表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編

「目上の人間の前ではマスクを取れ!」ク○団塊上司にパワハラされた派遣SE、辞表を叩き付けホワイト企業へ!

このサーバールーム特有のサーッと遠くで雨が降っているような音。

俺はこの音が大好きだった。


世の中には俺と似たような嗜好の人も多いようで、何とネットにはこのサーバーの音を流すASMR動画まであるのだ。


「仲島さん、こっちはチェック終わりました」

「早いね、サンキュー、後は俺がやっておくから三宅君は上がっちゃって」

「あ、はい、じゃあお先に失礼します」

「はいはい、お疲れさま~」


俺は仲島 晴久なかじま はるく、27才。

若くしてこの『ハイエナ商事』でサーバー運用のリーダーを任されている。

とはいっても中途の派遣採用、しかもハイエナ商事は意外に古い企業体質で、正規組と派遣組では露骨な待遇差が存在していた。


まあ、愚痴を言っても仕方がない。

なるべく出しゃばらないように、そして、皆が嫌がる仕事は率先してやるように心がけている。


これが、俺なりの処世術ってやつだ。


そのお陰かどうかはわからないが、入社した当初はトラブルが多く、かなり遅くまで一人で頑張っていたのだが、最近では進んで手伝ってくれる後輩も増えてきた。


やはり、人手に余裕が出来ると仕事の質も上がる。

皆で計画を立て、コツコツとメンテナンスしてきた甲斐もあり、最近はほぼ無事故でサーバー運用が出来ている。


……我ながら良く頑張ったよなぁ。

ふと、時計を見ると、もう21時を回っていた。


「やっべ⁉今週もう40時間超えてたっけ?あぁ……こりゃまた、文句言われるな……」


サーバールームを出て、薄暗くなったオフィスで一人コーヒーを飲んでいると、珍しく残っていた上司の金子部長がやって来た。


「ん?おい、仲島ぁ!そこで何やってんだ?俺は残業の許可出してねぇぞ?」

「あ、すみません……ちょっとメンテに時間が掛かってしまって……」


うわぁ~……よりによって金子部長か。

この人話通じないんだよなぁ……。


「は?毎度毎度、メンテメンテっつって、何やってんのか知らねぇけど……サボって時給稼いでるだけだろうが!」

「い、いえ、違いますよ!ちゃんと承認頂いた指示書もありますし、運用スケジュールに……」


「ごちゃごちゃ言い訳してんじゃねぇ!大体なぁ、人間様がやるよりも効率的で早いから機械なんだ。毎日そんなにやることがあるなんておかしいだろ?」

「い、いや、おかしくないですよ、そもそも……」


「おい仲島!目上の人間の前ではマスクを取れ!人としての礼儀だろ!そんなこともわからんのか、最近の若い奴は……ったく」

「いや、金子部長、僕の話を聞いて下さい」


「いま俺が話してんだろぉが!上司の説教中に口を挟むなんて、俺らの時代ならお前……パンパンやぞ?」


俺はマスクを取ろうと引っ張ったままフリーズした。


いや、そんなの知らねぇし……何時代だよ。

ていうか、何でそんな平気で他人を睨めるんだ⁉


何がそんなに腹立たしいのか?

こんなに怒る必要ってある?


もう勘弁してくれよ……。


「あ?何だお前?文句がありそうだな?」

「いえ、文句なんてないです……」


そう答えると、金子部長は急にふっと鼻で笑うと、表情を緩めて俺の肩に手を置き、「な~か~じ~ま~」と言いながら数回揉んだ。


「いてて……」

「はっはぁ!派遣が大変なのはわかる!俺も少し大人げなかったな……うん。でもな、お前がどうでもいい部下ならこんな口うるさく言わないんだよ。お前が絶対伸びると思ってるからこそ、つい、俺も真剣に向き合ってしまうんだ、わかるよな?俺はお前に期待してるんだ、ここだけの話、お前を正規にって話もあるんだぞ?」

「は、はあ……」


もしかして、フォローのつもり?

今どき正規ちらつかせて、派遣が食いつくとでも思ってるんだろうか?


正直、何言ってるのかまったく理解できない。

一体、この人はどういう理屈で動いているんだろう?


会社、辞めようかな……。


翌日、直属の上司である新田係長に呼び出された。


金子部長に比べれば、随分話のわかる人だ。

呼び出されるのは初めてだが……まあ、大丈夫だろう。


会議室に入ると、角に座っていた新田係長が立ち上がり、隣のパイプ椅子に手を向けた。


「失礼します」

「おお、仲島、悪いな呼び出したりして……ん?どうした、顔色が悪いぞ?ちゃんと飯食ってるのか?」

「え?あー、はい、大丈夫です」


俺は一礼して腰を下ろし、姿勢を正した。


「はは、そんな固くならないでいいよ」

「はい、わかりました」


「早速だが……、実は金子部長から、君を寄越せと言われてな」

「え……⁉」


気まずそうに俺を見ながら、新田係長は組んだ手の親指をくるくると回している。

これは……嫌な予感が。


「名ばかりだが、一応運用部のトップだからな……私も君に抜けられると厳しいと言ってみたんだが……」

「もしかして、異動でしょうか?」


「……期限付きとは言ってあるんだ、それに金子部長の下なら、さほど難しい業務もないぞ?」

「お言葉ですが、私の契約業務はサーバーの保守運用のみだったはずです、それ以外の業務に就くつもりはありません」


「しかしだねぇ……知ってるだろう?金子部長は……ほら、一度言い始めると聞かない人だから……」

「それと私の異動とは関係ないと思いますけど」


俺が言い返すと、新田係長が少しムッとした顔になった。


「これはね、君のためでもあるんだよ?本当なら辞令一つで終わる話なんだ。それはあまりにも可哀想だと思って、私がこうして話しているんじゃないか!」

「え……いや、しかし……」

「話を遮るな!ったく、これだから派遣は……いや、今のは忘れてくれ、本意じゃない」

左手でこめかみを押さえながら、右手をピッと俺に向ける。

「はあ……」


何だコイツ。勝手にキレて格好つけてる。

係長はこんな人だと思ってなかったんだけどな。


あーあ、中堅上位、そこそこの会社に入れたと思ったのに……。

今時、こんな体質の会社ある?


指示書にハンコが10以上並ぶ時点で気付けば良かったよ。


「まあ、考える時間も必要だろう、一度ゆっくり考えて、来週にでも返事をくれないか?」

「……わかりました」


「落ち着いたら飲みに行こう、もちろん俺の奢りでな」

新田係長はそう言って、嘘くさい笑みを浮かべる


俺は愛想笑いで誤魔化し、会議室を後にした。



* * *



お茶を片手に会社の屋上にある休憩スペースに行き、ベンチに腰を下ろした。


「ふ~……」


この会社でいいなと思ったのは、この休憩スペースだけだ。

禁煙ブームの流れを受けて、この会社でも社内で吸うのは御法度となったらしい。

ただ、役員室と社長室は喫煙可能というわけのわからない状況だ。


屋上は結構広く、数人の愛煙家達がぽつんぽつんと休憩を取っているのが見える。

空を見上げ、俺は流れる雲を眺めた。


このままでいいのかな……。


「仲島さん、ここでしたか」

「ん?あぁ、三宅君も休憩?」


「はい、ていうか……仲島さん眠れてます?酷い顔してますよ?」

「そうか?昨日遅かったからかな……ははは……」


「……ちょっと今、お話してもいいですか?」

「俺……?あ、ああ、もちろん」


三宅君は辺りを警戒するように見渡した後、俺の隣に座って顔を近づけた。


「あの、聞きました、金子部長の件。ヤバくないですか?」

「あー、もう噂になってんだ……はは、参るよな」


ササッともう一度周りを見渡して、三宅君は身体を俺の方に向けた。


「実は仲島さんにお話があるんです」

「改まって言われると……何か怖いな」


「いやいや、絵とか化粧品の話じゃないんで安心してください」

「それはわかってるけどさ」


「実は……僕の知り合いが立ち上げたITベンチャーが、かなり上手く行ってるみたいなんです。それで、ここの話をしてたんですよ。いまどき決裁にハンコ二桁だって」

「それは大袈裟……でもないね」と、俺は苦笑する。


「それでサーバー運用の話になって……あ、もちろん守秘義務は守ってますよ?その時に仲島さんの話をしたら、ぜひ会ってみたいって言ってるんです」

「え?俺⁉」


「はい、仲島さんみたいなエンジニア、この会社には勿体ないですし、正直、宝の持ち腐れですよ。僕も近いうちに辞めるつもりですし、一度顔合わせしませんか?」


凄いな……若いのに人脈も行動力もあるのか。

いや、年は関係ないな、三宅君は入社してきた時から有能だったし。


「……ちょっと考えさせてもらってもいい?いま、ちょっと頭が回らなくてね」

「もちろんです。あ、ちなみに僕はもう辞表出してあるので」

三宅君は爽やかな笑顔で言うと、屋上を後にした。


「はぁ~……」


素直に信じたら、痛い目見るかな?

ITベンチャーだなんて……そんなキラキラした会社が俺を雇うわけがないか。


俺はベンチに凭れて、空を見上げた。

雲一つ無い快晴だった。


――次の日。

俺は前々から早く使えとせっつかれていた有給を消化している。

使え使えと言う割に、纏まとめては取らせてくれない不思議……。


しかし、平日の昼間に街を歩いていると、何だか不思議な高揚感があるな。

商店街をあてもなくぶらぶらしていると、スマホが震えた。


「ん?」


見ると、そこには会社の名前が表示されていた。


え、何で会社から……。


嫌な予感しかしなかった。

サッと血の気が引き、首筋が強ばる。


特に何もトラブルなど無かったはずだが……。

考えを巡らせている間にも、手の中でスマホは早く取れと震え続けている。


俺は……恐る恐る通話をタップした。


「はい……」

「おい!仲島ぁ!お前システムが使えねぇぞ、何をやったんだ!」


「――⁉」

思わず耳からスマホを離した。


この怒鳴り声は金子部長……⁉


「え……いや、ちょっと待ってください、僕、今日は有給消化中で……」

「あ?何を舐めたこと言ってんだ!お前がリーダーだろ!早く何とかしろ!」


そんな無茶苦茶な……。


「えっと、申し訳無いのですが三宅君はいますか?現状を確認します」

「おい、仲島ぁ~、お前状況わかってんの?いいから来い!今すぐだぞ!」

「ちょ……」


一方的に通話を切られてしまった。

こういうのドラマで見たことがあるなぁ……。


行き交う人達のど真ん中で、俺はしばらく呆然とスマホを眺めていた。



* * *



サーバールームに入り、

「お疲れ様です、現状説明お願いします」と声をかけた。

「あれ……仲島さん?今日、有休でしたよね?」

三宅君が小首を傾げた。


「ああ、金子部長から連絡があってね。で、障害の程度は?」

「え?いや、定期メンテで30分ほどシステムは止めましたけど……特にトラブルは起きてませんよ?」

「……」

「もしかして、呼び出されたんですか⁉」

俺は無言で小さく頷いた。


「そ、そんなぁ……」

「まぁ、何事も無かったんなら良かった、安心したよ……じゃあ、俺は帰るね」


そう言って帰ろうとすると、三宅君に呼び止められた。


「仲島さん!もうこれ以上この会社に関わらない方が良いです!早退しますから、この後、僕の知り合いと話をしてみませんか⁉」


何でこんなに真剣な顔をして……そんなに俺の事が心配なのかな?

それとも、紹介料でも入るのか……。


「い、いや、早退だなんて……」

「何を言ってるんですか!ご自分の顔を良く見て下さい!」

三宅君がサーバーケースのガラスに映った俺を指さす。


見るとそこには、自分の記憶の中の顔と違う別人がいた。

酷い隈、落ちた瞼、肌は荒れ、髪は手入れもせずボサボサ……。


「え……これが、俺……?」

「やっとわかりましたか?仲島さん、一緒に来てくれますね?」


三宅君の顔があふれ出る涙で歪んだ。


「あ、あれ……変だな……ははは」

嗚咽が止まらない。


「おかしいな……あれ?」

止まる気配のない涙に戸惑う。



「……ごめん、ごめん、へへへ」



ただ、今まで溜まっていた何かが。



気付かないふりをしていた何かが――。



「あれ?止まらないや……なんだこれ」



堰を切ってあふれ出てくる何かが、俺の涙腺から出ていくのを感じていた。



三宅君がそっとティッシュをくれる。


「大丈夫です、仲島さん。今日で全部終わります」


俺は頷くので精一杯だった。


俺と同じ無精髭。

でも、彼の場合は清潔感があると思った。


「いやぁ、来て下さって本当にありがとうございます!ちょっと手狭ですが、どうぞどうぞ」


……少し年上かな。

それにしても物腰の柔らかい人だ。

顔も優しそうだし、何より本当に歓迎してくれているのが表情でわかる。


「ありがとうございます、突然お邪魔してしまって……すみません」

「何を言ってるんですか!三宅から聞いてますよ~、LAMPは全て対応できるとか?」

「まぁ、一応は……ですけど」


LAMPというのは、Linux、Apache、MySQL、PHP、またはPerlかPythonといった、現在人気のあるプログラミング言語の頭文字を取ったもので、作業環境の種類みたいなものだ。会社によって作業環境も変わるので、当然、多くの言語に対応できることが望ましい。


「凄い!パケット通信周りにも精通してると聞いてますが……?」

「あ、それは……趣味の範囲です、実務は経験してません」


「それでも知識は持たれているわけですよね?」

「あまり自信はありませんが……基本的なことならカバー出来ていると思います」


「素晴らしい!で、いつから来ていただけますか⁉」

「へ……?」


「ちょ、ちょ、寺島さん、急すぎますって、ほら、仲島さん引いちゃってますし」

三宅君が横から入ってきた。


「あ……ごめんごめん、つい、悪い癖が出ちゃったよ」

「ホントですよ、だって自己紹介もまだですし」


「え?あれぇ⁉まだ名乗ってなかったですか⁉」

寺島さんは驚いたように目をパチパチさせた。


「え、ええ……でも、私もまだですし……」

「ははは!いやー、申し訳ございません、では改めて……オホン!ホワイトタイガー社の代表をしております寺島といいます、どうぞよろしくお願いします!」


「あ、じゃあ僕も……改めて、仲島と申します、三宅君からの紹介でお邪魔させて頂きました……よろしくお願いします」


お互いに椅子に座ったまま頭を下げた。


「さて、自己紹介も終わったことですし……いつから来て頂けますか?」

「寺島さ~ん、僕の話聞いてましたぁ?」

三宅君が半笑いで突っ込む。


「三宅、こんな人材、みすみす俺が逃がすわけないだろ?さ、仲島さん、条件詰めちゃいましょうか?年俸はどのくらいで考えてらっしゃいますか?」

「え、いや……その……」


答えあぐねていると、寺島さんは突然何か考え込むように黙ってしまった。


「……」


俺は三宅君と顔を見合わせた。

三宅君も「さぁ」と肩を竦めて見せる。

何だろう……何か気に障ったのかな。


「わかりました、少し急ぎすぎましたね。よし、プレゼンしましょう。えっと、なぜ私がこれほど積極的にアプローチをするかと言いますと……まず第一に、仲島さんのスキル、第二に、仲島さんの年齢を含めた将来性、そして最後は……フィーリングです!」

「フィーリング?」


「フィーリングも意外と馬鹿にできないですよ?私は、いや、私たちは、自分達と合わない人とは仕事をしません、というか、する必要もありません」

「どういう……ことですか?」


「営利目的な組織である以上、仕事をして対価を頂く。これは当然です。ですが、私たちは対価を頂く相手を選びます。言い換えれば、選べるだけの強みを持っている組織ですね」

「それは凄いですね……」


うーん、プロ集団ってことかな?

まあ、確かに三宅君も、何処でも通用するスキルを持っているもんなぁ。


「あの、仲島さんは鈍感系主人公ですか?」

「へ?」

「あ、いや、言っておきますが、私はアプローチする相手も選びますよ?」

「いやー、かなり基準が高そうですね……僕には無理かな」


寺島さんは「マジ?」と三宅君の顔を見た。

三宅君は逃げるように「僕、コーヒー淹れてきます」とその場を離れた。


やっぱり、もう一度……派遣会社に相談してみようかな。

希望時給を下げれば早めに見つかるかも知れないし……。


「仲島さん」

「え?」


顔を上げると、寺島さんが心配そうな目を向けていた。


「誤解を恐れずに言いますが……あなた重傷ですよ。周りが見えなくなってる。恐らく私の言葉もそのまま受け取ってないでしょ?悪いように曲解してるはずです」

「いや、そんな……」


「現にあなたは自分の市場価値をまるでわかってない。正直、フリーランスで十分独立できるレベルですよ?三宅から時給を聞いて驚きました、私ならその十倍は出します、それでも少ないくらいだ」

「え⁉いや、そ、そんな、僕は独学ですし……」


「いやいや、独学でそのレベルに行けるなら、学校なんて通う必要ありませんよ」

コーヒーを持って戻ってきた三宅君が横から言った。


「はい、どうぞ、ちょっと二人とも休憩しましょう」


「あ、ありがとう」

「悪いな三宅、お前こういうとこホント、バランスいいよなー?」


「そうですか?ちなみに大学時代のあだ名は『ミスターアベレージ』でしたけど」

「はは、なんだよそれ?」


「アレのサイズが全国平均と同じだからって」

「ぷはっ、あははは!」


俺は気付くと自然に笑っていた。



* * *



仲島が帰った後、三宅と寺島がバーで飲んでいた。


「どうでした?僕は好きなんですよねぇー、仲島さん」

「へぇ、どこが好きなんだ?」


「あの人の指示書とか、教え方とか、全部相手の事を考えてるなってわかるんですよ。普通、あの環境なら腐りますよ?それなのに仲島さんはITアレルギーの団塊連中にもどうにか通じるような言葉を選んだり、資料を作ったりするんすよ。とてもじゃないけど……あれは自分にはできないなって」


「そういう性格だから……余計に危うい、か」


寺島はソルティドックに口を付け、小さく息を吐いた。


「なんとかなりません?寺島パワーで」

「まあ、動くよ。簡単に諦めないのが、俺の取り柄だからな」


「そうこなくっちゃ」


三宅はにっこり笑って、寺島とグラスを合わせた。


俺と寺島さんの向かい側に、金子部長と新田係長が並んで座っている。


「大体、お宅は何なんだ?突然押しかけてパワハラだのなんだの、脅迫でもするつもりか?」

「ははは、そんなわけないじゃないですか。ただ、事実を述べているだけですよ」


「何だと⁉」

「何でしょう?」


金子部長の圧をものともせずに、寺島さんは涼しい顔で淡々と状況証拠やら証言やら、それにどこから探して来たのか俺の勤怠記録やICレコーダーまでテーブルに並べていく。


新田係長はその様子を見ながら、青ざめた顔で額の汗をしきりにハンカチで押さえている。


「こ、こんなものをどうやって⁉貴様、これは問題だぞ!」

「どれも善意で提供されたものです。もちろん裁判での証言も含め、協力を約束をしていただいた上でです」


「裁判だと⁉」

「か、金子部長、一旦法務に相談しては……」


新田係長の方が冷静なようだ。


「おい、新田……今、俺が話してるよな?」

「あ、はい!失礼しました!」


うわー、何か負の連鎖を感じる。

こうやってパワハラが受け継がれていくのかな。


「くくく」

寺島さんが笑い声を漏らした。


「き、君!何がおかしいんだ!」


「そりゃ笑いますって、パワハラで訴えられそうだってのに、目の前でパワハラが始まるとか」

「良い度胸してんじゃねぇか……」


「お、もう取り繕うことも辞めたのですか?」

「この……ふざけてんのかてめぇ!」


金子部長が怒号と共にテーブルを殴った。


「ひっ⁉て、寺島さん……」

「はい、いただきましたー、うん、綺麗に録音されてますね」


寺島さんがICレコーダーを再生した。


『この……ふざけてんのかてめぇ!バンッ!』


室内に緊迫した空気が満ちる。


「ま、まあ、良く考えてみれば、確かに俺にも非があるな」

「わ、私も、仲島くんに対しては反省すべき言動があったと……」

急に手のひらを返したように、二人はもごもごと言い訳を始めた。


寺島さんは真顔で「あ、そう」と言った後、冷たい声を放つ。


「私が来た時点で、今更何を言おうが訴訟は免れないものだと思って下さい。これらの資料は全て裁判に証拠として提出しますし、こちらは一切譲歩するつもりはありません」


「……ぐ」


「では、これより仲島さんに直接連絡を取ることはお断りいたします、必ず弁護士を通してください。未払いの賃金、慰謝料については別途我が社の顧問弁護士から連絡させますので」


「い、慰謝料だと⁉」


金子部長の一言に、寺島さんが初めてキレた。


「当たり前だろうが、あんたは支払って当然のことをしたんだよ!」


ビクッと肩を震わせる金子部長。

怒鳴るのは慣れていても、怒鳴られるのは慣れていないようだ。


あの部長が小さくなって、唇を震わせているなんて……。


「て、寺島さん、もういいです」

「すみません、つい……では行きましょうか?」

「はい」


席を立ち、会議室を出る直前、寺島さんが二人に振り返って言った。


「あー、そうそう、忘れてました。最近、高級外車を買われてますよね、金子さん?ハイエナ商事の給料じゃ手が届かないと思うんですが……」

「な、お、お前に……関係ないだろう!」

「ええ、ただ……知人にハイエナ商事と取引のある業者がいましてね。キックバックは程ほどにしておいた方が身のためですよ?って、ああ、もう遅いか……失礼」


「お、おい!待て!おい!」


金子部長の呼び声を無視して、寺島さんは「行きましょう」と会議室を出た。

廊下を歩きながら「あの、キックバックって……」と訊ねると、

「まあ、こういう古い慣習が残ってる会社の役職は、大抵やってるんですよ」と笑った。


「え、じゃあ……知人って……」

「嘘ですよ、あのくらい言っとけば大丈夫でしょう、これでもまだ何かしようとするなら、本当に追い込めばいいんです、何も怖いことなんてありませんよ」


「さ、さすがですね……」

「はい、社員を守るのが私の仕事ですからね」


「寺島さん……本当にありがとうございます!」


「いえ、これから仲島さんにはバリバリ稼いで貰いますから、安いもんですよ」

そう言って寺島さんは、冗談っぽくおどけて見せた。



* * *



レコード針が流れる音。


水の中に潜っているような音。


うーん、やっぱり遠くで雨が降っているような音。



真新しいサーバールームで、俺は最終チェックを行っていた。


「仲島さん、こっちはオッケーです」

「うん、ありがとう、じゃあこれで納品だね」


仕事が終わり、三宅君がバーで軽く飲んでいきませんかと言うので、喜んでOKした。


「へぇ、感じの良い店だね」

「でしょ?穴場です」


二人でカウンターに座る。


「じゃあ、ジントニックを」

「お、洒落てますねぇー、僕はスプモーニをください」


「かしこまりました」

ダンディなバーテンダーが小さく会釈をした。


「あ、聞きました?ハイエナ商事、業績悪化で身売りが始まったみたいですよ」

「え、そうなの?」


「本社ビルも売りに出てるみたいです」

「えー、あの屋上好きだったのに」


「ははは、確かにあの屋上だけは良かったですね」



「三宅君……本当にありがとう。あの時、君が誘ってくれなかったら、俺死んでたよ」

「死んでたでしょうねぇ」


「ちょ、酷いなぁー」

「だって、仲島さん、ホントに死にかけでしたもん」

三宅君が悪戯っぽく笑う。


「どうぞ」

スッとバーテンダーがカクテルを差し出す。



三宅君はグラスを持ち、

「何に乾杯します?」と俺を見た。


「……思ったより多かった慰謝料に?」

「あはは!そりゃいいですね」


「じゃあ、慰謝料に」

「……慰謝料に」



「「ぷははは!」」



俺達は二人で笑った後、軽くグラスを合わせた。

面白いと思ってくれたら、ブクマ&下の★から評価をいただけると励みになります!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] YouTubeのざまぁ動画になりそうな内容ですね コラボ先は誰にしますか。 個人的に七夕ドロップがおすすめですね。
[気になる点] 『田中』部長の呼び声     ↓ 『金子』部長の呼び声  急に知らない人の名を出されても(>0<;)
[良い点] ああ、こうやって救われたら良かったのに、って思ってしまいますね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ