人は信じることで強くなれる生き物なのですわ
話がまとまり、ジャステス公爵が文を書いている間、レイラは屋敷の中の状況を見ることにした。
2階、こちらは重傷者と思わしき怪我人らが敷き詰められている。
その主な内容は噛まれたり、引っかかれたりした部位を鋭利なモノで切り落とした者が殆どのようだ。
そのせいで傷口から感染症を引き起こしたり、出血多量で意識不明だったりと、状態は芳しくない。
今にも死に掛けている者、襲われた時の記憶がフラッシュバックして暴れ出そうとするものもいる。
そんな彼らを必死に世話をしている使用人たちの慌てた様子であっちこっちにてんやわんやしている姿が、このエリアの悲惨さを物語っている。
途中、使用人たちは布に包まれた何かを運んでいる姿もあり、咄嗟にそれは治療が間に合わず、死んでしまった者だということがわかった。
「・・・悲惨ですわ。」
「そうですね・・・。ここまで忙しくしているメイドの方々を見るのは初めてです。」
「この有様はまるで戦争でもしているかのようね。」
「・・・彼等は一体誰と戦っているんですの。敵は、一体誰なんですの・・・。」
「敵、か・・・。」
そういってフィリオラは窓の外を見る。
そこには未だに微動だにしない、【古獣の王】の姿が見える。
「この異変を引き起こした奴、そいつただ1人だけよ。」
だがフィリオラの視界には【古獣の王】は映っていなかった。
その背後に居るであろう、黒幕。
目を細め、その者を強く睨む。
今、その黒幕はこの光景を見て笑っているのだろうか?
それとも愉しんでいるのだろうか?
この状況を見て、黒幕は何を思っているんだろう・・・。
その後、次の2階に降りるとそこには軽傷の方々が絶望に打ちひしがれたかのように項垂れていた。
正直、こちらの方が3階よりも雰囲気はかなり重い。
怪我が軽い分、今ここで起きていることを考える余裕が出てきてしまっているが故に、未来に希望を見いだせられないのだろう・・・。
その傷の多くは逃げ惑う最中にぶつかって転んだり、何かの破片で斬ったりといったものばかりだった。
奴らからの傷を隠して混じっているかもと思っていたが、どうやらその心配はいらないようで、そもそも奴らから傷を受けると、傷口がすぐに黒く変色し、そこから徐々に黒い紋様のような物が広がって戦徒の事。
またただでさえ、息苦しさと体の倦怠感で体を動かすことに違和感を覚えている中、奴らから攻撃を受けて傷を負った場合、もはや立つ事さえ難しいほど運動機能が低下することも踏まえると、傷を隠すことは不可能らしい。
また傷を受け、その部位を体から切断などで隔離できたとしても、黒い紋様が少しでも体に残っていた場合、そこからまた更に広がっていくそうなので、腕を構えた場合は腕その物を切り落とした方がいいらしい。
それゆえ、ジャステス公爵の左腕を切り落とした住民は英断だったと言えるだろう。
その後、1階に降りて大きな広間に出ると、その部屋に設置された大きなテーブルに着いた。
そこでレイラたちは今この町で起きている異変について話を纏めることにした。
「【狂獣人】が生まれた原因は、【古獣の王】が獣人たちの魂を喰らった事で引き起こされたこと、であっていますわね?」
「それで間違いありません。」
レイラの推測に応えるのはルナフォート。
彼女もこの町に到着して、独自で色々と調べているらしい。
「どういった原理化は分かりませんが、獣人の体から魂と思わしき青白い玉のような炎が出現し、それは【古獣の王】へと吸い込まれるように消えていきました。そして、残された体は現在の【狂獣人】と同じような挙動を取り始めたので、間違いないかと。」
「つまり、彼等は元”住民の成れの果て”ということね・・・。それに一度抜けた魂は元に戻るのかしら?」
「戻ることはないかと・・・。かつて一度だけ【古獣の王】が目覚め、同じような事変が起きた時、もし肉体から離れた魂が元の体に戻ったというなら、あれほどの死者数が記録されることはなかったでしょう。」
そう話すルナフォートはどこか悲し気な瞳をしており、その瞳は静かに揺れていた。
「・・・そして、【古獣の王】は王都で起きた【眷属の成れの果て】らの出現によって目覚めましたわ。【貪り歩く者】のような成れの果ては、あの白いゴーレムによって作られていたみたいですわ。その白いゴーレムにそういった指示をプログラムしたのが・・・」
「第一王子の下種猫・・・ゲセドラ王子ね。一体何をプログラムしようとしてああなったのかはわからないわ。でもあの下種猫に【眷属】に関する情報を伝え、その実験のやり方を教えた人物が背後にいるのは確かよ。じゃなきゃ、たかが王子である下種猫が【眷属】という存在を知りえることはなかったはずだわ。」
「ゲセドラ王子に【眷属】に関する情報を教え、それを復活させようと促した人物がいる・・・ということですね。」
ルナフォートはフィリオラにそう聞き返す。
それを受け、フィリオラは頷くことで返事を返した。
「少なくとも私はそう思っているわ。でも今は【古獣の王】をどうやって眠りに再び付かせられるか考えた方がいいわ。」
「そうですわね・・・。このままじゃ【古獣の王】に魂を取られてしまうのも時間の問題ですもの。再び眠らせる方法が分かれば、ある程度の事態は終息を迎えられると思いますわ。その部分について、ルナフォート。あなた、何かわかりませんこと?」
「古い文献を読み漁っていましたが、再び眠らせるにはやはり、【古獣の王】が起きざるをえなくなった原因をどうにかする必要があるかと思います。かつて一度だけ【古獣の王】が目覚め、再び眠りに付く要因となったのは王都で何か大きな戦いが起きたようで、それが終わると同時に【古獣の王】も眠りに付いたと文献にはありました。ただその戦いは何のために起きたのか、その時戦っていた相手はなんだったのかについては何の記載もなかったので、わかるのはそれだけですが・・・。」
「・・・【古獣の王】が眠りに付かず、未だに置き続けている理由だけでも分かればいいんですけど。」
色々と調べてみたが、結局話に進展はなく、ミミアンが文を持って部屋に入ってきたことで、この話し合いは中止することとなった。
その後、レイラたちはそれぞれ準備を確かめていると、ミミアンが心配そうにレイラの元へとやってきた。
「レイラ、準備はどう?」
「あら、ミミアン。わたくしはもうほとんど終わりましたわ。ところでどうしたんですの?」
「・・・ううん。ただ、不安で来ちゃった。」
「そう・・・。」
そういうとレイラは準備をしていた手を止め、ゆっくりと立ち上がるとミミアンの傍までやってくると、彼女の手を優しく握る。
レイラの手から伝わる温もりを感じ、ミミアンは緊張していた表情は次第に笑顔へと変わっていく。
「・・・えへへ、やっぱレイラの手ってあったかい。」
「当然ですわ。手だけじゃなく、心も温かいんですのよ?」
「それはとーぜんっしょ!だって、うちのこと、こんなにも大事にしてくれてるんだもん。そんな人の手が冷たいわけないから!」
「うふふ、ありがとうですわ。」
笑顔でミミアンにそう返したが、すぐさまミミアンの表情は今にも泣きそうなほどまでにくしゃくしゃに崩れていく。
それを見たレイラは、優しくはにかみながらミミアンをそっと抱き寄せる。
「ほーら、ミミアン。あなたにそんな顔は相応しくありませんことよ?」
「だって・・・。だって・・・」
どうやら、ジャステス公爵の状態を見て、色々と不安が募っている様だった。
まあ無理もないだろう。
レイラの中でジャステス公爵という存在はとても大きく、ある意味強さの象徴で心の支えでもあった。
そんなジャステス公爵は今や左腕を失い、戦闘能力もだいぶ落ちてしまっている。
今の彼は全盛期ほどの強さはなくなってしまった。
それを目の当たりにしてしまった、ジャステス公爵の娘であるミミアンはすごく衝撃的だったのだろう。
抱きしめるミミアンの体は微かに震えている。
「パパが負傷したって聞いて、でもきっと大丈夫だって思ってたのに・・・あんな姿になってて・・・うち、すごく怖くなった・・・。パパのような絶対的な正義の力を持っていても、通じない相手がいるんだって思ったら、うちの爪が通用するのかなって・・・。そう考えるようになって、そしたら色んな不安が・・・」
「あー、もう!ネガティブマインドはおやめなさいですわ。・・・確かにこの世には”絶対”なんてものはないものですわ。・・・だからこそ、それを”絶対”と言わしめるのはあなたの意思なんですのよ。」
「うちの、意思・・・?」
「ええ。あなたがそれを”絶対”だと信じ、貫くことができる強い意思があるならば、それは決して揺るぐことのない絶対不変な真実へと変わるんですの。いい?何が合っても、自分が信じたものを決して疑わない事。ミミアン、あなたはジャステス公爵閣下を ”絶対的な正義” であり、 ”力の象徴” だと信頼していますわ。どうかその意思を疑わないでくださいまし!そうすれば、あなたは何も恐れることなく、一歩を踏み出すことができるはずですわ。」
「・・・わかった。うち、パパを信じる。もう悩んだりしない・・・!」
「よしよし、良い子ですわ。」
そういってミミアンの頭を撫でる。
そしてそっと離れようとした時、ミミアンは腕に力を入れていたようで離れることができない。
「・・・ミミアン?」
「あの、さ・・・。もう少しだけ、このままでもいい?」
「うふふ、こういう所は本当に変わらないんだから。」
そういってレイラはもう一度ミミアンのことを強く抱きしめる。
その温かな温もりを全身に感じ、ミミアンは心地よさそうに目を瞑った。
ジャステス公爵が倒れ、己が信じてきた信念が折れそうになり、怖くて震え、立ち止まっていたミミアンはそのぬくもりに当てられ、もう一度立ち上がる。
もう折れたりしない。
パパの正義は、力は、いつだって最強なんだから・・・!!
あんなことで折れるパパなんかじゃない。
パパを信じない娘なんて、親不孝な事はもう絶対にしない・・・!!!
ミミアンの鼓動がどんどんと早くなっていくのを、レイラ自身も抱きしめる体から静かに感じていた―――――。