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第三十九話 虫の知らせ

「そこからもう、荒れに荒れたな」


 しばらく大きな沈黙があって、それを破ったのは少しだけ軽くなった秋月くんの声だった。


「俺が」

「秋月くんが?」

「ああ。反抗期まっさかりの中坊だから、もう毎日イラついてた。学校なんて殆ど行かなかった。非行の限りを尽くしたっつーか。あ、でも喧嘩はあまりやらなかったな。生産性がなさすぎて性に合わなかった」

「へえ……」 


 喧嘩に生産性を見つけようとするあたり、やはり秋月くんだ。

 

「とにかく家に帰りたくなくて、年上の彼女の家に入り浸ってた。向こうの家庭もゴチャゴチャしてて、シンパシー感じたんだ。プライバシーもへったくれもない俺の家とは真逆で、あいつの家にはいつも俺達しかいなかった」


 はあ、非行の限り……喧嘩以外の非行の限り……うん、あまり想像しないでおこう。 


「たまに彼女の家に行かない時に、ジローのところにも行ってた。開設したばかりの私塾。昼間の、生徒がいない時間を狙って。誰もいない事務所で、ぼーっとテレビ観てたんだ。大抵昼過ぎで、その時間に映画を流してるチャンネルがあってさ。それを観てた。なんとなく」

 

 私も映画は好きだ。毎日イラついていた当時の秋月くんは、どんな映画を観たのだろう。


「……タイトル覚えてねえし、途中を観ただけだからどんな作品なのかすら分からないままだけど……ある日観たワンシーンが、強烈に記憶に残ってるんだ」

「へえ。どんな?」


 興味を引かれた私は、自然と質問をしていた。目が暗さに慣れていた。秋月くんが私を見て、少しだけ微笑んだのが分かった。彼の顔はまた正面を向く。


「手を繋いで横一列に並んだ子供たちが、地雷原を歩くんだ。皆ふっ飛ばされる。そして少年兵が大人に向かって発砲するシーンに変わった。皆、恐怖心を消すためにクスリを打つんだ。注射器で。何度も何度も。腕にタコができるくらい」

「……紛争地が舞台の映画かな」

「そうだな。その時はそんなシーン見ても、ああ悲惨な世界だとしか思わなかった。けどその日の夜、彼女の家に行った時にさ」


 言葉が唐突に途切れた。


「ついさっき映画で見たのと、似たような注射器があったんだ。『やらないか?』って誘われた」

「え。まさかそれって」

「『嫌なこと全部ブッ飛ぶよ』って言ってた。その時、猛烈にあの映画のシーンが蘇ってさ。注射ダコのできた子供の細い腕。銃を乱射する死んだ目。地雷で吹っ飛ぶ手足――――あ、ヤバい。これはダメな一線だと思って、適当なこと言って帰った。それから、どんどんあいつとは疎遠になっていった。不思議なくらい会わなくなった」

「……良かったんじゃない?」

「虫の知らせですね」


 八幡ちゃんが口を開いた。


「多くの人は真面目に受け取りませんが、それは『虫の知らせ』の一種ですよ。一馬くんが見た映画のワンシーンは、一馬くんの意識の中に麻薬と破滅の恐怖を植え付けた。それが数時間後の一馬くんの行動にしっかり作用して、破滅から救うことになったんですね」


 小さなエイリアンは、ただいつも通りの口調で説明する。


「虫の知らせか。ああ、そうだったのかもなあ。直前にあのシーンを見なかったら、『嫌なこと全部ブッ飛ぶよ』って言葉に、きっと何も考えずに乗ってた。その先のことなんて、想像しようともしなかっただろう」


 秋月くんは言いながら、スマホを取り出して時刻を確認しだした。彼の手は再び回収袋の口を緩めると、追加の時間球を私達の手の上に載せる。


「良かったんだろうな。かろうじて道を踏み外さなかった。それから、ただなんとなく日々をやり過ごすのが怖くなったよ。何かを考えていないと、あの一線を超えた向こうに引っ張られていって、その先には死がある――破滅が待ち構えてる。それが漠然と怖くなっちまった。それまでは死なんて全然怖くない、むしろいつ死んでもいいなんて考えだったのに」


 時間球が消えた手のひらを、私は見つめ続けていた。静かなトーンの秋月くんの声が、頭の上をすーっと流れていく。

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