48話
レイチェルから遅れること数分。
魔導昇降機を降りたアルギスは、迷わずグレイのいる寮長室へと向かっていった。
「失礼する」
「アルギス君か、こんな時間にどうしたんだ?」
ノックするが早いかアルギスが扉を開くと、グレイは目を丸くして持っていた新聞を置く。
驚いた表情を浮かべるグレイをよそに、アルギスは室内を見回しながら口を開いた。
「ハートレス家の令嬢を見なかったか?青みがかった銀髪の女子生徒なんだが……」
「ああ、彼女なら用事は済んだからと寮に戻っていったぞ」
レイチェルの特徴を聞いたグレイは、打てば響くように言葉を返す。
既にレイチェルが寮を出たことを確認すると、アルギスは複雑な表情で踵を返した。
「……そうか。邪魔したな」
「気にしなくていい。それじゃあ、いい夜を」
そそくさと出口へ向かうアルギスに、グレイは穏やかな笑みを浮かべながら手を振る。
一方、寮長室を出たアルギスは、部屋へと戻る足を止め、玄関口をじっと見つめた。
(用事とはなんだ?それに様子も変だったが……)
只ならぬレイチェルの様子を思い出すと、アルギスの胸中には言い様の無い不安が沸き上がる。
余計なお世話だと思いつつも、アルギスは薄暗いホールを玄関口へと歩き出した。
「……確認するだけだ」
言い訳じみたアルギスの呟きは、玄関口の扉を開ける音に掻き消される。
外に冷たい風が吹きすさぶ中、アルギスは1人、寮の周辺を探し始めた。
しかし、それから時間にして30分以上。
一向に見当たらないレイチェルに痺れを切らしたアルギスは、寮の壁際に隠れて、黒い霧を揺らめかせた。
「無断での術式行使は学院にバレると面倒くさいんだが……やむを得ん。――来い、”陥穽宿主”」
アルギスが名を呼ぶと同時、黒い霧は一点に寄り集まって密度を増していく。
程なく、直径50センチほどもある球体を形作ると、爛れた表皮に大小無数の口を浮かび上がらせた。
(相変わらず、気味の悪い死霊だ……)
無数の口が付いた球体の死霊――陥穽宿主は、ドクドクと脈動しながらアルギスへ近づいてくる。
陥穽宿主の醜悪な姿に身を粟立てつつも、アルギスは月の雲に隠された空を見上げた。
「まあ、やむを得ん――陥穽宿主よ、敷地内にある私の魔力を探せ」
――ウ”オ”ェ”ェ”……!――
アルギスが命令すると、陥穽宿主は無数にある口から蝗のような蟲を吐き出す。
空を覆う蟲の大群は、羽の音を立てながら学院の八方へと散っていった。
「……これで寮の外にいれば見つかるだろう」
誰にともなく呟いたアルギスは、目を瞑って蟲たちが戻ってくるのを待ち始める。
すると、それから数分と経たないうちに、遠くから小さく蟲の羽音が聞こえてきた。
「どうやら、見つかったようだな」
アルギスの下へ戻って来た蟲の大群は、渦を巻いて陥穽宿主へと吸い込まれていく。
ややあって、陥穽宿主が全ての口を閉じると、一部残った群れが先導するように前を進み出した。
「……まったく、どこまで行ってるんだ」
校舎の裏手へと向かう蟲の群れに、アルギスは愚痴を零しながら後を追いかけていく。
やがて、天鎖の塔の前にレイチェルの姿を見つけると、陥穽宿主を送還して近づいていった。
「おい、こんなところで何をしているんだ?」
「アルギス様、どうしてここに……?」
人気のない暗闇の中、塔を見上げていたレイチェルは、茫然と後ろを振り返る。
戸惑いを見せるレイチェルに、アルギスは不満げな表情で腕を組んだ。
「お前が急にいなくなるから探したんだ」
「……そう。エレンとの時間を邪魔してごめんなさい」
消え入りそうな声で呟きを漏らすと、レイチェルは俯くように頭を下げる。
組んでいた腕を下ろしたアルギスは、一層険しい顔でレイチェルに詰め寄った。
「なにがあった?」
「……なにもないわ」
血相を変えるアルギスに、レイチェルは笑みを張り付けながら首を振る。
しかし、赤く腫らした目からは、ポロポロと涙が零れ続けていた。
「……何もなければ涙は出ないだろう」
悲痛な表情を浮かべるレイチェルに困惑しつつも、アルギスはそっと頬を流れる涙を拭う。
すると、レイチェルは堪えきれなくなったように嗚咽を上げながら、アルギスの顔を見上げた。
「私、どうすればいいの……?」
「……聞いてやるから、話してみろ」
レイチェルと見つめ合ったアルギスは、真剣な表情でじっと言葉を待つ。
しばしの沈黙の後、レイチェルは息を整えながら、躊躇いがちに口を開いた。
「……うん、実はね――」
(貴族派のために婚約?しかも、その原因は父上が王都を出たからだと……?)
レイチェルに話を聞いたアルギスは、思いのほか深刻な状況に内心で頭を抱える。
しかし、目の前で鼻をすするレイチェルを放っておくことも出来ず、優しく肩に手を置いた。
「……なるほどな。時間はないようだが、私の方でも少し動いてみよう」
「ほんとに……?」
思いがけないアルギスの言葉に、レイチェルは震える声で聞き返す。
小さく息をついたアルギスは、穏やかな笑みを浮かべながら、はっきりと頷いた。
「ああ、ほんとだ」
「っ!」
アルギスが答えるが早いか、レイチェルは抱き着いて、胸に顔を埋める。
突然のことに目を丸くしつつも、アルギスはしがみつくレイチェルの背中をそっと撫でた。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃなかった。ずっと、ずっと1人で怖かった」
「……そうか」
アルギスが黙り込むと、2人きりの暗闇には静寂が満ちる。
そして、次第にレイチェルが落ち着きを取り戻し始めた頃。
2人の間に、どこからともなくクゥーという音が鳴り響いた。
(ん?なんだ?)
はたと顔を上げたアルギスは、目をぱちくりさせながら、辺りを見回す。
一方、顔を真っ赤にしたレイチェルは、アルギスから飛びのいて、ワタワタと慌てていた。
「ち、違うの。これは、そういうことじゃないの」
(……ああ、腹の音か。そういえばピザも作りかけだったな)
恥ずかし気に手を振るレイチェルに、アルギスは音の正体を察する。
ややあって、チラリと寮の方向を一瞥すると、ため息交じりに肩を竦めた。
「空腹なら私の部屋に来い。大したもてなしも出来んがな」
「……え、いいの?」
思いがけないアルギスの提案に、レイチェルは目を点にして、呆気にとられる。
一方、顔色を窺うレイチェルに背を向けたアルギスは、そそくさと寮へ向かって歩き出した。
「どうせエレンもいるしな」
「そのことについては今度詳しく聞くわね」
背中越しに明るい声を掛けると、レイチェルは駆け足でアルギスを追いかける。
そのままアルギスの隣に並ぶレイチェルの表情には、頬に涙の跡を残しつつも、すっかり明るさが戻っていた。
「……この後、直接本人に聞け」
先程までと打って変わって笑顔を見せるレイチェルに、アルギスは呆れ顔で言葉を返す。
対照的な表情を浮かべた2人は、揃って暗闇の学院内を進んでいった。
そして、それから歩くこと数十分。
男子寮の玄関口をくぐると、レイチェルは思い出したように、前を歩くアルギスの顔を覗き込んだ。
「ねえ、どうやって私を見つけたの?」
「話す気はない」
期待を寄せるレイチェルを尻目に、アルギスは立ち止まることなくホールを進んでいく。
にべもない返事に苦笑いを浮かべつつも、レイチェルはどこか上機嫌に前を向き直った。
「……もう」
(さすがに、大量の蟲に探させていたとは言えないからな……)
レイチェルが口を閉じると、アルギスは冷や汗を流しながら、こっそりと安堵の息をつく。
程なく、ホールを抜けた2人は、無言でアルギスの部屋へと戻っていった。
◇
アルギスが部屋を飛び出して2時間近くが経つ中。
2人の戻った前リビングでは、不機嫌そうなエレンがソファーで本を読んでいた。
「遅い」
「これでも急いだんだ」
パタリと本を閉じるエレンに、アルギスは不満げな表情で言葉を返す。
すると、エレンはしょんぼりとしながら、アルギスの顔を見つめた。
「お腹減った」
「……今作るから待ってろ。レイチェルも適当に座っていていいぞ」
「え、ええ」
2人のやり取りと茫然と見ていたレイチェルは、キョロキョロと辺りを見回しながら、エレンの隣に腰を下ろす。
ソファーへ寄りかかるエレンとレイチェルを背に、アルギスは1人厨房へと向かっていった。
「生地は出来ているな」
アルギスがボウルへ被せていた布を外すと、しっかりと膨らんだ生地が目に入る。
上機嫌に生地を切り分けたアルギスは、一部を箱の中心へ置いて蓋を閉めた。
「さて、どの程度の温度になるかな」
魔力を込められた箱は、ぼんやりと輝いては消えることを繰り返す。
やがて箱が周囲へ熱を放ち始める頃。
アルギスがパチリと指を鳴らすと同時に、厨房にはスケルトンが姿を現した。
「――蓋を開けろ。……あまり連続で使うと火事になりそうだが、温度は十分だな」
スケルトンに蓋を開けさせたアルギスは、焦げた生地で大体の温度を把握すると、早々に調理台へ立ち戻る。
そして、箱の熱を冷ます間、広げた生地へと具材を乗せていった。
「……ちょっとした検証のつもりが、随分とかかったものだ」
ややあって、箱の温度が下がり切る頃、アルギスの口からポツリと呟きが漏れる。
疲れたように首を捻りつつも、アルギスはしゃがみ込んで、具材の乗ったピザを再び箱の中へと置いた。
(この感じだと、2,3分だろうな)
蓋を閉めたアルギスが魔力を込めていくと、箱の温度もまた、それに伴って上昇していく。
数分後、僅かに気温の上がった厨房には、チーズの溶けるいい匂いが漂い始めていた。
「よし。――蓋を開けろ」
再びスケルトンに蓋を開けさせたアルギスは、焼き上がったピザに、満足げな表情で木べらを手に取る。
急いで掻きだすようにピザを皿へ乗せると、包丁と共にリビングへと持っていった。
「いい香りね。これは何かしら?」
「”クイーゾ”」
机に置かれたピザを見て首を傾げるレイチェルに対し、エレンは訳知り顔で口を開く。
しかし、ピザを作った本人であるアルギスもまた、不思議そうに首を傾げた。
(”クイーゾ”……?いや、ピザだろ)
アルギスの目の前で湯気を立てる”ピザ”は、エレン曰く”クイーゾ”だという。
聞き覚えの無い単語に、アルギスは眉を顰めながら、見慣れた”ピザ”をじっと見つめた。
「この料理はどこかで作られているのか……?」
「知らないのに作ったの?”クイーゾ”は主にミダス商業同盟国で食べられる――」
アルギスの独り言に目を丸くしつつも、エレンは饒舌に”クイーゾ”についての解説を始める。
エレンの解説がつらつらと続く中、レイチェルは腹部を抑えながら小さく声を上げた。
「その話、長くなりそうかしら」
「……いや、話は終わりだ。エレンもさっさと食べろ」
「うん」
ピザを切り分けたアルギスが話を遮ると、エレンは口を閉じて一切れを手に取る。
慣れた様子でエレンがピザを口に運ぶ横で、レイチェルは恐る恐る口をつけた。
「……美味しい」
(やはり美味いな。しかし、この世界の食文化はどうなっているんだ?)
やや遅れてピザを食べ始めたアルギスは、口を動かしながら考え込む
全員が黙々と食事を進める中、レイチェルは不意にアルギスに向き直った。
「……アルギス、ありがとう」
「どうしたんだ?」
唐突に頭を下げるレイチェルに、アルギスはキョトンとした顔で食事の手を止める。
たちまち笑顔を浮かべたレイチェルは、嬉し気に首を振った。
「なんでもないわ」
「よくわからない奴だ」
食事を再開するレイチェルに眉を顰めつつも、アルギスもまた、残ったピザに口をつける。
皿に切り分けられたピザは、3人が次々に手に取り、瞬く間に無くなっていった。
「おいしかった」
「ええ、とっても美味しかったわ。ごちそうさま」
「ああ、初めてにしては成功だったな」
汚れた手を拭うと、アルギスは空になった皿を下げようと手を伸ばす。
しかし、アルギスが触れるよりも早く、レイチェルの手が皿を拾い上げた。
「片付けくらいするわ」
「ふむ。なら頼んだ」
「ええ」
背もたれへ寄りかかるアルギスをよそに、レイチェルは軽い足取りで厨房に向かっていく。
それからしばらくの間、アルギスとエレンが待っていると、カップとポットを乗せたトレイを手にリビングへ戻ってきた。
「お待たせしたかしら」
「……なにをしている?」
当然のように机へカップを置くレイチェルに、アルギスは目頭を押さえながら声を掛ける。
3人分のカップを置き終えたレイチェルは、目をぱちくりさせながらソファーへ腰を下ろした。
「食後のお茶よ?エレンも飲むでしょう?」
「飲む」
レイチェルが微笑みかけると、エレンは早々にカップを手に取る。
唖然とするアルギスを尻目に、2人は紅茶へ口をつけながら、和気あいあいと会話を楽しみ始めた。
(人の部屋で勝手に……まあ今日は大目に見るか)
湯気を立てる紅茶に眉を顰めつつも、アルギスは何も言わずソファーに放置していた本を開く。
そして、それから数十分ほど経った頃。
本を閉じたアルギスは、未だソファーへ腰かける2人に、ため息をついた。
「いつまでいる気だ。もう遅い、さっさと帰れ」
「……ええ、そうね」
アルギスが声を掛けると、レイチェルは名残惜しそうにソファーを立つ。
トレイへカップを乗せるレイチェルから目線を外したアルギスは、なおも立ち上がろうとしないエレンへ顔を向けた。
「おい、エレン。お前もだ」
「もう眠いから、少しここで寝ていく」
大きな欠伸をしたエレンは、かけていた眼鏡を外して、ごろりとソファーに寝転がる。
そのままクッションを枕にして目を瞑るエレンに、アルギスは口を開けて言葉を失った。
「おい……」
「ダメよ、そんなの寮のルールに反するわ。外泊の許可をとっていないでしょう?」
アルギスが口を開こうとすると、レイチェルは先んじてエレンを揺り起こす。
迷惑そうに瞑っていた目を開けたエレンは、レイチェルから逃げるように丸くなった。
「私は大丈夫。入学の条件に工房での外泊許可が含まれている」
「そんな……!で、でもダメよ」
即答された内容に狼狽えつつも、レイチェルは眠たそうにするエレンを揺すり続ける。
押し問答を繰り広げる2人に、アルギスはうんざりした表情で扉の方向を指さした。
「ここは工房じゃなくて私の部屋だ。帰れ」
「ほ、ほら、帰りましょう」
「むぅ」
しぶしぶソファーから起き上がったエレンは、唇を尖らせながら眼鏡を手に取る。
そして、フラフラと立ち上がると、レイチェルへ寄りかかるようにして扉へと歩き出した。
「……まったく」
連れ立ってリビングを出ていく2人を、アルギスは呆れ交じりに追いかけていく。
程なく、部屋を後にしたレイチェルは、後ろを振り返ってアルギスに微笑みかけた。
「今日はごちそうさま」
「ありがとう。また来るね」
ペコリと頭を下げると、エレンはすぐにレイチェルの腕へ寄りかかる。
ウトウトとするエレンを慌てて支えたレイチェルは、苦笑いを浮かべながら頷いた。
「……そうね、またお邪魔するわ」
「……機会があればな」
不安げに呟くレイチェルに対し、アルギスは気楽な調子で肩を竦める。
無愛想なアルギスの返事に、レイチェルは笑みを嬉し気なものに変えた。
「そうね。それじゃあ、おやすみなさい」
「じゃあね」
別れを告げた2人は、寄り添うように廊下を歩き出す。
アルギスが見送る中、時折笑い声を響かせながら、魔導昇降機のあるホールへと消えていった。
(年明けまで1ヶ月と少し……間に合うか?)
ゆっくりと扉を閉めると、アルギスは難しい顔でリビングへと戻っていく。
しかし、ソファーへ腰掛けたアルギスが、しばらく頭を悩ませても、一向に妙案を思いつくことは無かった。
「……父上に連絡を取るしかないだろうな」
諦めたように肩を落としたアルギスは、すっかり冷めきった紅茶を一気に飲み干す。
そして、膝に手をついて立ち上がると、足早に執務机へと向かっていくのだった。