彼女が浮かべる笑みの理由
「え、えと・・・その・・・。くぅん・・・」
ミミアンは怯え、どんどん身が縮こまっていた。
彼の瞳に感情は感じられず、ただ強い憎悪だけが感じられる。
こちらの呼びかけにも一切応じそうにない雰囲気に、ただただ恐怖だけを漂わせていた。
だが確かレスウィードはオールドワンと死闘を繰り広げていたはずだ。
なのにこんな陸地にまで来ている。
オールドワンは倒したのだろうか?
そう思い、レイラは先ほどまで2体が争っていた方を見てみると、オールドワンは何かもがき苦しむようにジタバタと体を動かしていた。
「・・・ナンダ、ソノサカナモドキハ。」
重々しい声が辺りに響く。
どうやら、レスウィードは地面に倒れているジェシカの事を差して言っているようだ。
「魚、もどき・・・?」
その時、レイラの中で何かが切れたような音が聞こえた。
「それは、それはあんまりではありませんの・・・!?」
「・・・ナンダ、小娘。」
「小娘・・・?小娘ではありませんわ!!わたくしはあなたの母親ですわ!!」
「・・・何ヲ言ッテイルンダ、小娘・・・イヤ、ナンダ。本当ニナンナンダ??」
レスウィードはどこか困惑した様子を見せ、怖気づいてしまったかのようにタジタジし始める。
だが一度火が付いてしまったレイラに、我が子である前に母親として情けない姿を見せることは許されない。
ぐいぐいと一歩も引かず、決して怖気づかず、まっすぐにレスウィードの瞳を見つめ、一歩、また一歩堂々と彼に歩み寄る。
「・・・ナンナンダ、小娘ハ一体・・・。ナゼ、青皇龍様ノヨウナ、イヤ・・・違ウ。コノ感ジハ・・・マルデ・・・ダガナゼ・・・?」
「先ほどから言っているでしょう?わたくしはあなたの母親なのですわ!これは揺るぎない事実ですのよ!」
ぐんぐんと近づいてくるレイラの姿に、徐々に怯え始めた。
まるで母親に怒られることがわかっている子供のように、先ほどとは打って変わり、どんどん小さくなっていくように見えた。
気が付けば、レスウィードの瞳からは憎悪という感情は消え去っており、ただ困惑したような、信じられないような物を見る瞳をしていた。
「ようやく落ち着きましたわね。」
「・・・わからない。なぜ、人の小娘に対してこのような心が温かな気持ちにさせられるのか。」
「当たり前ですわよ。だって、母親から感じる愛はいつだってとても温かなものなのですから。さあ、おいでなさい。」
そっと手を広げ、レスウィードを招く。
レスウィードはただただ困惑しながらも、静かにレイラへ顔を近づけていく。
レイラが触れる距離までやってくると、そっと鼻先に触れ、優しく撫で始める。
それがなんと心地よいことか。
レイラの触れる手がとても温かく、撫でられるたびに先ほどまで感じていた憎悪が小さくなっていくのを感じる。
その時、レスウィードの額が光り、次の瞬間にはヴァレンタイン公爵家の紋章が刻まれ、レイラの右手にレスウィードの姿を模した【服従の証】という名の【へその緒】が刻まれた。
「よしよし、良い子ね。」
「・・・むぅ。本当に子むす・・・」
「お母様、ですわよ。」
「・・・本当にあなたは私の母上なのか?」
「ええ。わたくしはあなた方の母ですわ。良き母であれるように、努力しているつもりでもありますのよ。」
「わからぬ・・・。だが、悪くはないな・・・。」
「それはよかったですわ・・・。なら、もういいですわよね?」
「む?何がだ・・・?」
と感心しているレスウィードを確認したところで撫でていた手を強く握って拳を作った後、レスウィードの顔面を全力で殴る。
「ぐぉおおお・・・!?い、いきなり何をするのだ・・・!?」
「当たり前ですわ!愛する者と結ばれ、子を成し、親となったのなら!決してやってはいけないことをあなたがやらかしたからですわ!」
レスウィードは意味が分からないと言わんばかりの視線を向けると、そこには激昂した表情を浮かべているレイラの姿があった。
「何の話だ・・・!!私は一体何をやらかしたというのだ?!」
「自分の娘に、魚モドキなんてあまりにも酷すぎますわ!あの子から漂うあなたと同じ【ドラゴンマナ】を感じ取れないのかしら!?」
「なっ・・・、私の娘、だと?一体何の話を・・・っ!!」
とここでようやくジェシカから漂う【ドラゴンマナ】の気配に気づいたようだ。
その傍では力尽きて気絶しているフィリオラが倒れており、最初こそ彼女から来ている者だと勘違いしていたようだったが、実際はその隣で眠る小さな少女から感じられるようだ。
目をかっと見開き、それこそ信じられないと言わんばかりの表情を浮かべ、開いた口が塞がらない様子だった。
「・・・まさか。まさか、本当に・・・本当にカミラ・・・、カミラの面影が・・・?!なんで・・・、いや、違う!この子は・・・本当に私の、子・・・。私と同じ、【ドラゴンマナ】が・・・、あああああ・・・、ああああああああああ・・・・!!」
震える声でボソボソと呟くように言葉がこぼれていき、ジェシカの体にそっと鼻先で振れる。
そこで初めて、ジェシカの体の異変に気が付く。
「これ、は・・・やつらの一部・・・。」
「う、ん・・・あれ・・・?」
とここで意識を取り戻したであろうジェシカが目を開け、すぐ目の前まで顔を近づけていたレスウィードの存在に気が付き、体が硬直した。
そしてジェシカの瞳の異変に気が付く。
片方は自分と同じ深い緑色を映した竜眼、そしてもう片方はサハギンらと同じ魚眼を宿していた。
体の所々が竜鱗の形状に近い魚鱗に覆われており、かつてカミラのフサフサした美しい尾と同じものを宿しながらも、竜尾のように細長い。
そんな様々な要素を受け継いだジェシカの姿を見て、カミラにされたであろう非道な行いを思い起こされ、胸が張り裂けそうになる。
だが、ジェシカが自分を見る瞳はとても怯えていた。
まるで、見られたくない物を見られてしまったかのような、今にも泣きだしそうな表情を浮かべていた。
そんなジェシカの姿を見て、胸の苦しみは更に一層増していく。
「あ、あの・・・えと、えと・・・その・・・う、うう・・・」
「・・・泣かないでくれ。」
「・・・え?」
レスウィードは今にも泣きそうな悲しい瞳を宿し、ジェシカを見つめる瞳はとても優しいモノだった。
「私は、カミラの面影を残すソナタの泣きそうな顔を見るのが、とても辛いのだ・・・。」
「え・・・?な、え・・・?」
「そなたはきっと、笑顔が似合うだろう。どうか私に見せておくれ。」
まるで懇願するかのようにジェシカへと優しく語り掛ける。
最初こそ怯え、どうすればいいのかわからず、ただ自分のこの醜いと思っている容姿を見られ、嫌われたと思い、ただ悲しみに暮れていたが、どうやらそうではないと、自分の勘違いであるとわかり、ジェシカは静かに立ち上がるとレスウィードの顔先に触れる。
とても温かい。
ひんやりとした肌触りが手から伝わってくるが、心がどんどん温かくなっていくのを感じる。
すると、自然と口角が上がり、
「・・・えへへ、温かいです。」
気が付けば涙を流しながら笑みを流していた。
「な、なぜ泣くのだ・・・!?うう・・・、母上、私はどうすればよい?」
堪らずレイラへ助けを乞うが、レイラは優しい笑みを浮かべるだけだった。
「ご、ごめんなさい・・・。泣くつもりは・・・ああ、なんで、どうして、止まらないの・・・。うう、うううう・・・」
「ああああ。泣くな、娘よ・・・。」
堪らず、鼻先でジェシカの体を摩り、アタフタしていた。
そしてそのままレスウィードの顔に優しく抱き着きながら、声を上げて泣く。
顔先に抱き着かれ、動くこともできず、ただじっと泣きじゃくるジェシカを見続けた。
「・・・どうやら、私は無駄に寝続けてしまったようだ。この子にとても寂しい思いをさせ続けてしまった。辛い思いをさせ続けてしまったのだな・・・。」
「なら、これからは共にそういった時間を作っていけばいいだけですわ。」
「母上・・・。」
「でも、そうするにはまだ早いようでしてよ?」
レイラはとある方を見つめる。
レスウィードは顔先に抱き着きながら泣きじゃくるジェシカをクイっと持ち上げ、頭にポンッと乗せるとゆっくりと後ろを振り向く。
そこにはオールドワンが苦しみから解き放たれ、ゆっくりと立ち上がっている奴の姿があった。
「・・・ふん、あれを受けてまだ立ち上がるか。」
「アイツはなんなんですの?サハギンとは明らかに関係ないように見えますの。でもサハギン共はアイツを復活させようと躍起になって、あなたに悲劇をもたらすことになりましたわ。」
「・・・私にもわかりませぬ。ただ、青皇龍様は、”決して蘇らせてはならぬ怪物の一部であり、全生命体にとっての天敵である”とだけ。何のことかはわかりませぬが、決して蘇らせてはならないと私の本能が感じているのはわかります。」
「・・・あれが、怪物。その一部ってこと?」
遠くからでも感じる、全身を貫くような殺気。
今にも逃げ出してしまいそうになるほどの恐怖。
一部だけでもこれほどの影響があるなら、エレオノーラが言っていた【怪物】の本体は一体・・・。
「つまりは今、滅ぼさなくてはならない敵ということですわね。」
「・・・間違ってはいませんね。」
「ほら、いつまで縮こまっているつもりです、のっ!」
「くぅ・・・ああああああ!」
とくぅんと小さく呻き声を発しているミミアンの背中を蹴飛ばす。
そのまま転がりながら、近くの岩に突っ込む。
「あれ、うちは一体・・・確か、とんでもない殺気に当てられて・・・ひっ?!」
レスウィードの存在に気付いたようで、また先ほどと同じように怯えた表情を浮かべていたがレイラの活を受けてハッと我に返る。
「この子ならもう大丈夫ですわ。」
「・・・え、もううちの子認定されたの?」
「とーぜんですわっ!」
「マジ・・・?」
とレイラは手の平に、レスウィードの【服従の証】を映し、それをミミアンへと見せた。
それを見て唖然としていたミミアンだったが、害はないと分かり、気を取り直してレイラたちが向ける視線の先を見る。
そこにはすでに体勢を立て直し、こちらに向かってくるオールドワンの姿があった。
「・・・ねえ、今度はあれを相手にするの?」
「それ以外に何がありまして?」
「マジなの?!無理だって・・・!」
「そんなのやってみなきゃわかりませんわ。それに、アイツの正体がわかった今、今ここであいつを滅ぼさなければ、世界に危機が訪れてしまいますわ。」
「・・・は~、もうわかった!パパ、それにママも聞いたでしょ?」
そういうと、ジャステス公爵とユティス公爵夫人がやってきてミミアンの横に並ぶ。
「世界の危機と言われたら、ここで引くわけにはいかんな。」
「そうねぇ~。それならぁ~、私も全力でぇ~、頑張るわぁ~。」
ふとオールドワンの足元には真っ黒に染まった無数のサハギンのような何かがこちらに向かってきていることに気が付いた。
それと同時に、先ほどまで大きな被害にあっていた公爵軍が整列を成してジャステス公爵の後ろに並ぶ。
「・・・我々はあやつらを何とかしよう。例え、この身が果てようともここで奴らを食い止め、この先には一匹たりとも通さぬ。」
「あなたぁ~、生き残る前提でぇ~、話をすることぉ~、・・・良いわね?」
「・・・うむ。」
凄むようなドスの効いたユティスの一言に、逆らえないようだ。
「娘、そなたは・・・」
「ジェシカ。私の名前はジェシカって言います!以前、まだ正気を失う前にお母様がくれた大事な名前です・・・!」
「・・・そうか、カミラが付けた名か。ジェシカ、ジェシカ・・・。」
まるで自分の魂に刻むように、何度も、何度も娘の名を繰り返し呟く。
その度に、暖かな気持ちになりながらもどこか恥ずかしさを感じるジェシカだった。
「カミラが残した、私の唯一の宝・・・ジェシカ。そなたは仲間と共に行動するのだ。」
「嫌です!お父様のここが私の特等席で、ここから降りたくはありません!」
「・・・わがままを言うでない。私は今からあやつを本気で殺しに行くのだ。そこにいてはそなたが・・・」
「危険ということはわかっています。ですが、いつかこうなってほしいなとずっと願いながら、私はずっと練習してきました。足手まといにはなりません、むしろ助けになると思います!ですから・・・」
「・・・はあ、本当にそなたはカミラに似て頑固なのだな。」
ふっと笑い、ゆっくりと顔を持ち上げる。
「・・・危なくなったらすぐに離れるのだ。よいな?」
「っ、もちろんです!それじゃあ、レイラ様、ミミアン様!皆さま、どうかご無事で!」
そういってジェシカを乗せたレスウィードはゆっくりと移動を始める。
それを見届け、レイラはフィリオラの傍に駆け寄った。
「フィーちゃん、動ける?」
「まだ・・・きつい、かも・・・。」
「なら、わたくしの中でゆっくりと休んでくださいまし。そして回復できたらわたくしたちを助けてくださいな。」
「・・・わかったわ、お母様。」
そういうとフィリオラは光に包まれ、その光はレイラのお腹へと吸い込まれていった。
その時、レイラの口角が上がったのを、ミミアンは見逃さなかった。
「・・・ねえ、レイラ。あんた・・・」
「どうかいたしまして?」
「ナ、ナンデモナイヨ!」
一瞬、レイラから感じた恐怖に思わず顔を背けるミミアン。
どうか・・・、レイラが浮かべた笑み、その理由はうちが考えているそれではありませんように・・・。
そう願うミミアンだった――――――。