公爵令嬢はご婚約をお望みではなかったのでございます
いずれの王の治世でありましたでしょうか。やんごとなき身分の方から取るに足りない身分の方まで、多くのご令嬢が後宮にご出仕している中に、身分も高く、王からのご寵愛もひときわの方がいらっしゃいました。
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名を、クリスティーヌ様とおっしゃいます。
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クリスティーヌ様は公爵令嬢というご身分で、前王妃様の姪に当たり血縁も申し分なく、またご聡明で一挙手一投足がしとやかで、すべてのご令嬢の憧れの的でいらっしゃいます。そんなクリスティーヌ様が後宮にご出仕なさるのは必然のことで、現王がまだ殿下と呼ばれていらっしゃった時分から、正妃はクリスティーヌ様をとお望みでいらっしゃいました。
いっぽうのクリスティーヌ様は物心がつくときには後宮にご出仕し、厳しい教育が施され、毎日枕を濡らす日々でございます。殿下がクリスティーヌ様をお望みになればなるほど、クリスティーヌ様の心中は穏やかでなくはかなくなってしまいたいといつも気持ちは暗く沈んでいらっしゃるのでした。
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殿下のご成人の儀とクリスティーヌ様のご成人の儀が盛大に行われたある日のことでございます。クリスティーヌ様は恐るべきお噂を耳にして、どうしてこのような身の上なのだろうわたしはどうして神様にこのように嫌われているのだろうとお嘆きになっておりました。クリスティーヌ様がなかなか殿下とのご婚約をご承諾なさらないので、何人かの側仕えが結託し殿下をクリスティーヌ様の寝所に手引する手筈を取っているという本当に恐ろしいお噂でございました。口が尊いというのは一体なんの悪戯でいらっしゃることでしょう。
クリスティーヌ様はお部屋に戻ることも叶わず、ご成人の儀が盛大に催された王宮の大広間の片隅でおかわいそうなほどお顔も青ざめてがたがた震えていらっしゃいます。侍女がクリスティーヌ様をお部屋にお戻りになるようお伝えしてもクリスティーヌ様は固く口を閉ざし、まるでお御足と地面がまざりあってしまわれたかのように動こうとなさいません。そのときクリスティーヌ様のお側を、クリスティーヌ様ほどのご身分ではいらっしゃらないご令嬢がお近づきになりました。かの方は殿下の正妃のお立場をお望みでしたがそれが叶いませんので、クリスティーヌ様に恥知らずな感情を向けていらっしゃったのです。かの方はなぜあなたがと一言おっしゃって、恐ろしい形相でクリスティーヌ様を見ていらっしゃいます。
なぜわたくしが。
そのときクリスティーヌ様は思いついたのでした。もし殿下が他の女性と寝所を共になさったら。そうなったら今のこの情けない状況から少しは開放されるのではないだろうか。
クリスティーヌ様はかの方にそっと耳打ちなさいました。殿下は一晩の相手をお望みです。どうかわたくしのお部屋でお待ちください。心優しい殿下のことです。仮に本当のことがわかったとしてもあなた様を決して悪いようにはなさらないでしょう。それにもしこのような形でご懐妊となればあなた様のご身分は確固たるものになるに違いございません。あなた様のおっしゃる通り、わたくしはふさわしくない者でございます。どうか殿下をお助けになるとお思いになって、どうか。
クリスティーヌ様はご自分でも驚いていらっしゃいました。いつも情けない儚くなりたいと泣くばかりの自分がこのようなことをできるなんて夢にもお思いではなかったのです。いよいよあとがなくなったことで、クリスティーヌ様もお変わりにならざるを得なかったのでしょうか。
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その日の夜、殿下は、クリスティーヌ様ではないお方と、寝所を共にいたしました。そしてクリスティーヌ様のおっしゃる通り、殿下はその方を悪いようにはなさりませんでした。側妃にするとお決めになったのでございます。
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クリスティーヌ様は再び絶望の淵に立たされることとなりました。殿下はあくまでも正妃はクリスティーヌ様をとお望みであったのです。クリスティーヌ様がご出仕のお暇をご希望してもお許しが出ることはございません。そうしてまたしても、クリスティーヌ様の寝所に忍び込むという大変嘆かわしいお噂が流れてまいります。
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クリスティーヌ様は前回よりも高貴なご自分と遜色ないご身分の方に同じように囁やき手引きいたしました。
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悲劇の夜、殿下は、クリスティーヌ様ではないお方と、寝所を共にいたしました。そしてクリスティーヌ様のおっしゃる通り、殿下はその方を悪いようにはなさりませんでした。側妃にするとお決めになったのでございます。
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ご聡明なクリスティーヌ様は、その企みをお知りになるたびに同じ方法で回避なさいました。そうして現王の側妃と愛妾は気づけば十人を超えていらっしゃいます。それでもお二人は、それはもう、愛を確かめ合うかのように同じことを繰り返していらっしゃいます。さすがに臣下たちも危機を感じましたが、どなたもクリスティーヌ様を現王をお止めになることはできません。
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そのうちに現王は重篤な病に侵されることとなりました。幸いにも現王の血を引いていらっしゃるご子息ご令嬢は数多いらっしゃいましたので、国の運営について支障はございませんでした。現王は何度もクリスティーヌ様をお望みになりましたがそのたびにクリスティーヌ様はこのような恥ずかしい有様なので、陛下はお呼びになる相手を間違えていらっしゃるようです、とお答えになることはございません。現王が弱々しくなられるたびに、クリスティーヌ様の頬には赤みが指し、瞳はつややかな輝きを取り戻していらっしゃいます。現王はクリスティーヌ様にお会いになること叶わず、そのままお隠れになってしまわれました。
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後宮は新しくなりクリスティーヌ様のお暇についていよいよお許しが出ることになりました。
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クリスティーヌ様は王宮を振り返り恭しく一礼なさいます。そのお姿は天上の女神かと見紛うほど美しく匂い立つような所作に周囲の侍女たちはなんと素晴らしいお方だろうと拝見しておりました。
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「親愛なる母国が、永遠にご発展なさいますように」
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その後クリスティーヌ様のお姿を見た者はこの国には一人もいらっしゃらないようでございます。