2話
シャーロットが必死で森を駆けていた頃。
2人を乗せた幽闇百足は、既に森を抜け、公都付近の街道へと辿り着いていた。
「客人はいないようだが……ここまでだな。降りるぞ」
「はい」
公都の城下を囲む防壁と、豪奢な装飾の為された門扉を確認したアルギスは、マリーと共に幽闇百足から飛び降りる。
そして、怯えて小さくなっている男たちを地面に引きずり落とすと、軽く手を振って幽闇百足を送還した。
「私はここで見張りをする。お前は門兵を何人か連れてこい」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げると、マリーは門扉の横に立つ門兵の下へと歩いていく。
一方、縛り上げた男たちと共に街道の脇に残ったアルギスは、口元に手を当てて考え込み始めた。
(この状況を父上が無視している?……もしくは何か、計画でもあるのか?)
「アルギス様、門兵の方々を連れて参りました」
「……ああ」
グルグルと答えの無い思考を繰り返していたアルギスに、門兵を連れて戻ってきたマリーが声を掛ける。
そしてアルギスが顔を上げると、マリーの連れて来た4人の門兵の内、全身鎧を纏う1人が前に進み出た。
「お待たせして申し訳ございません。自分は公都東門門兵長、ディアスと申します」
「挨拶は不要だ。それよりも、こいつらをバルドフの所へ連れていけ」
緊張の面持ちで敬礼する門兵達をよそに、アルギスは地面で藻掻く3人の男を見下ろす。
手足どころか口すら封じられている男たちを見たディアスは、訝し気に1人1人の顔を確認していた。
「この者たちは一体?」
「……他言無用になるが、それでも聞きたいか?」
ディアスの鎧を掴んで引き寄せると、アルギスは耳元に小さな声で囁きかける。
ビクリと震えたディアスは、顔を青くして、即座に腰を折った。
「結構でございます!失礼いたしました!」
「ならば、すぐに騎士団へと引き渡しに行け。お前らの仕事は、それで終わりだ」
「はっ。直ちに!」
指示を受けた門兵たちは、素早く縄で縛られた男を担ぎ上げ、ディアスを先頭に門扉へと戻っていく。
ややあって、門兵たちが十分に離れたことを確認すると、アルギスはしかめっ面で歩き出した。
「私たちは冒険者ギルドに向かうぞ。お前もローブを着ておけ」
「かしこまりました」
小さく頭を下げたマリーは、影の中から取り出したローブを羽織りながら、どこか軽い足取りでアルギスを追いかけていく。
やがて、アルギス達が門の前まで辿り着くと、脇に控えていた門兵たちは、静かに扉を開き始めた。
(久々に嫌な予感がするな。……話だけ聞いて、さっさと屋敷に戻ろう)
背筋に冷たいものを感じながらも、アルギスは門扉をくぐり、商業区へと足を進める。
顔を覆い隠すローブのフードを被ると、真っすぐに冒険者ギルドへ向かっていった。
◇
それから商業区の通りを進むこと数十分。
ひと際幅の広い大通りへと差し掛かった2人は、様々な武器を抱えた冒険者や、商人たちの牽く馬車の間を抜けていく。
しばらくして、屋根に2枚の旗が靡く煉瓦造りの建物の前に辿り着くと、アルギスは木製の扉に手を掛けた。
「一応、お前も顔を隠しておけ」
「承知いたしました」
フードで顔を隠した2人は、酒臭い酒場の併設されたホールの通路を通って受付カウンターへと向かう。
2人が受付に着くと、ニコニコと微笑む受付嬢はカウンターに腰かけたまま、丁寧に頭を下げた。
「公都冒険者ギルドへようこそ。ご依頼でしょうか?」
「ギルドマスターに会わせろ」
カウンターに手をついたアルギスは、前のめりになって受付嬢の顔を睨みつける。
アルギスの態度に冷や汗を流しながらも、受付嬢は笑顔を崩さずに首を傾げた。
「……面会の御約束は、ございますでしょうか?」
「約束はないが、これがある」
張り付けたような笑顔を見せる受付嬢に対し、アルギスは懐から取り出した緻密な装飾の短剣をカウンターに置く。
ゴトリと音をたてる短剣の意匠を確認した受付嬢は、目を見開いて椅子から立ち上がった。
「これは!大変、失礼いたしました!」
(はぁ……何とかなりそうだな)
ホールの階段を駆け上がっていく受付嬢の姿に、アルギスはこっそりため息をつく。
そしてカウンターから離れ、壁際にかけられた依頼ボードを見ていると、すぐに息を切らした受付嬢が駆け寄ってきた。
「ハァハァ、お待たせいたしました……!ギルドマスターが、お会いになるそうです」
「……さて、どうなっているのか。見せてもらうとしよう」
表情を引き締めたアルギスは、誰にともなく独り言を呟きながら、受付嬢の後をついていく。
やがて、ギルドマスターの部屋の前までやって来ると、マリーは素早く前へ進み出てドアノブを引いた。
「どうぞ」
「邪魔をするぞ。レオニード」
「これはご子息殿、なんでも儂に用があると聞いておりますが?」
部屋の机に腰かけた老人は、掛けていた眼鏡をはずすと、好々爺然とした笑みを浮かべる。
扉を開けた先にあったのは、紛れもなく公都冒険者ギルドのマスター、レオニード・ユーブルスの姿だった。
「ああ、ちょっとした噂を小耳にはさんでな。事実確認に来たわけだ」
「儂にお答えできることであれば、何なりとお申し付けください」
手に持っていた書類を机に置いたレオニードは、相変わらずニコニコと笑いながら、長い顎ひげを撫でている。
見慣れたレオニードの様子に、アルギスは何も言わず、ソファーに腰かけた。
(今のところ、不自然な点は無いが……《傲慢の瞳》よ、ステータスを表示しろ)
――――――――
【名前】
ゲイル
【種族】
魔族
【職業】
トラップマスター
【年齢】
107歳
【状態異常】
・なし
【スキル】
・擬態
・短剣術
・隠密
・暗器収納
・罠解除
・罠作成
【属性】
無
【魔術】
・強化系統
【称号】
・内通者
――――――――
(……は?なんだ、このステータスは?)
表示された異様なステータスに、アルギスはピタリと動きを止める。
レオニードの姿をした魔族――ゲイルは不思議そうな表情で、机に肘をついた。
「おや?どうされましたかな?」
「アルギス様?」
「……どうして、こうも、次から次へと」
目頭を押さえたアルギスは、苛立たし気に顔を歪めながらソファーから立ち上がる。
そして、懐からガラス製の容器を取り出すと、ゲイルへ向かって放り投げた。
「私を休ませる気はないのか?」
「アルギス様、なにを!?」
マリーが叫ぶ中、放物線を描く容器は、机にぶつかって粉々に砕け散る。
すると、容器からこぼれ出した黒い霧は、立ち昇るように広がり、机の周囲に漂い始めた。
「っ!いくらエンドワース家であろうとも、冒険者ギルドに対してこのようなっ!」
「黙れ、魔族とは一体なんだ?レオニードをどこにやった?」
喚きたてるゲイルの声を遮ると、アルギスは肩をいからせて、ズカズカと机に近づいていく。
見下ろすように睨むアルギスに対し、ゲイルは椅子に座ったまま片眉を上げた。
「……チッ。なんでこんなガキが俺達のことを知ってやがる?」
「え!?」
全く知らない口調で話し出すレオニードの姿に、マリーは目を白黒させる。
既に潜入を諦めたゲイルは、急いで椅子を立とうと、肘掛けに手をついた。
「バレてるなら仕方ねぇな。ここまでだ」
ゲイルが椅子から腰を上げると、黒い霧はたちまち鎖に姿を変え、ジャラジャラと音をたてて手足を拘束していく。
椅子に括り付けられていくゲイルを、アルギスは楽しげに眺めていた。
「クク、そう簡単には逃がさんよ」
「おい、ガキ。何をしやがった?」
徐々に体の自由を奪われていくゲイルは、どうにか首だけを動かし、アルギスを睨みつける。
すると、アルギスは再び懐からガラス製の容器を取り出し、ゲイルの前で小さく揺らした。
「これは私の魔術講師が得意としていた術式だ。どうだ、効くだろう?」
「ガキの癖に呪術だと……?そもそも、エンドワース家は死霊術の家だろうが!」
すっかり椅子に固定されたゲイルは、体を拘束する鎖をガチャガチャと鳴らしながら、声を荒げる。
しかし、ローブの袖から飛び出した短剣を掴むと、片手で鞘を外してニヤリと笑った。
「魂縛の短剣よ。”拘束”だ」
ゲイルがスキルを使用すると、短剣の刃に刻まれた魔術陣が輝き、アルギスの足元からは七色の網が立ち上がる。
左右から迫る網に挟まれながらも、アルギスは鬱陶しそうに手を払い、網ごと引き裂いた。
「……なんだ、これは?」
「なぜ倒れない!竜種すら捕えられるスキルだぞ!?」
これまで余裕を笑みを見せていたゲイルは、予想外の事態に目を見開く。
焦りを見せ始めるゲイルと入れ替わるように、アルギスは不敵な笑みを浮かべた。
「もう、その程度で私を捕らえることはできない。ただそれだけのことだ」
「舐めやがって!」
拘束を逃れるため、ガタガタと体を揺らすゲイルは、目を血走らせながら、唾を飛ばす。
懐へ容器を仕舞いなしたアルギスは、必死で抵抗するゲイルを冷たい目で見下ろしていた。
「……さて、そろそろ頃合いだな。マリー、縄と布を用意しておけ」
「かしこまりました」
「なんの話……」
言葉の途中で机に突っ伏したゲイルは、肌がボロボロと剥がれるように、レオニードの姿から本来の姿に戻っていく。
やがて、褐色の肌が見え始めると、目元と耳に奇妙な刺青が入った20代半ば程の男へと変わっていった。
「――”消えろ”……これも一応、貰っておくか」
呪術の鎖を消したアルギスは、ゲイルの足元に落ちていた短剣を拾い上げる。
そしてゲイルを床に寝かすと、マリーから受け取った厚手の布をバサリと被せた。
「……やむを得ん、裏から屋敷に戻る。一度、南門から公都を出るぞ」
「承知いたしました」
アルギスの指示を受け、しゃがみ込んだマリーは、ゲイルの姿を隠すように布の上からきっちりと縛り上げる。
しばらくして、マリーがゲイルを肩に担ぎ上げると、2人は急いで冒険者ギルドを後にするのだった。