深淵からの脱出
ふと、周囲を見渡すとジェシカの姿がどこにもなかった。
「ミミアン、彼女たちを御願いしてもよろしいかしら?」
「・・・うん、大丈夫。だからレイラはジェシカの元に行ってあげて」
ミミアンにこの場を任せ、レイラは周囲を探索する。
すると、別の空間へつながる小さな入口を見つけ、そこを潜り抜けた先にジェシカの後姿が見えた。
彼女に声を掛けようとした時、ジェシカの様子がおかしい事に気付き、急いで彼女の元へ向かう。
彼女の傍に来て初めて、ジェシカが一心に何かへ視線を向けていることに気が付いた。
その視線の先へ、レイラも向けると崖になっており、その下に広がる無数の魚卵の塊の数々。
そして、その中心には見るも無残な、もはや原型を殆ど留めていない何かがそこにいた。
「・・・あれが、サハギンたちに聖母と崇められているもの。私の、母だった・・・ものです。」
「これが、あなたのお母様であり、奴らにとって聖母と崇められているもの・・・ですの。」
「はい。竜であるレスウィード様と交わい、竜の血をその身に取り込んだ母の体は奴らにとって格好の餌食だったのでしょう・・・。母にサハギンの卵を寄生させるだけで、サハギンに竜の力を少量ではありますが宿すことができ、そうすることで更なる進化を遂げることができるのですから・・・。」
そう言いながら、ジェシカは自身の手を見る。
魚鱗が薄っすらを見え、それを視認したジェシカはそっと強く拳を握る。
「私が、その成功例ですからね。」
「・・・ここで、あなたは生まれたんですのね。」
「・・・はい。もっとも当時の記憶は何もないわけですが、今となってはそんな記憶がなくて良かったとつくづく思います。きっと、壊れてしまっていたでしょうから。」
「ジェシカ・・・。」
振り返り、無理やり笑顔を見せるジェシカ。
必死に平常心を取り繕おうとしている彼女の健気な姿に、レイラは胸が苦しくなった。
「ここで、待ってていただけませんか?」
「・・・え?」
「あんな状態になっても、母はまだ生きているんです。いえ、生かされているといった方がよろしいでしょうか。だから、彼女の苦しみを終わらせるのは子である私の役目です。」
「・・・わかったのですわ。」
「ありがとう、ございます・・・。」
レイラへお礼を述べ、崖を降りていく。
最下層まで降りたジェシカは周囲を見渡すと、母から鳴り響く心臓の鼓動に合わせて、魚卵は蠢いていた。
ジェシカはその魚卵に杖の先をそっと押し当て、魔法陣を形成していく。
その魔法陣を周囲に幾つか刻み、そして最後に顔だけ残された母の前へと立つ。
「・・・お母様。あなたとレスウィード様の子、ただいま戻りました。」
「・・・・・・。」
返事はない。
視線さえ定まっているように見えず、それは一体何を映しているのかわからない。
「といっても、今のお母様に私の声が届いているのかどうかさえ怪しい所ですね。」
「・・・・。」
と、ここで孵化寸前だったのだろうか、魚卵の蠢きが活発になり始める。
どうやらもうすぐ彼等も孵化するようだ。
「遅くなってしまい申し訳ございません・・・、お母様。今、あなたの苦しみを解き放ちますね。」
そういうと、ジェシカは手に持っていた杖を剥き出しの心臓へと突き立てる。
そしてほんの少しの力を持って、杖を前へ押し込むとゆっくり心臓へ突き刺さった。
「どうか、安らかにお眠りください・・・。」
心臓へ突き刺した杖に力を込めて捻ろうとした時、今まで無反応だった彼女の瞳は確かにジェシカの方へ向けられていた。
そしてだらんと垂れ下がった舌が微かに動き、小さく何かを呻いている。
ジェシカに何かを伝えようとしている様子だった。
「う、うそ・・・お、お母様・・・?!」
「・・・ぇ・・・ぁ・・・・」
言葉にならない声が、裂けた喉からこぼれ出る。
「なんですか・・・?一体何を私に伝えようとしているのですか・・・?!」
ジェシカは急いで彼女の口らしきところに耳を近づけ、その言葉を決して漏らさまいと伝えようとしている言葉を聞く。
そして何かを聞き受けたジェシカの目から溢れんばかりの涙が零れ落ちる。
「・・お、おかあ・・さま・・・。」
「・・・・。」
その目は閉じられており、それは笑顔を浮かべているように見えた。
ジェシカはこれ以上彼女を苦しませまいと、突き刺した杖を捻り、心臓を潰す。
直後、彼女の頭は力無く項垂れ、そのまま静かに息を引き取った。
力無く項垂れ、地面へ落ちそうになった彼女の頭を急いで抱き抱え、声を押し殺して泣いていた。
そして心臓に魔法陣が浮かび上がり、光ったかと思えば忽然と消え、直後に周囲に張っていた肉の根が次々と破裂していき、それに繋がっていた魚卵はそれに巻き込まれて次々と爆発していく。
魚卵は粉々に吹き飛び、その中で誕生しようとしていた生命も同様の運命を迎えた。
天井にまで張っていた肉の根が爆発したことで洞窟内に亀裂が生じ、地響きが鳴りだす。
とここで遠くの方で見守っていてくれたであろうレイラから大声で叫んでいた。
「ジェシカ!急いで戻ってきてくださいまし!洞窟が崩壊しますわ!」
それを背中越しに聞き、名残惜しそうに母の頭をそっと地面へ置く。
「・・・お母様、どうか空で私のことを見守っていてくださいね。愛しております。」
そう言い残し、ジェシカは立ち上がろうとした時、ふと何かがジェシカの元へ降ってきた。
それを手に取ると、何かの鱗のような物が付けられたネックレスだった。
きっと母の物に違いないとジェシカはそう感じ、大事そうに首へと付け、ぎゅっと握りしめる。
そしてジェシカは急いでその場から離れ、急いで水の鞭を展開させて自らの体を持ち上げ、レイラの待つ崖の上まで自身を移動させた。
「お待たせしました。」
「・・・それじゃあ急いでここから逃げますわよ!」
レイラとジェシカは急いでその小さな入口を潜り抜け、その場を後にする。
その先には慌てた様子でレイラたちに駆け寄るミミアンの姿があった。
「ちょっと洞窟が崩れそうでヤバいんだけど?!」
「ええ。急いでここから脱出するわよ。あの2人は?」
「え?あ、大丈夫!すでにうちが運んでおいたよ!」
「さすがですわ!それじゃあわたくしたちも急いで脱出しますわよ!」
「行きましょう、ミミアン様。」
「ちょ、ちょっとー!うちにも何があったのか詳しく説明してぇぇえー!」
レイラたちは急いで洞窟から出て梯子を上っていき、転移門を潜り抜けていった。
3人は慌て過ぎたのか、転移門から抜けた先の煙突内で梯子を踏み外し、3人共々暖炉へと落ち、灰が舞い上がった。
「う、うへへぇぇ・・・」
「ったた・・・。ちょ、ミミアン!大丈夫・・・そうですわね。」
「あ、あの・・・本当に大丈夫なのですか?高い所から落ちて、私とレイラ様の下敷きになってしまっていますけど・・・」
「大丈夫よ、これぐらいならミミアンにとってはご褒美に近いから。」
「ご、ご褒美・・・。」
未だに動けず、愉悦に浸るミミアンを余所に、レイラとジェシカは暖炉から出て服に付いた煤と灰を手で払う。
そして、レイラはジェシカに向き直るとそっと頭を下げた。
「・・・ごめんなさいですわ。本当ならもっとあなた達2人の再開をもっとゆっくりさせたかったのですけど・・・」
「そんな謝らないでください、レイラ様・・・。それにあの洞窟は聖母の苗床から伸びた肉状の根が支えていたようでした。お母様もろとも、あの魚卵を全て壊すにはあの方法しかありませんでしたし・・・。それに、お母様からは大切なモノをいただけましたから・・・それだけで、私は十分です。」
「・・・そうですの。よかったですわ。」
そう言うと、ジェシカは笑顔を浮かべたまま大粒の涙を流した。
そんな彼女を優しく抱き寄せ、そっと頭を撫でる。
「れ、レイラ様・・・?」
「大丈夫ですわ。レスウィードの子であるならば、わたくしの・・・孫娘?になるのかしら?」
「ま、孫娘・・・ですか?」
「ええ。これでも、わたくしは全ての竜たちの母になりましたから!」
「あっはは!なんですかそれ・・・!」
「あら、嘘じゃありませんことよ?」
「・・・え?」
なんて話をしていると、外から大きな爆発音が聞こえた。
レイラはジェシカと共に急いで外に出るとフィリオラとベオルグ、そしてルーフェルースとミラの4体の竜がこの屋敷を守るために戦い続けていた。
「・・・あ、レイ・・・ママ!」
と屋敷の外に出てきたレイラの姿に気付いたフィリオラは上空から地上へ急いで降り、レイラたちの元へ駆けつける。
「フィーちゃん。状況はどうなっておりますの?」
「最悪ね・・・。ロモラだけじゃなく、サハギンたちも地上に上がってきて一緒に攻撃してきているわ。ただ・・・」
とそこでフィリオラはベオルグの方を見る。
そこで初めて気が付いた。
「べ、ベオちゃん!!」
『は、母上・・殿、か?』
すでに全体の7割の鎌が折られ、甲殻にもヒビが入っており、そのヒビに合わせて突き立てられた幾つもの槍。
「屋敷を守るために動けないベオルグを一方的に攻撃しまくってるのよ・・・。ベオルグを守るためにルーフェルースとミラが奮闘していることに気付いて、私も急いでこっちに加勢しに来ていたの。事情はすでにベオルグから聞いているわ。」
「なら、中に2人の生存者がいるの。彼女らをここから移動させないと!」
「生存者がいるの?!そうなのね・・・。わかったわ。ルーフェルース!中に2人の生存者がいるから彼女らを連れてこの町から離れなさい!ミラはルーフェルースを掩護してあげて!」
「わ、わかったぁ~!」
「ぴぃ~!!」
ルーフェルースは地上に降りると、ミミアンが生存者を連れて屋敷の外に出てきた。
「ちょっと、一体どういう状況なのよ!?」
「ミミアン!ナイスタイミングよ!」
「へ?」
「ルル!ミミアンが担いでいる2人がそうよ!彼女たちを御願い!」
ルーフェルースは頷き、両手で彼女らを傷つけないように優しく掴むと、ミラを連れて一気に空へ飛び上がる。
そんなルーフェルースに無数の槍が飛んでいくが、ジェシカの水魔法とミラの魔力障壁によって阻まれ、ルーフェルース自身も己に竜巻を纏い、槍の投擲を防ぐ。
ルーフェルースはそのまま、ミラと共に町の外へと脱出していった。
その直後、ベオルグが力無く倒れる。
『申し訳、ありませぬ・・・。我は、もう限界、・・・のようで・・・。』
「え・・・ベオちゃん!?」
ベオルグはそのまま光に包まれ、霧散していった―――――。