あれが、【眷属】・・・ですの?
「奴らが来る様子がない・・・。そもそも気配すら感じないってどういうこと?」
ルナフォートとカゲロウが身構えながら待っていても【狂獣人】たちの駆ける<死の行進>は最後まで来ることはなかった。
ついさっきまで、自分たちを食い殺そうとすぐそこまで迫ってきた奴らが急に大人しくなるなんて、ありえるのだろうか・・・?
「・・・ふむ、来ないなら来ないで好都合だ。今のうちに【古獣の王】の体内へと入ろう。」
『お願いィ・・・そろそろ・・・腕・・・限界ぃ・・・!!』
上顎を必死に持ち上げて口を無理やり開いてくれている腕はプルプルと震え始め、【海濤揺らす白鯨】の表情からは余裕が完全に消え、いつ腕の力が抜けて口が閉じるか分からない状況だった。
「ああ、ごめんなさいですわ。」
「ごめんなさい、今行きます。カゲロウ、行くわ。」
「了解しました。」
レイラたちは急いで【古獣の王】の開かれた口へと入っていく。
ゴツゴツした舌の上に乗り、ゆっくりと慎重に上がっていく。
全員が【古獣の王】の口内に入ったのを確認し、
『後は・・・お願いぃ・・・!メナス、お兄様を・・・助けてぇ・・・!!』
と頼み込むように声を絞り出した後、上顎を持っていた【海濤揺らす白鯨】の胸ヒレが外れ、勢いよく口が閉じられた。
その衝撃で舌の上を上がっていたジャステス公爵たちはその振動に転倒しかけるも、なんとか舌にしがみ付いて耐える。
「皆、無事か?後少しだ。」
ジャステス公爵はみんなを励ましながら、階段のようになっている舌の上をゆっくりと登っていく。
レイラたちもジャステス公爵に続くように階段を登っていき、全員が上り終えると目の前に喉と思わしき通路が目の前に広がっていた。
ジャステス公爵は先頭に立って、慎重に進んでいく。
まるで迷路のようになっている【古獣の王】の体内は生き物の体内とは思えないくらい複雑で、また時たま伝わってくる振動の鼓動に合わせて周りの肉片が蠢き、歩く足場もグニャグニャと歩きにくいうえに今にもレイラたちを押し潰してきそうな不安が過るため、思うように足が進まない。
だがある程度進んだところで、何かを見つけたジャステス公爵は立ち止まった。
「・・・本当にここは生物の体内なのか?」
「どうしたんですか?公爵閣下。」
「これは・・・扉のような膜?それにしても大きい・・・。」
彼等の前に現れたのは巨大な三つの膜があり、その膜の先にも通路が続いているようだ。
「どうやって開けばいいんですの?」
「さあ・・・?思いっきり叩いてみたりとか?」
「そもそもこの膜は開くのでしょうか?」
「・・・では私が切ってみます。」
「ではベラドンナ卿、真ん中の膜を攻撃してくださいます?」
レイラは真ん中の膜を指さし、その膜を攻撃するように指示を出す。
「レイラ嬢、真ん中にした理由はなんだ?何か理由があるのか?」
「・・・わたくしのこの【幻想眼】ですわ。この瞳を通して、3つの膜を見た時に、真ん中の膜だけが禍々しく感じられたんですの。」
そういって、レイラは右目に浮かび上がった竜と妖精が入り混じったような紋章が浮かぶ瞳をジャステス公爵に見せる。
またレイラから漂う、感じたこともない魔力の性質に少しばかり気圧された。
その後、ジャステス公爵は促されるようにレイラは真ん中の膜を凝視する。
「・・・わかった。ベラドンナ卿、真ん中を膜を攻撃してくれ。」
「はい、わかりました。」
そういってレイピアを抜き、自然な動作で華麗にレイピアを構える。
真ん中の膜の前に立ち、神経を集中させると軽く、だがそのレイピアからは重圧を漂わせ、一点に集中してレイピアを握る手に力を込め、だが腕の力は脱力させていく。
「・・・アルトリアス流剣術、<連続突貫刺>!」
ベラドンナ卿が放つ連続した突き攻撃は、そのあまりの速さに無数の攻撃が残像のように見える。
その突きを受けた膜は少量の血を吹き出しながら破けていくと大きく破裂し、膜がズタボロになった。
だが少し経つと、徐々に膜は再生を始めていく。
「・・・【古獣の王】様には悪いですが、攻撃して膜を破いて通っていけば良さそうです。」
「そのようだな。さあ、行こうか。」
そうしてレイラたちは膜が完全に再生する前にズタボロに破けた膜をくぐっていく。
最後尾にいたフィリオラが通り過ぎたと同時に、膜は瞬時に再生するとそこには何事もなかったかのように膜が張り直されていた。
レイラたちはそのまま肉道を進んでいくと、先ほどとは違って新鮮な肉の道はどんどん禍々しく変色した肉の道に変わっていく。
またその肉の道を進んでいく毎に、外で感じた体への負担は強くなっていき、また黒い灰が見え始めてきた。
誰もがこの先にいることを確信し始め、そして一行はまた大きな膜の前までやってきた。
その膜からは全身を襲う重圧に加え、肌を突き刺す様な殺気を感じ始める。
”・・・この向こうにいる。”
誰もがそう察する。
「・・・いるな。」
「ええ、居ますわね。」
「パパ、その腕で本当に戦うの?」
「当たり前だ。ここで奴を討たねば、獣帝国に未来はない。例え刺し違えてでもやらねばならぬ。良いか、ベラドンナ卿。我らはここで死を覚悟せよ。決して【眷属】を逃がすな!」
「はっ!」
「ねえ、フィーちゃん。」
レイラは不安そうにフィリオラへと話しかける。
そんなレイラの手を握り、優しく微笑みかけた。
「大丈夫よ、お母様。何が起きようともお母様だけは絶対に助けるから。」
「それはダメですわ・・・。わたくしだけじゃなく、皆で生きて【古獣の王】の体内から出ることが重要ですの・・・!」
「・・・そうね。でも、さっき言った言葉は本当よ。もしみんなが死んで、どうしようもない状況になった場合、お母様だけは無理やりにでもここから脱出させるから。」
「フィーちゃん・・・。」
彼女の瞳からは強い決意を感じられ、もしそのような状況に陥った際は問答無用で実行するだろうと感じられる。
「・・・わかりましたわ。でも、最後まで諦めないでくださいまし。わたくしだって、弱くはないんですのよ?」
「それはわかってるわ。」
「あ、もしもの時はフィーちゃんをわたくしのお腹に入れますわ!」
「それだけはやめて?居心地は最高だったけどね?!」
「では開くぞ。」
そういって、ジャステス公爵は右腕の手甲に付いた大きな黒曜爪を膜に引っ掛け、そのまま綺麗に切り裂いた。
開けた膜の間をレイラたちは潜り抜けていく。
「うっ・・・!?」
潜り抜けた途端に、体にかかる負担が今まで以上の倍で、更にレイラは鼻につく悪臭に思わず鼻を塞いだ。
「お母様・・・?!」
「なに、この腐ったような臭い・・・気持ち悪っ、う・・・うおぇぇぇぇ・・・」
あまりの悪臭に耐え切れず、レイラは嘔吐する。
ハルネが急いでレイラの背中をさすり、ミミアンがハーブの匂いを染み込ませたハンカチを差し出した。
「レイラ、これを使って!」
「ミミアン・・・あなた、この臭いは大丈夫、なんですの・・・??」
「え?うん・・・うちには何も臭わないけど・・・。でも、さっきよりも体が凄く重い・・・」
獣人とはいえ、狼の獣人であるが故に嗅覚も鋭いはずのミミアンには何の影響もないというのはどういうことなのだろうか。
「ありがとう、ですわ・・・。」
ひとしきり吐いた後、ハルネからハーブ茶を渡され、それを受け取ると軽く口に含み、ゆっくりと飲んでいく。
胃酸で喉、胸が焼かれたような苦さを和らぎ、そしてすぐさまミミアンから渡されたハンカチを鼻、口を覆うようにして後ろの方でハルネがしっかり結んでいく。
「レイラ嬢、無事か?一体何があったのだ?」
「ジャステス公爵・・・、この生物が腐って放置された腐乱死体を一か所に集めた感じ・・・?【腐肉喰らいの魔犬】よりももっとひどい臭い・・・。そんな悪臭があの奥から漂っておりますの・・・。」
「・・・すまぬが、どうやらそのような臭いはレイラ嬢だけが感じるみたいだ。」
ジャステス公爵が言ったように、何か苦しそうに呻いているのはレイラだけで他のメンバーは【堕落した聖域】の強力なデバフを受けて気怠そうにしているも、レイラの様に臭いで苦しんでいる様子は見られない。
一体なぜ、レイラだけが悪臭に苦しめられているのか、その原因は掴めずにいたがこれ以上ここで立ち止まっていても仕方がない。
「レイラ嬢、無理せずここで・・・」
「いいえ、ジャステス公爵。わたくしなら平気ですわ・・・。さあ、いきますわよ。」
「・・・わかった。」
ハルネの手を借りて立ち上がり、若干ふら付きはするものの、その瞳には強い決意を抱いていた。
そして一行は通路を進んでいく。
段々と体中を蝕む恐怖は強くなっていき、そしてついにその元凶と思わしき存在が居ると思わしき広場へと出る。
広場に出るとすぐに目に入ったのは、上空を飛び回る白い炎ような何か。
直感でそれは、<獣人の魂>であることを悟った。
「これが、【古獣の王】に呑まれた者らの魂、か?魂のなんと美しい輝きよ・・・。」
ジャステス公爵は思わずつぶやいてしまった。
だが、次の瞬間、どこからか黒い液状の触手のようなものが真っすぐに魂に伸び、<獣人の魂>の1つを突き刺した。
「あっ・・・!」
ミミアンが思わず声を漏らす。
先ほどまで白かった<獣人の魂>は突き刺された途端に真っ黒に染まり、形が崩れていくとそのまま霧散した。
「ああ・・・そんな・・・。」
つまり、誰かの<獣人の魂>は輪廻に帰ることなく、完全なる死を迎えることになったということだ。
だがそれがどうしたと言わんばかりに、黒い触手が次々と伸び、<獣人の魂>を突き刺しては穢し、黒く染まった魂は虚しく霧散していく。
そして他よりも小さな<獣人の魂>に向かって、黒い触手が伸びていくのを見たジャステス公爵は
「・・・っ、やめろぉ!!」
ジャステス公爵は堪らず跳躍し、黒い液体の攻撃を防ごうと右腕の黒曜爪を黒い液体へ振り下ろした。
「ぐっ?!」
だがジャステス公爵の攻撃は弾かれ、彼の目の前で小さき無垢なる魂は穢され、堕落し、霧散せずにそのまま黒い触手に取り込まれると引っ込んでいった。
次の瞬間、ジャステス公爵に向けて4本の黒い液状の触手が伸びてきた。
「ぬぉおお!!」
左腕がなく、右腕しかないのにそんな損失を物ともしない体捌きで黒い触手をうまく受け流し、最後に黒曜爪で今度こそ切り裂き、黒い触手の1本を切り落とした。
だが切り落とされた黒い触手はただの黒い液体となって形が崩れ落ちた。
ジャステス公爵はそのままうまく着地し、急いで立ち上がった。
『・・・ぬぅん?なぁんだ?』
黒い触手の主と思わしき何かがゆっくりと振り向く。
「あれが、【眷属】・・・・」
「【怪物】が生み落とした存在・・・」
全身が黒い液状に包まれ、背中からは何本もの黒い触手が蠢いており、頭と思わしき部分は白い破片がまるで仮面の様に張り付いており、それらを動かしながら表情を作っているようだ。
手は3本生えており、右腕は1本、左腕が2本生えており、足は右に3本、右に2本、計5本という、手足は左右非対称で歪な姿を成していた。
そして下半身は腐って溶けているかのようにドロドロに溶けており、それは【古獣の王】を侵蝕するかのように根を張っていた。
レイラたちの前に【眷属】がその悍ましい姿を晒したのだった―――――。