深淵の底に広がるもの
「え、なんで・・・?!」
とジェシカは慌てた様子で顔を両手で覆い隠す。
「もしかしたら、あの梯子を上る際にきっとローブが引っかかってしまったのですわね。」
「うぅ・・・。」
「ねー、どうして隠すのさー!別に隠さなくたってよくない?すっごく可愛いっしょ?」
「・・・気持ちが悪いのです。私の右目は母の綺麗な小金色の瞳が受け継がれるはずだったんです。でも・・・、でも・・・受け継がれたのは、サハギンの目・・・。魚のような瞳孔が広がり切っている忌々しい瞳が宿っているのです・・・!!これの、これのどこが可愛いのですか・・・!この顔の、歪な瞳のどこが、可愛いというのですか・・・!」
ジェシカはそう叫ぶように告げ、その場に崩れ落ちた。
「この瞳が無ければ、きっとお父様にも認めてもらえたかもしれません・・・。私の顔を視る度に、母にされた非道な行為を思い出させることはないでしょう・・・。それに、私の全身、体毛が薄い部分はうっすらと竜鱗ではなく、薄く光沢した魚鱗が生えております。御父様に撫でられることがあれば、その魚鱗に触れることで悲しい表情をさせることはないでしょう・・・!でも、私は・・・私という存在は表に出ていい姿ではないのです・・・!」
「・・・ジェシカ、それは違いますわ。」
そう言いながら、レイラはゆっくりとジェシカへ近づき、そっと彼女の前で膝をつく。
覆い隠す手を取り、右目に映る魚眼を優しく見つめた。
「どうして、そんなことが言えるんですか・・・!」
「それは、成り行きは違えど、わたくしもあなたと同じような立場にあるからですわ。」
「え・・・?」
そういうと、レイラは着ていたドレスの一部を脱ぎ、上半身をはだけさせた。
「れ、レイラ様?!いきなり何、を・・・」
ジェシカの瞳には、惨たらしい無数の傷痕がくまなく残されたレイラの上裸に視線を逸らすことはできなかった。
「わたくしは過去に大きな馬車の事故に遭い、お母様と共に大怪我を負いました。それに追い打ちを掛ける様に奴隷商人に捕まり、あまり良いとは言えない方に買われ、それから毎晩その方のご趣味に付き合わされましたわ。幸い、その方は性欲よりも苦痛に歪むわたくしの表情がお気に召されたようで、犯されることはなかったことだけよかったと言えますでしょうか。その後、数年の時を得て、お父様に救い出されましたわ。最初はわたくしの体を見る度にお父様の表情はとても悲しい表情を浮かべ、今にも泣きそうな声で毎晩わたくしを抱きしめてくれたのを覚えておりますわ・・・。でもそれは最初だけで、お父様は毎日のように愛情を注いでくれましたわ。この体の傷を見ても、わたくしを突き花剃すことは決してしませんでした。貴族の令嬢としては生きていけない体になっても、お父様が下さる愛は変わることはありませんでしたわ。」
はだけた服を戻しながら、ジェシカへ言い聞かせるように伝える。
「で、でもそれはレイラ様がお父様とお母様の子であるから・・・」
「それは違いますわ。子を愛し、子を信じ、子を理解するのが親というもの。たとえそれが親という存在です。あなたの生まれがどうあれ、2人にとって祝福すべきものであり、忌むべきものではなかったはずですわ。」
「・・・でも、私のこの姿を見て受け入れてくれなかったら・・・」
「そうなったら、親としてわたくしが殴り飛ばしますわ!その後説教も必要ですわね!」
「・・・え?」
レイラは一体何を言っているんだ・・・??
なんて言いたげな顔でレイラを見つめる。
「あなたは堂々としていればいいのですわ。」
「・・・それで、いいのでしょうか?」
「それでいいと思うよー。だって何度も言うけど、ジェシカっちすんごく可愛いし、綺麗だもん!」
「・・・うう。」
最初こそ絶望にくれていた彼女だったが、レイラとミミアンの優しい言葉を受け、ミミアンの言葉に顔を赤らめられるほどまでになんとか平常心を取り戻せたようだ。
「もう大丈夫ですわね?」
「・・・はい。御2人とも、ありがとうございます。」
「もー、うちらに敬語なんていいって!ジェシカっち、もううちらと友ぴっぴじゃん!」
「と、ともぴ・・・?こほん。そうですわね。すでにわたくしたちの間には友人と言えるぐらいには仲良くなれたと思いますわ。」
「え・・・?私たち、出会ってまだ半日ぐらいしか経っておりませんよ・・・?」
「友達になるのに時間なんて関係ないっしょ!大事なのはうちがジェシカっちのことを大好きだって思う気持ちだけ!そしてジェシカっちもうちの気持ちを嫌がっていなければ、それはもう受けれてくれたってことっしょ?ならもううちら友ぴっぴじゃん!」
「そ、そんなことでいいのでしょうか?」
「そんなことでいいのですわ。結局のところ、大事になってくるのは友人になる前の関係性よりも、友人になった後の関係性ですもの。これからわたくしたち、良い関係性を築いていきますわよ。」
「・・・はい!」
今までフードを深くかぶり、被り物をしたせいか、今までジェシカの表情は見えていなかった。
だが今2人の目の前で、満面の笑みを浮かべているジェシカの表情はとても価値あるものだとわかる。
こんな可愛い子を愛しの子だと受け入れないと、この子の幸せを嘆きへと変えてしまうのならば・・・。
レスウィード、わたくしは決して許しませんわ。
あなたの母として、しっかり躾なければ・・・!
そんなこんなで和気藹々としながら、洞窟の中を進む。
先ほどまで3人の表情に笑顔が浮かんでいたが、洞窟を進むにつれてその笑顔は徐々に消えていき、とある空間へ足を踏み入れたことで、大きな絶望へと変わった。
「・・・な、なにこれ。」
「そ、そんなことって・・・う、うぇぇぇぇぇぇえええ!」
ミミアンは堪らず、その場で吐き出してしまった。
だがジェシカだけはその目を逸らすことなく、だが顔を青ざめながらその光景を目に焼き付ける。
「これが、サハギンたちの苗床ですわ。」
所々に両手両足が明後日の方向に折れ曲がっている者、または切り落とされ、無理やり止血させられた痕を残す者、他にも槍状の武器が突き刺さり、磔にさせられた者もいる。
その多くは、口がだらんと開いている。
おそらく顎の骨が砕かれているのだろう・・・。
他にも大きく口が喉近くまで裂けている者や、口が閉じぬ様に顎から何かを突き立てられている者までいる。
また腹部には穴が開いており、中からは無数の卵が外にまであふれ出している者さえいた。
そんな見るに堪えない光景が目の前に広がっている。
「・・・これが、サハギンの苗床にされた女性の姿、ということですの。」
「はい。サハギンたちに慈悲という感情はありません。ただ効率的に繁殖するために何をすべきかわかっており、それを実行に移しているだけにすぎません。」
「・・・サハギンたちにも雌はいるでしょう?」
「はい。ですが、サハギンの雌は別の役割を担っており、また1体しか存在できないので、サハギンたちを繁殖することができないのです。」
「だからといって・・・こんな、こんなことが許されるはずが・・・」
この時初めて、レイラはサハギンという魔物に対して深い敵意を抱いた。
今目の前に広がっているのは洞窟内で10人にも満たない人数の規模だが、かつてサハギンたちを駆逐しようと大きな戦いを繰り広げられた際、村1つの単位でこの光景が広がっており、それを目撃した兵士たちが精神崩壊したと聞いて、納得がいく。
この光景が村いっぱいに広がっていたなれば、どれほど悲惨で悍ましい光景だったのか・・・想像すらしたくない。
「・・・彼女たちは生きているのよね?」
「はい。彼女たちが死ねば、彼女に寄生している卵たちも死んでしまうので、あの状態にさせながらも全力で死なない様に世話をしているはずですから。」
「でも、こんな状態で彼女たちを助けた所で・・・その先に彼女たちの生きる未来なんて・・・」
「ミミアン。それを決めるのはわたくしたちではありませんわ。これは彼女らが選ぶべきもの、選択しなければならない未来ですわ。」
ジェシカに習い、その光景から決して目を逸らさぬよう、まっすぐに見据える。
そして一つの苗床へと向かい、しゃがみ込むと苗床となっている彼女と目が合う。
その瞬間、彼女の瞳から涙が溢れ出し、何かを叫ぶかのように呻き声を発する。
「・・・舌を切り落とされておりますわね。そんな状態でもこのように・・・。あなた、今からわたくしの質問に対して肯定なら瞬きを3回、否定なら5回すること。」
その言葉に、彼女3回瞬く。
その受け答えとなる瞬きの回数を連番にしなかったのは、明確な答えを知るためであり、質問をスムーズにするためだった。
もし、2回が肯定、3回が否定といった連番だった場合、質問の答えに関係ない通常の瞬きを行ったり、また目にゴミが入ったり、または涙で目が乾燥して瞬きとかいった彼女の意図しない連続して瞬きしてしまい、質問の答えに間違いが起きる可能性があった。
それを受け、質問を続ける。
それはこの町の出身であるか、旅人であるか。
彼女が瞬きによる返答ができる範囲内の質問をしていく。
そして、最後に必ず、彼女たちに共通して同じ質問をした。
「今、わたくしたちはあなた達を助けるためにここまで来たわ。これからあなたを救い出して地上へと上がる用意もありますわ。その上で聞かせてちょうだい。あなたは生き続けたい?」
そう。
彼女らに今ここから救い出されても、今ここで彼女らがされた記憶は残り続ける。
それは彼女たちにとって悪夢として毎晩、魘されるだろう。
己の姿を見る度に、この時の光景が何度もフラッシュバックされ、毎夜寝る度に奴らの悍ましい行為が思い起こされる。
特に手足を切り落とされた者は今ここで生き残ったとしても、彼女は1人で生きていくためにはあまりにも非常な現実が付きつけられる。
故に、レイラは彼女たちに選ばせているのだ。
そんな困難がこの先、待ち受けていたとしても生き続けたいか。
そしてレイラは死を選んだ彼女らに慈悲を与え、その責任を1人で負おうとしている。
瞬きを3回行ったのは、9人のうち―――――僅か2人だった。
「ミミアン、それにジェシカ。この方と、あの方を助けてあげてくださいまし。残りの方々にあなた方は助かると、生き残ることができると伝えた上で、・・・死を、選びましわ。」
「レイラ、その業はあんた1人だけで背負うもんじゃないってーの!」
「そうです。レイラ様1人に背負わせるにはあまりにも重すぎます。それに元々この役割は私一人が担うべきものでしたから。」
「ジェシカっち。それも違うからね!こんなの、本当は誰も背負わなくていいことなんだから・・・。」
「2人とも・・・・。・・・ごめん、ですわ。」
3人は静かに抱きしめ合う。
数秒経った頃、3人は急いで2人を救い出し、静かに横たわらせる。
その後、3人一緒に彼女たち一人ひとりに別れを告げ、一人、また一人と、痛みや苦しみを与えぬ様に彼女らを深い眠りに落とし、そのまま永遠に覚めぬことのない眠りにつかせていった―――――。