に聞こえない言葉が聞こえ、レイラの額に一粒の冷たい汗が流れる。
これは冗談なんかじゃなく、本気で言っているのだと本能で察した。
「それよりもぉ~、レイラちゃんの言ってたことはぁ~、本当なのぉ~?」
「はい。【青皇龍】の復活はメリアだけじゃなくフィーちゃんも感じ取ったみたいですわ。そして目を覚ました理由は【古獣の王】を癒すこと・・・。」
それを聞いたユティス公爵夫人は困ったような顔を浮かべ、何か考え込むように首をかしげる。
「それは困ったわぁ~、おそらくあのバカはぁ~、【古獣の王】がまだ生きていることとぉ~、今にも死にそうなほどの瀕死ってぇ~、それがわかったらすぐにぃ~、軍を差し向けてぇ~、止めを刺そうとぉ~、してくるわよぉ~。」
「・・・もしそうなったらこの世界は【眷属】たちへの対抗手段の一つを失ってしまいますわ。<メナストフ港町>で【眷属】が存在した事実が発覚した以上、今どれほどの【眷属】たちが活動しているのかも知る必要がありますの・・・。そして彼らについてもっと情報を集める必要も・・・」
「難しい顔をぉ~、しているわよぉ~、レイラちゃあん~。」
そういってユティス公爵夫人はレイラの事を抱き寄せる。
ドレスの上からもわかるユティス公爵夫人のモフモフした体毛のフワフワさ。
ユティス公爵夫人はそのままレイラの頭を撫でながら、言い聞かせるように言葉を続ける。
「私も協力するから焦らなくていいわぁ・・・。冷静さを失えば、破滅への道へとまっしぐらよぉ・・・?」
「ユティス夫人・・・。」
「うふふぅ・・・、それにぃ~、話は聞いているわぁ~。あなたのおかげでぇ~、真に獣帝国の滅亡は免れたってねぇ~。それほどまでにぃ~、あなたの旦那様ってぇ~、強いのかしらぁ?」
「はい。それは間違いないですわ。」
ユティス公爵夫人の問いに迷うことなく即答する。
そんな彼女の反応に、ユティス公爵夫人は思わず吃驚すると同時に笑いがこみ上げてきた。
「・・・あっははは!あなたぁ~、すごく旦那様が大好きなのねぇ~!」
「も、もちろんですわ・・・!わたくしの命よりも大事な尊い存在ですの!」
「だめよぉ~、あなたの命の次にぃ~、大事になさい~。自分自身を蔑ろにしたらぁ~、あなたの旦那様はぁ~、きっと悲しむわぁ~。」
「そ、そうですの・・・?」
「ええそうよぉ~、何せ私がこの身を持って体現しているからねぇ~。だからぁ~、あなたのその考えにぃ~、すごく賛同できるのよぉ~。」
「ユティス公爵夫人も、ですの・・・!?」
「あの時はぁ~、私も彼も若かったわぁ~。だからぁ~、大事にしないといけない物をぉ~、間違えてはいけないわよぉ~。私との約束だからね?」
綺麗な声も相まって、ゆったりとした口調から急にまじめな口調で話してくるからドキッとしてしまいますわ・・・。
でもユティス公爵夫人にもそのような過去があっただなんて・・・。
大事なモノ、その優劣を間違えない事・・・。
今はあまり考えられませんわ。
あの人がわたくしにとって全てなんですもの。
「・・・わかりましたわ。」
「うふふ、今はまだ理解できなくてもぉ~、仕方ないわねぇ~。でもきっとわかる日がくるわぁ~。」
そしてユティス公爵夫人とレイラは2人並んで屋敷の中へと戻っていく。
そこへ心配そうな表情を浮かべながらディアを抱いたジェシカがやってきた。
「お婆様・・・!」
「ママぁ・・・!たいちょーぶ?」
「ディア、それにジェシカも・・・。わたくしは大丈夫ですわ。それよりジェシカ、今すぐに<メナストフ港町>へ行く準備をするのですわ。」
「え?もう向かうんですか?」
「・・・明日の朝にはここを出ますわ。なるべく早く<メナストフ港町>へたどり着かなきゃいけないですわ。」
ジェシカへそうなった経由、その憶測を話す。
それを聞いたジェシカは納得したかのように頷き、ディアをレイラへと託すと自室へ戻っていった。
「ママぁ、どこかいぅの?」
「そうですわね。今すぐにいかなきゃいけないところがあるんですの。もちろん、今回はディア、あなたも一緒ですわよ?」
「わーい!ママぁー!いっちょ~!」
ディアはとても嬉しそうにはしゃぐ。
腕の中で楽しそうに暴れる姿を微笑ましく眺めながら、レイラも自室へと戻っていった。
まず向かう前にミミアンとハルネの元へと向かって、詳しい事情を説明したらすぐに出発した方がいいですわね。
ミミアンとハルネを連れていく・・・ことも視野に入れた方がいいですわね。
恐らく、わたくしたちに手が出せないとわかったら、次の手段に移るはず・・・。
ディアをミラに任せ、レイラは荷物の準備を進めていた。
こんな時間に、どなたですの?
フィーちゃんなら調べものに出ているはずだし、ユティス公爵夫人はジャステス公爵の世話のために寝室に戻っているはず・・・。
それに夕食の支度が出来たと言いに来るまでまだ時間はあるはず・・・。
・・・もしかして。
レイラは嫌な予感を感じ、腹部から百足竜のベオルグを呼び出した。
久々に姿を現したベオルグはレイラの目線を受け、状況を察するとディアネスを呼び寄せ、ディアを守るように蜷局を巻く。
完璧な要塞と化したベオルグの守りはちょっとやそっとの力じゃ破れはしないだろう。
そんなベオルグらの様子を確認し、意を決して扉の前まで音を立てずに静かに近づいていく。
扉の向こうで何やら小さなヒソヒソとした小言が聞こえてきた。
「・・・しかに、ここに・・・」
「いや、でも・・・、ここ・・・嬢の・・・」
「だからこそ、あの・・・・・・よせるための、人質・・・」
話は詳しく聞き取れなかったが、どうやらわたくしを人質にしてヨスミを捕まえようという魂胆らしい。
確かに彼の<転移>を防ぐために、あの忌々しい首輪をつけたはずなのに難無く<転移>を持って逃げられているからだ。
また居場所がわかっていたとしても捕まる前にまた別の場所に<転移>させられては捕まえようにも捕まえられない。
となると一番確実な方法として、彼の大事なモノを撒き餌に使えばいい。
そうして白羽の矢が立ったのはわたくし、それかディア・・・。
「本当に、本当に愚か。実に、愚かですわ・・・」
そう考えた時、すでにレイラから冷静さが失われつつあった。
彼女の表情から感情と言う感情が消え、ただ無を現した彼女の瞳に映るのは白黒の世界。
一歩、また一歩と扉へ向けて歩いていく。
近づいてくるレイラの様子に、ドアの前の彼等は気づいていない。
今の彼女の動きを察知するには、レイラと同じように音速を超えた神速の世界に足を踏み入らねばならない。
そんな速度を出せるのは事実上、レイラのみだけだ。
「せっかく、ユティス公爵夫人が見逃してあげたというのに・・・」
レイラの発する言葉一つ一つには令嬢のような気品あふれる言葉はなく、ただただ無常に無情で、相手を心底恨んだような黒い感情が込められたもの。
【完璧な淑女】たるレイラが発して良い言葉ではなかった。
扉を開くと、そこには使用人に扮したガタイの良い獣人たちと、目つきの鋭い獣人の計3名が互いに顔を合わせて何かを話し合っている姿だった。
レイラはおもむろに黒妖刀を抜き、目の前の獣人らへ刃を向ける。
「・・・死になさいですわ。」
そしてレイラは躊躇うことなく、彼等に黒妖刀を振り下ろしたのだった―――――。