醜い悪に染まりきった灰色
薄暗い部屋、周囲には悪趣味な置物が並べられており、竜の頭蓋骨を模した盃を片手に、揺れる赤い液体を眺めながら一口含むと、舌の上で軽く転がす様に動かし、香りを味わった後はゆっくりと飲み込み、そののど越しの良さ、まさに言葉には言い表せないほどの美味な味を堪能する。
コンコンッとノック音が部屋に響き渡り、部屋の中央に座っていたガタイが大きな灰色の獣人がそれに反応するかのように喉を鳴らし、扉が開けられる。
中に入ってきた別の獣人が目を伏せ、静かに口を開いた。
「・・・ボス、その、報告がありやす。」
「なんだ、随分と早かったじゃないか。あの竜人らをもう捕まえたのか。それで、彼女らはどこに?」
「・・・いえ、拉致は失敗です。捕まったのは拉致を命じた組員たちです。」
「・・・ほう。」
彼の期待とは裏腹に、全くの予想外な返答が帰ってきた。
盃を揺らし、中の液体は小さく波打つ。
揺れる波模様が緑色のぎらついた瞳に映る。
直後、手に持っていた盃を入っていた獣人へ全力で投げつけ、それは頭に直撃すると彼は大きくたじろぐ。
頭から垂れる血が片目に流れ、その白目が真っ赤に染まっていく。
「アイツらの腕前は買ってたんだがなあ・・・。たった2人の竜人を拉致することさえ出来ねえなんて、俺の瞳はどうやら曇っていたようだ。んで、誰にやられた?」
「そ、それが・・・ターゲットの仲間1人に成す術なくやられたようでして・・・」
「ようでして・・・?煮え切らねえ返事すんじゃねえかよ?」
「そ、それが・・・、遠くから監視させていた組員たち全員の、・・・その・・・」
「・・・ああ?」
彼はどこか怯えていた。
目の前に居る獣人に対してではない。
もっと別の者に、心の底から恐怖を植え付けられているように、その体は小さく震えていた。
「あ、頭だけが突然・・・その、し、消失して・・・全滅しました・・・。」
「頭だけが消えただあ?アホ抜かしてんじゃねえぞ?!もっとましな情報を寄越せやゴルァ!」
怒りに身を任せ、怯えながら報告をする組員の横顔に強烈な拳をお見舞いする。
殴られた彼は大きく吹き飛ばされ、壁に頭から叩きつけられた。
痙攣しながら、動かなくなった獣人を横目にどこからか小さなケースを取り出すと、中に収められた葉巻を一本取り出し、自らの爪で先を切り落とした後、爪同士を勢いよく擦ると火花が散り、それを葉巻に当てて着火させる。
体全体に広がる葉巻の味に打ち震え、脳が一気に快楽に似た幸福感が押し寄せる。
白く濁った深いため息を吐き、首を動かして凝り固まった骨を鳴らす。
「たかが人間種にそんな真似ができるか?Sランク冒険者の奴らの動きに異常はねえ。Aランク冒険者共にそんな真似ができる奴がいるなんて情報はどこにもねえ。つまりだ・・・。てめぇらは腑抜けてんだよお!!」
威圧するかのように叫ぶ。
その叫びを受け、近くに居た組員たちは大きく委縮する。
「俺の命令は難しかったか?人間の町を落とせだの、公国を滅ぼせだの、そんな命令を俺は出したか!?ああっ!?」
「・・・だ、出して、ません・・・。」
「ならなんていった?俺はてめえらになんて命令を出したんだ?!」
「・・・この町に入った、女の竜人2人を拉致してこい・・・と。」
その直後、彼の顔面に飛んできた拳によって吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた後に気を失った。
「だよなあ?たとえあの竜人種が相手だったとしても深夜、それも寝込み時に4人の精鋭を送り、万が一に備えて周囲には20人を超える組員共を配置に付かせた。これ以上、失敗する要素なんてどこにあるんだ?!てめえらが腑抜けているから、そんな簡単な仕事さえ満足にこなせねえんだろうが!!」
怒りのままに叫ぶ。
それを他の組員たちはただ黙って、自分に被害が及ばない様に祈りながらただ耐え忍ぶしかなかった。
「あ、あの・・・ボス・・・」
「・・・ああ?」
「どうして、竜人を捕まえようと・・・してるんですか・・・?」
ボスは口に咥えていた葉巻を摘まみ、それを委縮しながら質問してきた獣人の頬に押し当てる。
「・・・ッ!?」
毛を焼き、皮膚を焼き、肉を焦がす。
強烈な痛みに声を上げそうになるも必死に耐える。
そんな様子がとても楽しいのか、ボスの口角が上がり、歪んだ笑みを浮かべていた。
「アイツらを戦闘奴隷として使い潰す。それから使い物ににならなくなったら角や尻尾、その目玉なんかを切り落として売り払った後でも、容姿だけは十分いいからなあ。そういった残りを好む気色の悪い奴がいるんだわ。そいつらに売り払えば大金だって手に入る。つまりは”金の生る木”なんだよ、竜人種ってのは。それにあいつ等はあの魔王に仕えたドラゴンの血を引いている末裔だ。そんな非道なことをしても咎めるやつなんざ誰もいねえ。彼らを助けようとする馬鹿はいねえってことさ。そんなの、捕まえない方がおかしいよなあ?」
「・・・そう、っすね。」
「よかったなあ?勉強になったなあ?それじゃあ、授業料の代わりにさっさとその2人を捕まえてこいやあっ!!」
と組員を蹴り飛ばす。
それを受けて他の組員たちは急いで立ち上がり、その場から去っていった。
舌打ちしながら、椅子に座り直し、窓の外を見る。
月明かりが辺りを照らす中、その部屋の中だけは決して月光が差し込むことはなかった。
ただ、ロウソクの火だけが揺らめぎ、その部屋を仄暗く照らしていた。
「なあ、あんた竜人だろ?なんでこんな町にいるんだ?」
机に座り、フィリオラの方に聞く。
角も生えてないし、尻尾も翼も生えていない。
唯一、竜の瞳はそのままだが、その縦長の綺麗な瞳は猫や爬虫類と誤魔化すことができる。
だがその衛兵は竜人と的確に突いてきた。
「あんたからドラゴン特有の臭いと魔力の波動を感じるんだわ。」
獣人特有の鋭い嗅覚とかそういった類なのだろう。
まあ、目の前の衛兵は完全に犬が二足歩行をしているかのような獣人だったからその嗅覚で嗅ぎ分けられたのだろう。
「さすがにそれは誤魔化しきれないわね。でも私は竜人じゃないわよ?」
「竜人以外に何があるんだ?」
「ドラゴンそのものだから。この姿だって、圧縮された高密度の魔力で構成されてるのよ。」
と腕の形がモヤモヤと揺らぎ、ドラゴンの腕に作り替える。
それを見た衛兵は動きが止まり、その額には一筋の冷や汗が流れた。
明らかに委縮している。
「あ、その・・・まさか、竜母様ってやつか?」
「そう言われてるわね。」
「それは誠に失礼しました・・・!まさか竜母様がこんなところに来るとは思わず・・・」
犬獣人の衛兵は深々とフィリオラに頭を下げる。
どうやら獣帝国でも竜母という存在は知れ渡っているようだ。
「いいわよ。こうしてあそこから離れたのなんて随分と昔だし。」
「はあ・・・、そう言っていただけると幸いです。」
「それで?こいつらは何?」
「・・・彼らはこの町を裏で牛耳っている【灰かぶりの無法者】っていう闇組織の組員です。ほら、この首に入っているハイエナの刺青がその証拠です。この大方、竜母様とそのお仲間にでも手を出そうと・・・っ」
とここで、犬獣人の嗅覚にどこか不穏な臭いが刺激した。
咄嗟に腰に差している武器に手を掛けてしまうほどの警報のような何かが全身に駆け巡る。
それは彼だけが感じ取ったわけではなさそうで、傍にいた別の衛兵の獣人もどこか冷や汗をかきながら武器に手を掛けていた。
「ちょっとヨスミ。その殺気を抑えなさいよ。」
「ああ、ごめん。僕は外に出ているよ。話の続きはフィリオラに任せる。」
「あ、ヨスミ!その闇組織に行こうとしてるのはわかってるのよ!今は大人しくしてて!」
「・・・竜はな。自分の宝物に手を出す輩を絶対に許せない性分なんだよ。わかるだろ?」
「わかるだろ?じゃないわよ!ここで騒ぎを起こしたらこの先の旅路は大変になるわ。」
「・・・・・。」
フィリオラの説得に渋々な様子のヨスミ。
さっきまで漂っていた不快な臭いも消え、犬獣人は安堵した。
「なんでそんな奴らをアンタら衛兵は放っておいているんだ?」
「そ、それは・・・。」
「もしかして、あいつ等とグルっていう事なら、遠慮なく・・・」
「ふんっ!」
と突然フィリオラの尾が顕現し、ヨスミの頭を締め上げる。
「あががががが・・・・ガクッ」
その内、気を失ったかのように力が抜け、そっと優しく近くの壁を背にするように座らせた。
「まったくもう・・・。」
「だ、大丈夫・・・なんですか?」
「ええ。仲間や身内・・・、彼の宝物と認定されたらとことん甘やかしてくれるほど優しいのよ、これでもね。それで、ヨスミの質問の内容によっては私も色々と動かないといけなくなるんだけど。」
「・・・それが。」
彼の話からして、衛兵の中にもグルになった者たちがいるそうだ。
彼らから賄賂のような物を受け取り、彼らの悪事には見て見ぬふりをするのはもちろん、悪事に加担なんてする者たちもいるそうだ。
「ここの領主も、【灰かぶりの無法者】が怖くて常に言いなりになる始末でして・・・。」
「ふーん、あなたはどうなの?」
「・・・・。」
「・・・そう。ヨスミを気絶させて正解だったわ。」
「だ、だってどうしようもないじゃないですか・・・。彼らに反抗なんてすれば、生きたまま地獄を見せられます。殺された方がまだマシだと思うほどの・・・。」
「だから何もしないってことなのね。」
フィリオラは愉悦な笑みを浮かべたままぐったりしているヨスミの体に尾を巻き付けて持ち上げると立ち上がり、その部屋から出ようとする。
「りゅ、竜母様はこれからどうするつもりなのですか・・・!?」
「どうもこうもしないわ。さっさと船を調達してこの港町から出ていくだけよ。」
「そ、それは、その・・・む、難しいかと・・・」
「ふーん、なぜ?」
と竜母が疑問を投げた時、ふと入口の扉が開かれる。
そこには首元にハイエナの刺青が入った厳つい獣人たちが姿を現した。
「この辺りの船は俺たちの物だからに決まってんだろ?」
そう言いながら、体中に傷痕のある一人のハイエナの獣人がフィリオラの前に姿を現した。
その表情は醜く、フィリオラを見て舌なめずりをする。