第十六話 時の枯渇
「時を枯渇させた社会? なんだそれ? 日本のことか?」
秋月くんは八幡ちゃんの様子の変化に、あからさまに声を低くした。
私も思わず、ポテトに伸びた手を引っ込めてしまう。搾取? 枯渇させた……? なんて不穏な言葉だ。
「そう。日本のことです。まあ、日本に限らず、多くの地球上の社会集団において、今は同じような状況といえますけどね。日本の場合はその国民性も相まって、より進みが早いですからねえ」
八幡ちゃんの口調はいくらか陽気な調子を取り戻し、彼は残りのキッズバーガーを口に放り込んだ。
もぐもぐと咀嚼しながら、彼は無邪気な瞳を私達に向ける。
「お二人は、もう時間球についてはご存知でしょ? その収集キットを使いこなしているのですから」
私は神妙な面持ちで頷いた。秋月くんも同様だ。
「早く早くと急く気持ちを強く持ちすぎると、その切羽詰まった思考から“時”が絞り出されます。グルグルグルグル、思考の上で時が加速していく……遠心分離機にかけられた状態になるんです。時間を生乳とすると、時間球は遠心分離によって生み出されたバターです」
説明書にもそんなふうに書いてあったでしょ? と八幡ちゃんが言った。
「地球人の皆さんは、時間を決まった長さの定まったスケールのものだと考えがちですよね。時とは本来、そういうものではないのに」
「どういうこと……?」
時間って、何秒、何分、何時間って、決まった長さのもののはずだ。 だからこそこの世は回っている。昼があって夜が来て、また朝が来る。春夏秋冬がある。
「相対性理論か……? 光速を絶対とした時、時空は歪む。だから時の流れは一定ではなく、観測者によって異なる……っていう?」
秋月くん、私には到底理解できない話をしだした。何となく気づいていたけど、彼はこんな見た目をしてるが、案外賢い学生なんだろう。
理系モヒカンの言葉に、八幡ちゃんは眉根を下げながら首を振った。
「んー。ちょっとカスッてるけど、違います。ボクが言ってることは、もう少しあなた達地球人の科学の知見からは、離れたところにあります」
見た目はどう見ても小学生より幼い幼児なのに、八幡ちゃんの口から出てくる言葉は、その辺の大人より理知的な印象を与える。そしてぶっ飛んでいる。
「時間は伸び縮みするし、種によって流れ方も違うものなのです」
「違う?」
「例えば長い間進化もせず、安定状態にいるシーラカンスやハイギョといった生物が地球にはいますね。彼らの種としての社会は、古来から止まってる。時間が流れていないってことです。けれど常に目まぐるしい社会変化と不安定の中にいるあなた達ヒトの時間は、進み続け、加速し続けているんですよ」
私達は不安定の中にいる……確かにそうかも知れない。
「あなた方も、体感時間という表現を使うことあるじゃないですか。そういうことです。意識次第で時間は伸び縮みする。それが本来の時の姿」
時間は絶対的な単位であり、この世の摂理であると思っていた。それが伸び縮みなんてしたら、色んなものが狂ってしまうのではないだろうか。
そう思う一方で、何故か私はこの時、ちょっとだけホッとしていた。
八幡ちゃんの語る壮大なスケールの話題について、きちんと理解できるか否かは別として、一応の説明を得ることは出来たのだ。今朝からの私の不可解の大部分は解明された。
のろまの私にとって、この情報――急くことが時間球を生み出し、体外に時間を排出していること――は、かなりお得な事実ということではなかろうか。
「ねえ、つまり……せっかちは時間球を身体の外に捨ててるってこと? 時間を節約してるつもりが、逆に失ってるってことなの?」
私の質問を聞いた八幡ちゃんは、ウンウンと頷いた。
「その通りです! この説明をすると、地球人の皆さんは大抵納得してくれないんですけど……渦中にいる人は、実感できないのでしょうか。その点悠里ちゃんは素晴らしい理解力です! さすが度を超えたのんびり屋さんだけある!」
これって、褒められてるんだよね?
「せっかちは時間を捨ててるんですよ。そうしてどんどん思考上の時間は枯渇していく……『気持ちに余裕がなくなる』って言えば、分かりやすいでしょうか。まぁ、そういうことです。そして多くの人々が極限まで時間球を絞り出してしまったら――その時この国がどんな場所になっているのか。ボクはそれを、見届けたいと思っているんです」




