海竜の憂鬱
初めはただ面倒だった。
ここに来たのも、青皇龍様に命じられたから来ただけだった。
私はただ海の上に無意味に浮かび、ただただ漂うだけの日々が好きだった。
ある日、青皇龍様に呼ばれ、この海域に眠る敵を見張れとの命を受けた。
敵って誰なのだろうと最近、ちょっかいを掛けてくるようになった魔物たちが浮かんだが、青皇龍様は
「強大な敵であり、必ず滅ぼさなくてはならない唯一無二の世界の天敵だ」
と冷たく言い放った。
明確な答えも得られず、私は渋々その海域へと向かった。
青皇龍様はあのように仰られてはいたが、私にとっては知らぬ存在であるがゆえに何を見張ればいいのかわからなかった。
ただこの海域に来てからは、【魔魚人】という魔物たちが頻繁に私の管轄している海域に侵入し、ちょっかいを掛けてくるようになった。
その度に私は奴らを殺さない程度に追い払うだけしていた。
ただただ相手をするのが面倒だった。
私はただ、のんびりと空を見上げながらこの広大な海の上をぷかぷかと漂うだけで幸せだった。
ある時、海の奥底に何か嫌な感じを漂わせる何かを発見した。
それは封印の祠だった。
祠というにはかなりの雑な作りで、ただ見たこともない文字が刻まれた大岩が突き刺さっており、その周囲を複雑な作りをした白い紐状の何かが囲っているというようなもの。
その周囲だけには魔素が存在せず、魔物たちが近づこうとすればまるで魔力が吸われているかのように突然苦しみだして、死体も残さずそのまま体が霧散していく。
ふと青皇龍様の姉妹龍と呼ばれている黒皇龍様の事を思い出した。
あの方は確か魔素を相殺させる能力を持っていたはず。
もしかして、と思い私はその大岩へ近づいた。
・・・何も起きない。
やはり、これは黒皇龍様の力だ。
竜族の者は影響は出ないようになっている。
そして私は思った。
明らかにあそこは異様だと。
これが、青皇龍様が言っていた見張るべき天敵というやつなのだろうと直感で理解した。
ああ、面倒だ。
非常に面倒くさい。
なんてったって、私にちょっかいを出し続けているサハギンはどうやらあの大岩を破壊したいようで何度も突撃していってはそのまま何もできずに霧散していく。
その癖に私に何度もちょっかいを掛け続けては返り討ちに合い、引き返していく。
一体彼らは何がしたいのだろう・・・。
そんな日々が付いたある時、陸地の方で1人の綺麗な小金色の毛並みを持つ獣人が海の方へ祈りを捧げている姿に気が付いた。
あの獣人は一体何に祈っているのやら・・・。
あなた達が祈る神なんて存在しているのだろうか・・・?
本当に気まぐれだった。
「そなた、誰に祈りを捧げている?」
ただ彼女がどの神に祈りを捧げているのか気になっただけだった。
「・・・あなた様に。」
彼女は言う。
様々な理由で町から逃げ、ここにたどり着いた彼女らに待ち受けるはただ死ぬ定めであったと。
だが、ある日から海岸に魚や甲殻類などといった食糧が流れつくようになった。
ふと見れば、遠くの地平線に私の存在を確認したと。
そして彼女らは私が飢えで死を待つ私たちに慈悲を与えてくださったのだと。
完全に誤解だった・・・!
そんなこと、私はしていない!
そもそもなぜそういった話になるのだ?
そんな慈悲深い性格ではない!
私は彼女に必死に弁明した。
だが、彼女は一言、
「うふふ、そういうことにしておきます。」
と笑みを浮かべて告げる。
明らかにわかっていない!
絶対に理解していない!
これではただ私が恥ずかしがっているだけのように見えているだけではないか!
その時、私は何も言い返せずにそのまま海へと逃げる様に帰っていった。
その日から彼女は毎日のように、同じ時間帯で、同じ場所で、同じ時間ずっと祈りを捧げていた。
私は他の誰かの手柄を横取りしているのではないか?と疑い、その日から彼女らの様子を確認するために、彼女らが築いたとした集落の近くで過ごすようになった。
彼等はとても喜んでいたが、それは違うと何度も伝えた。
そして私にちょっかいを掛けてきていたサハギンたちは集落の存在に気付き、襲おうとしていたので彼女らを守った。
出なければ、村に食糧を届ける存在を確認できないではないか!
だから私はサハギンたちを全力で追い返し、彼女らを守り続けた。
その度に彼女たちから感謝され、崇め奉られるようになった。
だがそれは違う。
アイツらは私にちょっかいを掛けようとしてお前たちの存在が見つかり、そのせいで襲われるようになっているのだ。
つまり、お前たちが危険にさらされるきっかけを作ったのは私だからそういったことはしないで欲しいと彼女に伝えたが、
「うふふ、そういうことにしておきますね。」
と笑みを浮かべながら返された。
わかってない、ちっともわかっていないではないか!!
なんなんだ彼女たちは!
私は慈悲深いなんてことはないし、お前たちが危険な目に合うきっかけを作った存在なのだ!
そもそもここで過ごすようになったのだって、己に掛けられた慈悲深いという定義を取り消すためだ!
私の代わりに村へ食糧を届け、その功績を私に擦り付けている者を探すためにしているだけなのだ!
だからお前たちにそのように扱われる資格などない!
断じてないのだ・・・!
・・・なのに、なぜこんなにも胸が温かくなる?
どうしてこんなにも彼女の笑顔が胸にくるのだ?
他の者とは違って彼女は仙狐と呼ばれる狐の獣人だそうで、他の獣人よりもかなりの長命だそうだ。
故に、彼女に親しい者らはどんどん先に死んでいくし、その度に彼女は辛そうな、悲しそうな笑みを浮かべて死んだものを見送り続けている。
その表情を見る度に、どうしてこうも私も悲しくなるのだ・・・。
なぜ、彼女の涙を見る度に胸が張り裂けそうになるのだ・・・。
そして、なぜ私は、食糧を届ける存在が――――私であったのなら、と思うようになっているのだ。
その集落が村と呼ばれるようになった時、食糧を届ける存在が判明した。
紛れもなく、私だった。
一体いつ?
どうやって?と疑問に思っていた時、その疑問もすぐに解消された。
サハギンたちだった。
奴らを追い返すために私が暴れていた際、その余波に巻き込まれた魚や甲殻類らがそのままあの海岸に流れ着いていたというのが真実だった。
その事実が判明した頃には村人らは私専用の寝床として、大きな建物を海の中に作り出した。
海底神殿アトラティスカと呼ばれるようになり、更には私を世話するためだけの専属の巫女?なんて呼ばれる子たちまで決め始めた。
堪ったもんじゃない。
私の傍に居てほしいのはすでに決めている。
恐らく、ずっとずっと前には決めていた。
「カミラ。」
「はい、どう致しましたか?」
「・・・私は先に死なぬ。」
「はい?」
「私はそなたよりも先に死なぬし、なんならそなたを看取るほどまでに傍にいることができる。」
「・・・。」
「だから、これからもずっと私の傍に居てくれないだろうか?」
「・・・ぷっ」
カミラは堪らず吹き出してしまった。
その様子にアタフタし始めるレスウィード。
「な、なんだ・・・何かおかしかったか?」
「なんなんですかそれ・・・!」
「だ、だからだな・・・。そなたが親しい友らを見送り、一人残されるそなたの姿を見た時、私もとても胸が苦しく感じたのだ。そなたが泣く姿を見て、とても、とても苦しく感じたのだ。なんせ、そなたは笑顔が似合う。まるで赤皇龍様が生み出す陽の輝きのような温かさを感じさせる。私の傍に居れば、そなたはもう一人残される心配はなくなるだろう。親しい誰かを見送っても、傍に私が居るとあれば気持ちよく送り出せるだろう?たとえ、ここに棲む者らが全て死に絶え、そなたひとりだけ残されたとしても、私だけはそなたの傍にいよう。」
「・・・本当ですか?」
「私に、ドラゴンに二言はない。」
「私を置いて、先に死んだりしませんか・・・?母や親友のララ、私を孫娘の様に可愛がってくれた長老のマエン様、食べることが大好きなオドクおじさん、みんな、みんなと同じように先に死んだりしませんか・・・??」
カミラの声は震え、その瞳には涙が浮かんでいる。
それを見て、またもや胸が苦しくなった。
・・・これは自然なことだ。
この大きな体では彼女を抱きしめる事さえできないから、伸びた胸ヒレを伸ばして彼女を抱きしめる様に優しく包ませる。
「私は青皇龍様の腹心の1人ぞ?寿命なんぞでそなたを置いていくことはない!」
「・・・ああ、これで孤独になる不安を胸に抱き続けなくてもよいのですね。」
「うむ。そなたは決して、一人にはさせぬ。」
「うふふふ・・・。なら、私はずっとあなた様の傍に。これからもどうか、私めのようなか弱い者をお守りくださいませ・・・。」
そうしてカミラはそっと包んでいた胸ヒレに優しく口付けをした。
その時、胸が今までにないほど高鳴ったのはきっと私の生涯忘れることはないだろう。
「ならん!わしが許さんぞぉ!!」
そこへ一人の老獣人がドシドシとした厳つい風格を伴って、2人の前にやってきた。
「あら、お父様!」
「むっ、お主がカミラの父君か!」
「た、たとえレスウィード様といえど、妻が残したワシの大事な宝をくれてやるわけにはいかぬ・・・!」
「もう、そういうのはとっくに時代遅れですよ、お父様。さっさと私とレスウィード様の恋仲を認めた方が、早く孫の顔を見れるかもしれませんよ?」
「ま、孫ぉ!?」
「か、カミラ・・・!?」
「どうかこのような私めをいっぱい、い~っぱい可愛がってくださいませ、旦那様・・・。」
ああ・・・、幸せだった。
海の上でただ浮かんでいた日々なんかよりもずっと、ずっと・・・。
だが、そんな日々はこの村が町と呼ばれるようになったある日、突然終わりを迎えた。
またサハギンたちが襲ってきた。
だが今回は明確な理由を持って、奴らは町を襲撃した。
長年の末にようやくできた私の血が流れる子が、カミラのお腹に宿ったとき、奴らはやってきた。
そう、奴らは我が子を狙って襲撃してきたのだ。
その数は今までの倍で、その時初めて私は後悔した。
あの時、追い払うだけにせず、確実に殺しておくべきだったと。
殺して数を減らしていれば、ここまで数が膨れ上がることもなかったし、この数に押され、カミラが連れ攫われたことにすぐに気付けたはずだった・・・。
そして全てが終わったとき、カミラは奴らに連れ攫われたと父君から聞かされた。
奴らがどういった存在なのか、そこで初めて私は奴らに憎しみを抱いた。
何よりも、その時だってただ追い払おうとしていた私自身にも強い怒りを抱いた・・・。
私はカミラを探すために海に潜り、ひたすら探し続けた。
サハギンらを殺しながら、奴らの住処を片っ端から潰しまわり、それでもなおカミラを見つけることは敵わなかった。
町に戻ったとき、サハギンらの襲撃を受けていて壊滅状態であると知った瞬間、大きな隙が生まれてしまった。
どこで入手したのかわからなかったが、町の方から放たれた巨大な槍が私に突き刺さり、その刃に塗られた毒が全身を巡り、そこで初めて町はサハギンの手に落ち、カミラも町の住民らの手によって隠されていたのだとわかった。
町に残っていたサハギンとヤツラに操られていた獣人らへ、最後の力を振り絞って強大な津波を起こし、奴らを飲み込み、海に落ちた奴らを全て殺した・・・はずだった。
「・・・大岩が。」
大岩が砕かれ、大穴が空いていた。
以前そこから感じていた嫌な感じがなくなっており、中に封印されていた何かが外へ出たのだろうとすぐにわかった。
そしてすぐに悟った。
竜の血を宿した者であればあそこに近づけることこそ、つまり私とカミラの間に出来た子が狙われた理由だった。
「どこまでも・・・どこまでも貴様らは・・・!!!」
ちょうどその時、アトラティスカの結界を破って無数のサハギンたちが乗り込んでいる奴らの姿が見えた。
「・・・許さぬ。決して、決して私はお前たちを、許したりはしない!!」
長い時から目を覚ましたレスウィードはその時、完全に守り神から荒神へと変わった瞬間だった―――――。