わたくしは決めたんですの。
全てを読み終えた時、レイラの手が震えていることに気が付いた。
レイラは読み終えた手紙を持っていた手に力が入ったようで、クシャッと音を立てて手紙は酷く変形した。
「どうして・・・、なんでですの・・・!?」
「お母様・・・」
フィリオラがレイラの傍に寄るとそっと肩に手を置く。
その方は怒りと悲しみによって震えていた。
「せっかく、せっかくあの人との時間をこれから過ごせると思っていましたのに・・・どうしてこんなことに・・・!」
「あの時訪ねてきたのはそういった理由だったのね・・・。王都タイレンペラーは今、酷い混乱にある中、その責任を追及できる存在を探していた。元々ゲセドラ王子を公開処刑にでもするつもりだったんだろうけど、すでに息絶えていたからできなくなった・・・。」
「だからって・・・!!」
レイラは思わずテーブルに拳を叩きつける。
フィリオラがレイラと共に過ごしてきた中で初めて怒りを露わにした瞬間を目撃した。
その音にジェシカたちは目を覚ましたのか、ベッドの方で彼女たちが体を起こしているのが見えた。
「お婆様・・・?」
背後からジェシカの心配そうに呼びかけてくる声に、ハッと我に返ったレイラは深いため息をつくと気持ちを落ち着かせるように目を瞑り、深呼吸していた。
「ごめんなさい、ジェシカ。起こしちゃったかしら?」
「いいえ、眠りも浅かったですし、そろそろ起きなきゃいけませんでしたから・・・。でも、お婆様はなんで泣いているんですか・・・?」
「え・・・?」
その時、頬を伝う涙の雫に気が付いた。
慌てて顔を隠すかのように振り向き、フィリオラから手渡されたハンカチで目元を拭う。
その後、振り返りながら笑顔を見繕っていたがその表情はあまりにも無理があった。
「お婆様・・・何があったんですか?」
「え?あ、えと・・・」
「私から話すわ。お母様はひとまずベランダで気持ちを落ち着かせてきて。」
「・・・。」
レイラは一言も喋らず、暗い影をその綺麗な表情に落とし、部屋から出ていった。
残されたジェシカとエレオノーラたちに先ほど起きた出来事を話す。
テーブルの上にはレイラがクシャクシャに丸めた手紙が置かれ、ジェシカはそれを手に取ると丁寧に広げて手紙の内容を読む。
最後まで読み終えた時、レイラとは真反対の感情を見せていた。
「なんなんですかこれ・・・!なんでこんなことになるんですか!あのガヴェルド王って雄は獣人の話も聞かないほどの愚王なんですか!?あんな人が私たちの王だなんて・・・!」
「・・・まだわからないわ。でもガヴェルド王が絡んだ何かがパパ・・・ヨスミたちを襲ったのは確か。事の真相をしっかり把握しておかないと、後々取り返しのつかないことになるかもしれないわ。」
「事の真相なんて、わかりきっているじゃないですか!病室であの人と会った時に感じた、ドラゴンに対する軽蔑的な眼差し・・・それだけで十分です!それだけで、あの愚王がドラゴンという存在に全責任を擦り付け、ドラゴンへの憎しみを増長させようって魂胆だとわかるじゃないですか・・・!」
「・・・そうかもしれない。でも私たちはその場にいなかった。全て憶測で話をしているわ。ジェシカ、あなたも落ち着きなさい。」
「フィリオラ様は悔しくないんですか・・・!?せっかくお爺様が目を覚まして、これから楽しい時間を過ごせるはずだったのに、あの愚王のせいで・・・!!」
「・・・ジェシカの目には、私がそう言う風に見えるかしら?」
ジェシカへ静かにそう言い放つフィリオラの瞳はとても強い怒りの炎が燃え上がっているように感じられた。
「・・・ごめんなさい。私・・・」
「いいえ、ジェシカ。あなたが謝る事ではないわ。でも、もし事の真相が私の考えうるものなら・・・私は、生まれて初めて誰かを本気で憎むことになるかもしれないわね。」
フィリオラの拳は静かに、そして強く握られている。
その手をジェシカがそっと優しく包み込むように握った。
「ごめんなさい・・・、一番の年長者である私がこんなに乱れちゃいけないのに。」
「誰だって、自分の大切な人が危険な目に合っていると分かり、感情を揺さぶられない方がおかしいと思います・・・。」
「・・・ありがとう。」
フィリオラは優しく微笑み、ジェシカの頭を優しく撫でた。
「これからどうするんですか?」
「・・・そうね、私はどうしてそんなことになっているのか調べてくるわ。今のお母様にはきっと出来ないだろうから・・・。だから私が離れている間、お母様を御願いね?」
「・・・はいっ!」
そういって、フィリオラは部屋を出ていく。
残されたジェシカはベランダの方を見ると、小さく聞こえてくる彼女のすすり泣く弱弱しい声。
ジェシカの傍にエレオノーラがやってくると心配そうな声でつぶやいた。
「レイラ様・・・大丈夫なのですか?」
「・・・大丈夫であってほしいです。でも、心配でもあります。今までずっと我慢してきましたから・・・。それがお爺様が目を覚まし、ようやく解放されたと思った矢先に今回の出来事ですから・・・、私たちがなるべく傍に居て揚げないときっと・・・」
「そうだね・・・。」
と突然背後から聞き慣れた声が聞こえ、振り返るとそこにはヨスミの姿があった。
「お、お爺様・・・!?な、なんで・・・ぶ、無事なのですか!?それに、その首輪は・・・!?」
ジェシカは思わずヨスミへ駆け寄り、体の彼方此方を見ながらふと首の方へ注意が向いた。
ヨスミの首には黒い鉄のような何かで出来た首輪がはめられており、所々に青い宝石がはめ込まれていた。
「転移石の使用を封じるための魔道具らしい・・・。僕にも詳しくはわからないけど、不意を突かれてしまってこれを嵌められたんだ。まさか僕の<転移>にも作用するとは思わなかったけどね。」
「転移石を阻害するための魔道具・・・確かそれって極悪な囚人に付けられる拘束具だって聞いたことがあります・・・!でもまさかそれを付けるだなんて・・・!」
「なるほど、囚人用にか。確かに脱獄した囚人が転移石を使って逃げることもあるか。もしそうなったら捕まえるのも困難になるわけだ。」
「そんな関心してていいのです・・・!?でもそれならどうやって・・・」
「転移石と僕の<転移>は根本的に違うみたいだ。無理やり使ってみたら使うことができたよ。ただ、体への負担がとてつもなく大きくて多用できないけどね・・・」
確かにヨスミの体が多少ふら付いている。
だがそうなるとわかってでもヨスミはここにきた。
目的は明白、彼が視線を向ける先にレイラがいるのだ。
「・・・お婆様はベランダにいらっしゃいます。」
「ああ、そのようだな。すまない、もう少し君に構ってやりたいが時間がないんだ・・・。」
「私なら大丈夫です!ですから早くお婆様を・・・!」
「・・・ありがとう、ジェシカ。」
そういって優しく微笑み、ジェシカの頭を優しく撫でる。
その後、ヨスミはジェシカたちの元を離れ、ベランダに通じる扉に手を掛けるとそのまま開けてベランダの方へ出ていった。
「ジェシカちゃん・・・。」
「大丈夫です。お爺様にこうして頭をナデナデしてもらいましたから!それよりも、お婆様が心配です・・・。」
「レイラ様なら大丈夫です。ヨスミ様が来てくださいましたから・・・。」
「・・・うんっ」
そういって、ジェシカは両手で顔を覆い隠す。
そんなジェシカの小さな背中にエレオノーラはその手を添えて、優しく宥めた。
(メリア様・・・。)
彼女の心にはヨスミともう一人、リヴィアメリアの安否を心配していた・・・。
・・・あなた、どうしてあなたばかりそのような目に合うんですの?
あなたは何もしていないではありませんか・・・!
ただ獣人たちのために、その危機を知らせにいっただけなのに・・・!
なのにどうして・・・!!
「うぅ・・・、うっ・・・」
「レイラ・・・。」
「・・・っ!?」
突然、背後から聞こえる愛しい人の声。
思わず振り向くとそこにはヨスミが優しく微笑みを浮かべながらレイラの方を見ていた。
彼女は居ても経っても居られず、ヨスミの元へ駆け出した。
そのままヨスミに抱き着き、彼の胸元に顔を埋めながら涙を流す。
その時、こつんと頭に何かが当たり、顔を上げると首にはあの忌々しいモノが付けられていた。
「そ、それは・・・!?」
そう、レイラもかつてその首輪を付けられていたのだ。
奴隷として過ごしていた幼き日に、奴隷全てに強制的に装着された拘束具。
「なんで、それを・・・」
明らかに狼狽えているレイラを優しく抱きしめ、彼女の気持ちを落ち着かせようと耳元で何度も「大丈夫」と言葉を掛ける。
「アイツらは転移石で逃げられないようにって言っていたよ。僕は転移石をふんだんに使っていると勘違いしていたみたいだったから。」
「な、ならどうして・・・」
「僕にもわからない。ただ転移石と僕の使う<転移>という技は根本的に違うみたいで、無理やり使おうと思えば使えるみたいだ。おかげで君の元に一時的にだけど戻ってこれた。」
「い、一時的・・・?それに無理やりって・・・お、御体は大丈夫なんですの・・・!?」
「僕なら平気だよ。君がこんなにも苦しい時に傍に居てやれない事の方が問題さ。そしてこの首輪を追跡できるみたいでね。奴らに僕の居場所が丸わかりみたいなんだ。だからあまり長く君の所に居られない・・・。」
ヨスミは申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
それと同時に微かに冷や汗が額から流れている。
かなりの無理をしているのだろうとすぐに察しがついた。
だがそうしてでもヨスミはわたくしの元に来てくれた。
胸が張り裂けそうな、息をするのも苦しくなるほど嘆いている自分の元へ駆けつけてくれたのだ。
そう考えただけで、先ほどまで悲しみと憎しみに沈みかけていた自分の心が晴れていくのがわかる。
「一体何があったのか聞きたいところですわ。でも、それを説明する時間もきっとないのでしょう?」
「・・・ああ。」
「ならあなた。行ってしまう前にわたくしにキスしてくださいまし!」
「お安い御用だよ。」
夕陽を背景に、2人の影が重なり合う。
ほんの数秒ではあったが、黄昏時ということもあって非常に長く感じられた。
「きっと僕がここに来たとガヴェルド王の兵士らが来ると思う。本当は会いに来てはいけないはずだったんだが、君の泣き声が聞こえたと思ったらここにいたんだ。すまない・・・」
「謝らないでくださいまし。わたくしもあなたと同じ状況だったらきっと・・・いえ、必ず来ていましたわ。兵士たちならわたくしに任せてくださいまし!」
「・・・わかった。僕はこの首輪を外す方法を探しながら<メナストフ港町>・・・だっけ?そこに向かうよ。君の声はずっと僕に聞こえている。これまでも、これからもずっと。だからもし何かあったときは迷わず僕の名を呼んでくれ。助けてと言ってくれ。」
「それは最後の手段に致しますわ。今はあなたがくれたこの暖かな感触、温もりがあればなんだってできますわ!」
そう言いながら胸を張る。
そんな彼女の姿がおかしかったのか、ヨスミは思わず吹き出す様に笑った。
「・・・あなた、ありがとう。ミミアンの住まう国に慈悲を掛けてくれて。」
「礼を言われるようなことじゃないよ。君の大事なものは僕にとっても守るべき価値のあるものだからね。それじゃあ僕は行くよ。なるべく早く終わらせる。じゃないと僕が寂しいんだ・・・。」
「あらま、そうでしたの?なら仕方ありませんわね。・・・わたくしも、待っていますわ。」
そうしてもう一度2人はキスを交わし、その直後、ヨスミはそのまま<転移>した。
確かに口元に残る彼の唇の感触、温かさ。
そのぬくもりをしっかりとこの身に刻み、大きく息を吐く。
すると、ベランダ越しから無数の兵士たちがフォートリア公爵家の門へ集まっている様子が見えた。
その瞬間、彼女の持つ感情から一つ、スッと消えていくのを感じた・・・―――――。