62話
王都全体が防衛線の終結に沸き立つ頃。
前触れもなく始まったアルギスと男の戦いは、激しさを増していた。
「ははは!やっぱやるなぁ、坊主!」
楽し気に槍を引き絞ると、男は目にもとまらぬ速さで突きを繰り出す。
鈍い輝きを放つ槍は、咄嗟にアルギスが割り込ませた僭軀とぶつかり、ギリギリと耳障りな音を響かせた。
(っ!体がいう事を聞かん……まさか、魔物の軍勢全てよりもコイツ1人の方が……!)
鈍い光を宿した槍を端返した瞬間、アルギスは体を扱いきれなくなったように、その場で立ち止まる。
しかし、ぎょっと目を見開くと、男もまた、不意に足を止めて槍を下ろした。
「……マジかよ。”不履行”って、坊主どんなステータスしてんだ?」
(……《傲慢の瞳》よ――)
落ち着き払った男の態度に苛立ちつつも、アルギスは目を細めてスキルを使用する。
しかし、カーソルが表示されるよりも早く、槍を逆手に構えた男が、アルギスへ思い切り放り投げた。
「そりゃマズイ!」
「チッ!――幽闇百足、獄門羅刹」
真正面から迫る槍を弾き飛ばしたアルギスは、即座に体から黒い霧を噴き出す。
背後へ回り込むように姿を現す2体の死霊に、男は慌てた様子もなく振り返って、いつの間にか手元へ戻していた槍へ鉛色の魔力を纏わせた。
「流石に出てくるか――設定期間は5分、条件は乙の撃破、報酬は丙の消滅だ」
ボソリと呟いた男の槍は、一瞬の抵抗の後、幽闇百足の胴体を刺し貫く。
そのまま槍を差し込まれた直後、幽闇百足の体はボロボロと崩れ始めた。
「ギィ……」
「…………」
程なく、幽闇百足が姿を消すと、獄門羅刹は動くことすら出来ず、黒い霧へと戻っていく。
唖然とするアルギスをよそに、男はヒュンヒュンと槍を振り回しながら、後ろを振り返った。
「こんなとこだろう」
(な、何が起きた……?コイツ、本当に何者だ!?)
霧へ変わっていく獄門羅刹を茫然と見つめていたアルギスは、気楽な声を上げる男へ視線を移す。
すると、男は槍を構えなおして、飛び跳ねるような動きでアルギスへと迫った。
「よっと!」
「チッ!」
肩目がけて突き出される槍に、アルギスは顔を顰めながら僭軀を振り払う。
しかし、男の槍を弾き返した僭軀の刃には、ビシリと一筋の罅が走った。
(流石に剣は限界か……)
「まだ、やるか?」
アルギスが黒い霧を噴き出しながら距離を取る中、男は半目になって、構えていた槍を肩に担ぐ。
疲労を滲ませながら槍の柄で肩を叩く男に、アルギスは纏っていた魔力を霧散させた。
「お前……一体、どういうつもりだ?」
「俺の名はアーカナム、こんなナリだが魔族のまとめ役みたいなことをやっている。どうだ、坊主。俺のところに来ないか?」
男くさい笑みを浮かべながら名乗りを上げると、アーカナムは両手を大きく広げて、アルギスへ近づいていく。
しかし、こめかみにビキビキと青筋を立てたアルギスは、アーカナムを睨みつけながら、罅の入った僭軀を差し向けた。
「あまり、私を舐めるなよ。当然お断りだ」
「うーん、そうか……。強い奴はいくらいても困らないんだが、残念だ」
取り付く島もないアルギスに、アーカナムは苦笑いを見せながら、頭を掻く。
程なく、ため息をついたアーカナムが背を向けると、アルギスは舌打ち交じりにポケットへ手を入れた。
「待て……持っていけ」
「お!わかってるじゃないか」
振り返り様に結晶を投げつけられつつも、アーカナムは楽し気にニヤリと口角を上げる。
再び近づいてこようとするアーカナムに、アルギスはうんざりした表情で、遠ざけるように手を振った。
「……用は済んだだろう。なら失せろ」
「ああ、今回はこの辺りでサヨナラだ。……また会おうな」
小さく肩を竦めたアーカナムは、呆れ顔で軽く手を振り返す。
一方、手を下ろしたアルギスは、アーカナムから目を逸らして、不快げに鼻を鳴らした。
「残念ながら、もう会うことはないだろう」
「いいや、また会えるさ。いずれ、な」
しかめっ面でアルギスが黙りこむと、アーカナムは薄笑いを浮かべながら静かに首を振って見せる。
確信じみた口調で話すアーカナムに、アルギスはピクリと眉を上げて、視線を戻した。
「なに?どういう……」
「ああ、それと……その力の使い方を間違えるなよ?」
冷たい声でアルギスの疑問を遮ったアーカナムは、思い出したように意味深な呟きを零す。
そして目の奥に憎悪をチラつかせると、アルギスを残して跳び去っていった。
「あれが、魔族……」
瞬く間に遠ざかっていくアーカナムの背中に、アルギスは顔を歪めながら僭軀を送還する。
それからしばらくの間、アルギスが立ち尽くしてると、突如足元に影が広がった。
「アルギス様っ!ご無事でしたか!?」
「……マリーか」
被っていたフードを下ろしたアルギスは、影から浮かび上がるマリーに目線を落とす。
傷一つないアルギスに満面の笑みを浮かべつつも、マリーは服装を整えて、恭しく腰を折った。
「お帰りが遅かったので、お迎えに上がりましたが……こちらで一体何を?」
「少し、戦いを振り返っていただけだ。そんなことよりも、ペレアスは無事か?」
辺りを見回すマリーに首を振ると、アルギスは問い詰めるような口調で口を開く。
落ち着かない様子のアルギスに、マリーは笑みを穏やかなものに変えて、頭を下げた。
「未だ意識は戻りませんが、一命は取り留めております。ポーションにて治癒も完了しておりますので、じきに目を覚ますかと」
「ならいい……戻るぞ」
ホッと息をついたアルギスは、王都の方角へ足を向ける。
アルギスが軽く顎をしゃくると、マリーはすぐさまポーションを飲み干して、足元に影を作り出した。
「それでは、失礼いたします!」
(魔族には、あのクラスがいるのか……)
マリーと共に影へと沈み込む中、アルギスはアーカナムとの戦いを思い出し、奥歯を噛みしめる。
焦燥感に駆られるアルギスの内心をよそに、2人の姿は頭まで沈んでいった。
それから浮かんでは沈むを繰り返すこと数十回。
アルギスとマリーの2人は、騎士たちの護衛する中心にポツンと1つ残った陣幕の前へと辿り着いていた。
「ハァ、ハァ……お待たせ、いたしました」
「……ご苦労。外で休んでいろ」
真っ青な顔で汗を流すマリーを尻目に、アルギスは騎士の横を抜けて、陣幕の入り口に手を掛ける。
訝し気な表情で中を覗き込むと、陣幕ではオリヴァーが祈るような姿勢で椅子に腰を下ろしていた。
「無事だったのか!?……帰ってないからてっきり」
「無事に決まっているだろう。それとも、死んでほしかったか?」
駆け寄るオリヴァーを引き離したアルギスは、肩を竦めながら、皮肉気な笑みを見せる。
しかし、再びアルギスの肩を掴むと、オリヴァーは涙目で悲痛な叫びを上げた。
「そんなわけがないだろうが!まだ感謝も、謝罪も出来ていないんだぞ……」
「はぁ……それで、こっちは結局どうなった?」
声を震わせるオリヴァーを、アルギスは見ていられないとばかりに引き離した。
すると、オリヴァーは嬉し気な微笑みを湛えて、深々と腰を折った。
「幸い、貴族派の被害は軽微だ。……エンドワース家の従者に助けられた者も少なくないと聞く、助かった」
「では、少々遅くなったが、王都へ戻るとしよう。レイチェルも待っているんだろう?」
ため息交じりに首を回したアルギスは、オリヴァーに先立って陣幕の出口へ足を進める。
アルギスの言葉に顔を顰めつつも、オリヴァーは怒りを呑み込むんで、神妙に首を縦に振った。
「……ああ。そうだな、そうしよう」
(今回はなんとかなったが……こんなのは、もう二度とごめんだ)
忙しなく表情を変化させるオリヴァーを背に、アルギスは背中を丸めながら陣幕を出て行く。
続けてオリヴァーが陣幕を出ると、貴族派の軍は、悠々と王都へ凱旋に向かうのだった。
◇
大侵攻の終結から数日が経った頃。
公都のエンドワース邸では、ソウェイルドとグレゴリーが、屋敷の小部屋でひそひそと話し合っていた。
「……それで?ファングリアの件はどうなった?」
「見ての通りだ」
眉間に皺を寄せるソウェイルドよそに、グレゴリーはくわえた葉巻をくゆらせる。
プカプカとグレゴリーが煙を吐き出すと、ソウェイルドは表情を一層険しくして、迷惑そうに手を払った。
「まったく、我が家に禁制品を持ち込みおって……」
「固いことを言うな、どうせバレやせん。それより、お前もどうだ?」
呵々と笑ったグレゴリーは、持っていた葉巻をソウェイルドへ差し出す。
しかし、ソウェイルドは葉巻を一瞥もせず、腕組みをして首を振った。
「いらん」
「釣れないヤツだ」
不満げに足を組むソウェイルドに対し、グレゴリーはおどけた表情で葉巻を口元に戻す。
そして、天井を見上げて煙を吐き出すと、前のめりになって、用意された灰皿に灰を落とした。
「エルドリアの方はどうなんだ?」
「依然、難航中だ。協会からの連絡待ちになる」
大きなため息をついたソウェイルドは、組んでいた腕を下ろして、頬杖をつく。
目を瞑って黙り込むソウェイルドに、グレゴリーは気にした様子もなく、葉巻をふかした。
「……ま、だろうな」
「…………」
ポツリとグレゴリーが呟いたのを最後に、2人きりの小部屋は痛いほどの静寂に包まれる。
しばし、グレゴリーが灰を落とす音だけが響く中、音もなく開かれた扉から、顔を上気させたジャックが姿を現した。
「お話し中のところ、大変失礼いたします」
「……何の用だ?」
パチリと目を開けたソウェイルドは、入り口で頭を下げるジャックを睨みつける。
しかし、ジャックは喜色を湛えながら顔を上げて、ソウェイルドへと駆け寄った。
「旦那様、実は――」
「なに!?アルギスが、第一功!?」
ジャックがコソコソと耳打ちをすると、苛立ちに歪んでいたソウェイルドの表情は、みるみるうちに明るくなっていく。
やがて、ジャックが顔を遠ざける頃には、すっかり上機嫌に獰猛な笑みを浮かべていた。
「……ククク!喜べ、ブレイズ。やはり風はこちらに吹いている」
「何があったんだ?」
膝を打って立ち上がるソウェイルドに、グレゴリーは不思議そうな顔で首を傾げる。
すると、ソウェイルドはどこか遠くを見ながら、ニンマリとした笑顔を浮かべた。
「王都が、魔物の軍勢に襲われた」
「な!?こんなことをしている場合か!」
目を見開いたグレゴリーは、腕にバチリと稲妻を走らせ、持っていた葉巻を灰に変える。
しかし、噛みしめるように目を瞑るソウェイルドの姿を見ると、椅子へ掛け直した。
「……一度にすべて話せよ」
「早とちりをしたのは、お前だろう。……まあいい、心して聞け――」
不満を隠そうともしないグレゴリーの視線に呆れつつも、ソウェイルドは自慢げに王都の状況を語り出す。
やがて、アルギスの活躍を語り終えると、満足げに目を細めながら頷いた。
「――という訳で、私は王都に向かう。今日はここまでだ」
「今、王都に向かうのか?」
身支度を整え始めるソウェイルドに、グレゴリーは苦々しい表情を見せる。
一方、ローブの皺を整えたソウェイルドは、ニコニコと笑いながら、出口へ歩き出した。
「ああ、アルギスを褒めてやらねばならん。ついでに、やる事もあるしな」
「お前の息子か、面白そうだな。今度、うちのガキとも顔を合わせてくれよ」
ソウェイルドが横を通り過ぎると、グレゴリーは背もたれへ肘を掛けて後ろを振り返る。
気楽なグレゴリーの提案に、ソウェイルドはピタリと足を止めて、黒い魔力を揺らめかせた。
「なんだと?忘れたのか……?」
「落ち着け、一番上じゃない。長男の方だ」
頬を引きつらせたグレゴリーは、鬼の形相を浮かべるソウェイルドを慌てて宥める。
しばしの逡巡の後、ソウェイルドは息を決したように口を開いた。
「……お前も側につけ。それが条件だ、いいな?」
「俺も一度顔を見ておきたいからな。そうさせてもらおう」
釘を刺すソウェイルドに、グレゴリーは目を輝かせながら言葉を返す。
すぐにグレゴリーが歯を見せると、ソウェイルドの表情は、未だ険を残しつつも僅かに和らいだ。
「では、また会おう。私はこれで失礼する。……ジャック、見送りはお前がしろ」
ジャックが頭を下げたことを確認したソウェイルドは、すぐさま前を向き直る。
そして、弾むような足取りで歩き出すと、1人そそくさと部屋を後にするのだった。