幕間
ソラリア王国の西方、砂漠を超えた先にある宗教国家――トゥエラメジア教国。
大陸最西端の突き出た部分に位置し、三方を海に囲まれたこの国は、外部の侵略を防ぎやすく、海洋の軍備や交易にも恵まれていた。
また、国家を運営する聖都の中央には、尖塔に囲まれた豪華絢爛な教会と天を貫く結晶の塔が建ち、異様な存在感を醸し出している。
そして数ある尖塔の内、最も高い塔の最上階には現在、椅子に腰かけた教皇、マルティン・デ・ロサスと、周りを囲むように立つ枢機卿たちの姿があった。
集まった全員がキラキラと輝く豪奢な法衣に身を包み、中でもマルティンの法衣は、でっぷりとした体も相まって、まるで黄金の山のようになっている。
「そろそろ、ですかね……」
招集した人数が集まっていることを確認したマルティンは、小さく口を開く。
ややあって、ゆっくりと椅子から立ち上がると、穏やかな表情で両手を広げた。
「それでは、本日の神聖会議を始めましょう。――皆さん、祈りを」
マルティンの言葉に、枢機卿たちは目を瞑り、床に膝を着いて手を組むと、厳かな態度で祈り始める。
祈りを終え、全員が立ち上がったことを確認すると、マルティンは数いる枢機卿の内の1人、大柄な中年の男へと声を掛けた。
「アントニオ、報告をお願いしますね」
「はい、猊下。どうやら”エーテル”に動きがあったようで、各地の魔物の動きが活性化の兆しを見せております」
ラナスティア大陸の監視を担当する枢機卿、アントニオ・イ・モンテロは一歩前に進み出て、報告を始める。
そして、一拍置くとマルティンの表情を窺いながら、言葉を重ねた。
「属国においても、結界の強化を陳情する村が増えているとのこと。いかがなさいますか?」
「そうですね……。我が子たちを危険に晒すわけにはいきません。何人か、”聖騎士”を派遣しましょう」
ラナスティア大陸の現状に目を伏せたマルティンは、すぐに穏やかな笑みを浮かべて、アントニオへと指示を出す。
マルティンの言葉に目を輝かせたアントニオは、胸に手を当て、恭しく腰を折った。
「おお!教皇猊下の慈悲に多大なる感謝を」
「……お話し中、大変申し訳ありません。猊下、どうやら既に”虚ろの反転”は成ったようです」
部屋が暖かい雰囲気に包まれる中、アントニオの後ろから、躊躇いがちに声が上がる。
訝し気に眉を上げたマルティンの目線の先では、老境に差し掛かった細身の男が、胸に手を当てて頭を下げていた。
「”デモルニア大陸”に、動きがありましたか?カルデロン」
「いえ。ですが聖典によれば、前回の”反転”より早1000年余り。いずれ動くものかと」
マルティンに顔を向けられた枢機卿――カルデロン・イ・ロドリゲスは、頭を下げたまま、粛々と報告する。
一方、黙って報告を聞いていたマルティンは、目を眇めながら、カルデロンの顔をじっと見つめていた。
「ふむ、なるほど。……君の事です、それだけではないでしょう?」
「……はい。東方、ソラリアより”勇者再臨”の報せが届いております」
「っ!そうですか……」
カルデロンの言葉に、これまで痛いほどの静寂を保っていた室内には、息を飲む音が響く。
そして、マルティンが悲し気に影を落とすと、周囲にいた枢機卿たちもまた、一様に悲痛な表情を浮かべた。
「我が国に生まれて頂ければ、ようやっと異教徒どもを殲滅できると思っていたのですがね……」
「はい、まことに残念でございます」
「また、救世が遅れてしまいますねぇ」
「大変、いたわしいことです」
目を伏せて大げさに首を振るマルティンの言葉に追従しながら、枢機卿たちはしきりに頷く。
しかし、枢機卿たちの中にポツンと立つ幼い少女だけは、淡い緑色の両目に軽蔑をたたえながら、会議の様子をじっと眺めていた。
「…………」
「――聖女ソフィア。貴女にも、協力してもらうことになるでしょう」
すぐに表情を元の戻したマルティンは、純白の法衣を纏う少女――ソフィアを手招きする。
すると、マルティンに呼びつけられたソフィアは即座に駆け寄り、反射的に膝をついて頭を下げた。
「はい。教皇猊下の御心のままに」
「ふふふ。あいにく勇者は逃しましたが、聖女となる君がいればデモルニアの”聖伐”も夢ではありません」
「はい……」
恭しいソフィアの態度に目を細めたマルティンは、口角を上げて手のひらを合わせる。
しばらくしてソフィアから顔を上げると、再びカルデロンへと目線を戻した。
「それで、魔族共の動きはどのように?」
「現状は各国で多少の蠢動が見られる程度。しかし、徐々にその数を増やしております」
顔を向けられたカルデロンは、静かに報告を再開する。
すると、これまでニコニコと微笑でいたマルティンの顔から、ストンと表情が失くなった。
「……やはり、既に”デモルニア大陸”のエーテル量は減少し始めているようですね」
「はい。”勇者再臨”の時期からして、あまり余裕はないものかと……」
報告を終えると、カルデロンは苦々しげに顔を歪めながら頭を下げる。
でっぷりとした喉元をさすっていたマルティンは、張り付けたような笑みを浮かべ、カルデロンを見つめた。
「我が子たちに、デモルニアの存在を知られるわけにはいきません。何か動きがあれば即座に対応なさい」
「承知しております。つきましては、いくつか”奴隷”をお借りしたいのですが……」
顔を上げたカルデロンは、マルティンの機嫌を窺うように、遠慮がちに言葉を続ける。
”奴隷”という単語にピクリと反応したマルティンは、オドオドと様子を見守っていた枢機卿に向き直った。
「……ベルトラン、可能ですか?」
「は、はい、猊下。”耳長”以外でしたら如何様にでも……」
忙しなく目線を彷徨わせながらも、慌てて頭を下げる枢機卿の名は、ベルトラン・イ・パスクアル。
一見、頼りなく見えるこの男は、小柄で気の弱そうな見た目に似合わず、トゥエラメジア教国の所有する奴隷の管理を任されていた。
ベルトランの素早い返答に、マルティンは表情を緩めながら、カルデロンへと頷きを返す。
「そうですか。では、”獣”をいくつか融通しましょう」
「教皇猊下の慈悲に、多大なる感謝を。……兄弟よ、感謝する」
「い、いえいえ。私は何もしておりませんので……」
重々しい態度で頭を下げるカルデロンに対し、ベルトランは苦笑いを浮かべながら、困ったように手を振る。
見慣れた2人のやり取りから目を逸らすと、マルティンはどこか遠い目をして天井を見上げた。
「それにしても、東方教会の堕落にガドル教の蔓延、加えてデモルニアの侵攻ですか。問題は山積みですねぇ……」
「猊下。ご下命いただければ、直ちに粛清いたしますが?」
マルティンの呟きに反応するように、これまで一言も発していなかった、顔を覆い隠すような独特の法衣を纏った男が前に進み出る。
しかし、目線を下ろしたマルティンは、血気盛んな男に穏やかな表情で首を横に振った。
「……嬉しい申し出ではありますが、今は止めておきましょう。アルフォンソ、君は少し、やりすぎてしまうから」
「かしこまりました……」
提案を退けられたことで、悔しげに頭を下げたアルフォンソは、静かに元の位置へと下がる。
すると、マルティンは膝に手をついて前のめりになり、アルフォンソへと、そっと語りかけた。
「アルフォンソ、そう落ち込むものではありませんよ。君の信心深さは皆が知る所、異教徒の粛清に一命を賭す覚悟は敬服に値します」
「おお……!何という、ありがたいお言葉……!」
優しく諭すようなマルティンの言葉に、アルフォンソは体を震わせ、涙を流さんばかりに感動する。
そのまま、床に片膝をついて祈り始めるアルフォンソをよそに、マルティンは立ち並ぶ枢機卿の顔を見回した。
「今は他国と表立って事を荒立てるわけにはいきません。表面上は対外関係を良好にしておくように行動なさい、いいですね?」
「教皇猊下の御心のままに」
強い口調で指示を出すマルティンに、その場にいる全員が床に片膝をついて、しゃがみ込む。
満足げに頷きながら肘掛けに手をついたマルティンは、ゆっくりと椅子から立ち上がると、両腕を大きく広げた。
「皆に、我らが神の祝福があらんことを」
顔の前で両手を組んだ枢機卿たちは、静かに唇を動かして黙祷を捧げる。
そして、祈りの時が終わると、マルティンに深く頭を下げ、1人ずつ退室していった。
「……さてさて、どうやって勇者をこちらに引き込もうか」
部屋に1人きりとなったマルティンは、独り言ちながらドカリと椅子に腰かける。
やがて、楽し気に両手をすり合わせるマルティンの頭上には、厳かな鐘の音が鳴り響き始めるのだった。