微かに動き出す、運命の歯車
ユリアとジェシカは十分堪能したのか、ベランダに居るレイラに挨拶して部屋を出ていった。
レイラは2人が出ていったのを見送り、部屋へと戻る。
ベッドに腰掛けると、ヨスミの頬に手を添える。
未だに眠り続けるお爺様兼、お父様兼、旦那様であるヨスミの寝顔をじっと見つめながら微笑む彼女の表情にはどこか哀愁を漂わせていた。
「ねえ、あなた。今回の旅はさすがに疲れてしまいましたわ。魔物がもたらす被害でゴブリンがとても醜く、酷いモノだと思っておりましたわ。まさかそのはるか上を行く光景を目にする日が来るなんて思いもしませんでしたの・・・。女性の腹部から子宮へ直接針を刺して卵を産み付けるんですの。考えられます?しかもそれで苗床となってしまった方々は亡くなることはなく、無理やり生かされ続けるんですわ・・・。自殺も許されず、そのために手足を折られ、顎を砕かれ・・・なんて、考えただけでも怖くて・・・すごく、怖くて・・・。」
ヨスミの手を取り、そっと自分の頬に触れさせる。
「恐怖で竦んでしまった、わたくしの心を・・・あなたの優しさでどうか慰めてほしいですわ・・・。大丈夫だよって暖かな声を掛けてくださいまし・・・。僕がいるよって、強く抱きしめてくださいまし・・・。」
「・・・・。」
「・・・わたくしはここにいますわ、ヨスミ様。だから暗闇の中にいるなら、どうかわたくしの声を頼りに、わたくしが握る体温を感じて、迷わずわたくしを感じる方へきてくださいですわ・・・。」
そう言いながら、レイラは眠るヨスミの唇に自らの唇を重ねる。
気持ちを落ち着かせようと、もう一度ベランダへ出ようと繋いでいた手を離そうとした時・・・
「・・・え?」
確かにレイラは手を離した。
だが、ヨスミの手は離れることはなく、むしろ強まっている。
「うそ・・・、あ、あなた・・・??」
「・・・。」
声を掛けるが、返事は返ってこず、未だに意識を回復する傾向も見えない。
それでも、レイラの手を握るヨスミにレイラは思わず涙を零す。
「ああ・・・、あなた。わたくしはここにいますわ・・・!」
「・・・。」
その言葉を聞くたびに、ヨスミの握る手に力が入っているように感じられる。
まるで先ほどの話を聞いたヨスミが、不安がるレイラを安心させようとしているように感じられた。
・・・きっと、この人にとってわたくしを慰めようとするにはこれが精いっぱいなのですわ。
未だに眠り続けているのに、わたくしの握る手から伝わる感情を無意識に察知してくれたのかしら?
だからこうしてわたくしの手を強く握りしめてくれて・・・。
「ああ・・・ヨスミ様。あなたがくれるこのぬくもりだけで、わたくしは何とか立ち直れそうですわ・・・。本当はあなたの声も聞けたら・・・、なんて。うふふ・・・、欲張りかしら。」
レイラは手を握ったままヨスミの隣に寝そべり、ヨスミの手を額に付けて瞼を閉じる。
先ほどまで情緒が不安定だったレイラの感情はいつの間にか安定し、気が付けば自然と深い眠りに誘われていた。
「レイ・・・姉様・・・!」
誰かに揺さぶられ、その重い瞼を静かに開く。
そこにはユリアが正装姿のまま、レイラを起こしに部屋に入ってきていた。
「ん・・・、ユリア?」
「はい、レイラお姉様。もう朝ですよ!」
「あれ・・・ああ、そうでしたわ。ハルネは今ヴァレンタイン公国へと戻って・・・ふわぁあ。」
ゆっくりと体を起こすと、ヨスミの手が力無く倒れたことに気が付いた。
「そっか・・・ずっと、わたくしの手を握り続けてくれていたんですの・・・。」
レイラは静かにヨスミの額にキスをし、ベッドから降りると大量のドレスが収納されているドレスルームへと入っていった。
「レイラお姉様、お手伝いは必要ですか?」
「そうですわね・・・。それじゃあお願いしてもよろしいかしら?」
「はーい!」
そういうと、ユリアもドレスルームへと入ってきて、レイラの着服の手伝いをする。
「未来の当主であるあなたにこのようなメイドの真似事をさせるのは気が引けますわね。」
「そんなの関係ないです、の!それに私にとってレイラお姉様は大事な家族なんです・・・の。レイラお姉様に甘えられるときには全力で甘えさせてください・・・の!」
「うふふ・・・。あなたがそれでいいなら、当主になるその時まで可愛い可愛い妹ですわね。当主となったその時は、誰も見ていないとき限定で甘えさせてもよくってよ?」
「わーい!ですの!」
「いつまで経っても可愛い妹ですわ。それに、その口調も頑張って定着させないといけませんわね。」
「うう・・・頑張ります、ですの!」
そう言いながら、ユリアは慣れた手つきでレイラへドレスを着させていく。
ハルネほどではないが、それは十分なほど見事な腕前だった。
「・・・レイラお姉様、もしかしてまた成長しましたですの?」
「あら、ユリアもそう思うかしら?このところ、胸辺りがどうも苦しく感じる様になったんですの。」
「レイラお姉様、もしよかったらなんですけど一度お姉様の体のサイズを隅々まで測らせてもらってもいいですか?ですの。ヴァレンタイン公国に戻った際、直属のデザイナーにドレスを発注しますので、ですの。」
ユリアの手にはすでにメジャーが握られている。
断れる雰囲気ではないようだ。
「・・・そうですわね。最後にドレスを買ったのももう1年は経ったかしら。」
「レイラお姉様って、ドレスとかアクセサリーとかそういったことにはあまり無頓着ですよね、ですの。」
「まあ、ご覧の通り、わたくしの体は殿方に見せられるような物ではありませんわ。まあ、見てくれる殿方がいなかった、と言い換えた方がよろしかったかしら。」
「・・・今は1人いるじゃないですか、ですの!目を覚ました時、綺麗に着飾ったレイラお姉様を見たらきっと喜んでくれますよ!ですの!」
「・・・そう、かしら?」
そこで初めてレイラの頬が赤く染まっていることに気が付いた。
どうやらその時の光景を想像したようで、照れているような恥ずかしがっているような、そんな感じにモジモジしていた。
「・・・何このレイラお姉様、くっそかわいいんですけど。」
「え・・・?何か言いまして?」
「いいえ!これはもうとびっきり可愛くして差し上げないと!ですの!」
「うふふ、お手柔らかにお願いしますわ。」
ドレスルームでイチャイチャしている声が聞こえ、外で待っていたユトシスは顔を両手で覆いながら、壁に凭れ掛かる。
「絶対私が外で待ってるってこと、忘れてるよね・・・。顔じゃなくて耳を塞いだほうがいいかな。」
「あ・・・、えと。ユトシスおうじさま?そんなところにしゃがみ込んでどうしたんですか?」
とそんな彼に廊下の向こうからやってきたジェシカが声を掛けてきた。
ユトシスは顔を上げ、ジェシカの方を向く。
「え?ああ、君は確かジェシカ・・・だったか。いや、なに・・・。レイラ嬢を起こしにユリアと共に来たんだが、どうやら私の存在を忘れてしまったようで、ドレスルームで盛り上がっているみたいでね。」
「そうだったんですね・・・。呼んできましょうか?」
とユトシスへ提案するが、彼は静かに首を横に振る。
「いや、久々の再開なんだ。少しくらいこうした時間があってもいいだろう。」
そう話すユトシスの表情はとても穏やかで、優しい笑みを浮かべていた。
それを見たジェシカはふと察してしまった。
「なるほど!ユリアお姉様のことが好きなのですね!」
「・・・そんなにわかりやすいのかい?」
「そうですねー・・・。ユリアお姉様の事を話すユトシスおうじ様の口調とか表情が他の方々よりも抑揚が少し高めに感じました。」
「あははは・・・。いつも通りに過ごしているつもりだったんだけど、そうか。ありがとう・・・。今度からは気を付けてみるよ。あ、先ほども言ったが2人はドレスルームにいるよ。」
「ありがとうございます!」
そういってジェシカは部屋の中に入っていく。
ユトシスはゆっくりと立ち上がり、後は彼女に任せようとその場を後にした。
直後、あーっ!といったユリアの悲鳴が聞こえ、急いで部屋から出てきてユトシスの姿を確認するがいない事に気付いてがっくりと項垂れた後、ドレスルームに戻っていった。
その後、3人がドレスルームから出てくるまで小1時間ほどかかってしまい、朝食に遅れてしまったのは言うまでもないだろう。
その日、レイラたちは各々好きなように過ごすことにした。
レイラは暫く離れていた分、ディアネスと共に中庭にある庭園を散歩し、ユリアとジェシカはお互いの仲を深めようとお茶会を開き、フィリオラとエレオノーラは何やら部屋で話し込んでいる。
ユトシスはフォートリア公爵夫妻に話があるようで、執務室にて会見している。
そしてミミアンは・・・
「うーん、こんなもんかな?」
目の前には自らが狩ったであろう獲物が横たわっていた。
「もー、みんなそれぞれ忙しそうで一緒に狩りにいこう!なんて誘えないしさー・・・。あ、でもレイラは気分転換も兼ねて誘ってもよかったかな?でも、あんな顔してたら誘えっこないよね~・・・。」
鹿の首部分にしっかりと噛み付き、軽く首を振って牙の食い込みを深め、簡単に落ちないことを確認すると、獣走行で屋敷の方へと駆け出す。
(中々町に買い出しになんていけないから食糧の備蓄も減ってきたから、気分転換も兼ねてこうして狩りに出て来てるけど、やっぱり心のざわつき?モヤモヤ?は全然晴れないなー・・・。それもこれも、ぜーんぶサハギンのせい!今でも瞳を閉じるとサハギンの苗床にされた子たちの悲痛な表情が目に浮かんじゃうんだよね・・・。あれ?)
と後もう少しで屋敷の裏門というところで、何かに気付いたのか、屋敷とは別方向の方角をじっと見つめる。
(・・・なんだろ、あっちの方から変な感じがする。)
じっと目を凝らしていると、何やら紫電を纏った暗雲が立ち込めていることに気が付いた。
それと同時に屋敷の方からフィリオラが飛び出していくのが見える。
ミミアンは口に咥えていた鹿を屋敷の裏門へと放り投げ、フィリオラの後を追う様に駆け出した。
「ちょっと~!リオラっち、どうしたのー!?」
「ミミアン?」
と下の方でミミアンが並走していることに気が付き、一度飛行をやめて地面に降りる。
「あなたどうしてここに?」
「食糧調達?って、それよりもあれなに?」
と暗雲が立ち込める方を指さす。
「・・・わからない。でも、確かなのは何かとんでもないことが行われようとしているってこと。」
「とんでもないこと・・・」
確かに全身を突き刺すような気持ち悪い気配に身が竦むような思いにさせられる。
と、ここで暗雲から巨大な雷が地上に放たれ、かなり遅れて極めて強力な轟音が鳴り響き、地面が揺れる。
直後、立ち込めていた暗雲は消え、元通りの青空へと変わった。
そして先ほどまで感じていた嫌な気配も消え、まるで何事もなかったかのように全てが元通りとなった。
「あれ・・・、変な気配がなくなった。」
「暗雲もなくなったわね・・・。ひとまず屋敷に戻りましょう。何が起きたのかわからないけど、少なくとも今ここに私たちがいれば、良くない事が起きそうだわ。」
「そーだね。急いで帰ろっ」
フィリオラとミミアンは急いで屋敷の方へと帰っていく。
ものの数分で到着し、屋敷の中に入る前、フィリオラは再度異変が起きた方角の方を見る。
「・・・何事もなければいいんだけど。」
そう呟き、フィリオラは屋敷の中へと戻っていった―――――。