第八十九話 おなかの虫
「いよいよ明日だね」
「そうだな」
私達は駅に向かって歩いている。
「緊張してる?」
「それなりに」
「秋月くんでも緊張するんだ!」
「そりゃそうだろ」
時刻は正午過ぎ。私は秋月くんに自習室から連れ出され、これから昼食にありつこうとしているところだ。
「お前こそ緊張してんのかよ」
「するに決まってるよ!」
「腹の方は緊張感ゼロだったのにな」
思い出し笑いを噛み殺したような、珍しい表情の秋月くん。そんな彼の顔を見て私は、「へへへ」と笑う。
つい先程のことだ。静まり返った自習室で、私のお腹の虫がグーグー猛烈な声で鳴き始めたのだ。それはまるで前衛音楽のように、摩訶不思議なメロディを止め処無く奏で続けていたのだった。
「恥じらいもゼロだな」
「だってあれは生理現象だもん。いちいち恥ずかしがってても、きりがないよ」
そんなこと気にしてたら、解き途中の問題の要を見失ってしまう。お腹のギューギュー音が何だ。下してるわけじゃないんだから、放っておくしかない。私は超一極集中型人間なのだから。それに面白可笑しいあの間抜けな音は、もしかしたら場を和ませる効果があるかも知れない。
「悠里らしい考え方だな」
「ふふん。そうでしょ?」
お腹の虫についての持論を披露した私に、秋月くんは頷いてくれる。誇らしくなって胸を張った私の耳に、商店街の喧騒が近づいてきた。ああ、いい匂い。お昼は何を食べようかなぁ。
「……そういうところがいい。俺はお前のそういうところが、とても――――」
「――え?」
モヒカンの言葉の、最後の方は聞こえなかった。彼が足を止めていたたことに気づくのが遅れ、私の方が数歩前へ進んでいた上に、そして、
ファンファン、と後方から聞こえた車のクラクションが、私達の注意を引き寄せたのだ。




