俺の主義
俺は現在硬めの草の蔓を編んだカゴを背負い、森の中を自動車並みのスピードで走っている。
昨日の激しい雨でぬかるんだ土を蹴り、あまりにベチャベチャの所は木を伝って、ただひたすらに森の奥の目的地だけを目指して疾走する。
何故そんなに急いでいるのか。
理由は2つ。
1にサーヤの心配。
2に今日の昼メシと夕飯の心配である。
あとは煮込んで終わるだけのせっかく作ったカレー。
日持ちするカレーの貴重さは、森に住んでいると痛いほど身にしみる。
その明日も明後日も食べる大切なご飯のお供を、あと1歩という所でサーヤが台無しにする可能性がある。有りまくる。
例えばコケてすっ転んで鍋にぶつかって中身ぶちまけるとか。
例えば「隠し味〜!」とか言って、なんかよくわからん薬草を勝手に入れて台無しにするとか。
常人なら絶対にやらないことを無意識でも意図的でもして、その日のメシをパァにするのだ。
例えばの話じゃないぞ。実際やったことあるからなアイツ。
あの引くほどの料理の下手さ舐めんな。
育て親に対して扱いが雑だと思ったら負けだ。サーヤに親の威厳とかはまるでない。
まぁ、感謝はしているけれども。
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徐々に周りが暗くなってきた。
長く伸びた草が鬱蒼と生い茂り、そこかしこの木の枝が複雑に絡み合って、明るいはずの昼の太陽の光を遮る。
森の奥の入り口だ。
一般的にはこの怪しげな雰囲気が恐ろしいかもしれないが、小さい頃からサーヤによく連れてこられていた俺には今更な話だ。
今思えば、何してるんですかねサーヤさん。サーヤに釣られて楽しんでた俺も俺だけど。
俺は一瞬も躊躇うことなく、今までのスピードのまま走り続ける。
どこまで進んだかわからなくなってきた頃。
不意に、美しく輝く、鈴蘭に似た花を視界に捉えた。
ーーー見つけた。
純白の光を纏う、丸い花弁を俯かせた薄紅色の花。ひっそりと咲き誇る癒しの力を持つ花々は、己の存在を主張するかのようにその美しい光を放つ。暗い森の中での幻想的な光景は、急いでいるはずの俺の目を一瞬奪う。
俺は中々見られない光景を目に焼き付けつつ、レイユの花を丁寧に採取していく。
「よし、こんなもんかね」
サーヤの注文通りレイユの花を何本か採取した後、必要になりそうな薬草を採取し過ぎない程度に摘み取った。
さぁ帰ろうと、帰り道を振り返った瞬間。
俺は思いっきり後ろに跳んだ。
「グアゥッ!ガルルルル…!!」
俺がいた所には、獰猛で頑丈な、牙が生え揃った獣の顎。
俺を仕留め損ねたことに、苛立ったように顎をガチガチ噛み合わせる獣。
……否、魔物。
鍛え抜かれた4本の足に、頰に生えるピンと伸びた髭。フォルムだけ見れば、まさに虎のような見た目をしている。
普通の虎と違うのは、その毛色と瞳。
艶やかな黒い毛並みと真紅の瞳。鋭く上がった眦は、1噛みで殺せると思った俺を憎々しげに見据えている。
その芸術品のような体躯は、子供である俺の身長よりもでかい。
…はぁ、またか。
俺は仕方なく臨戦態勢を整えると、心底面倒臭いと分かるような口ぶりで虎もどきに言い放った。
「早く死んでね、うちのカレーが危ないんだ。」
若干知能もある魔物は俺が自分を挑発したことに気づいたのか、怒りの咆哮を上げて飛びかかってきた。元々至近距離にいたこともあって、あっという間に俺達の間が縮まる。
普通は、ここで負ける。
だから、残念だったな。
俺は微かな笑みを浮かべると、何もせず、自然体のままたった1言呟いた。
「《身の程を、知れよ》」
途端、虎もどきの動きが止まる。
まるで恐怖に縛られたかのように、顔を引攣らせて怯え始める。
先程の威勢は何処へやら、弱々しい声を上げながら、1歩、2歩と後ずさる。
「《止まれ》」
俺の言葉に、虎もどきはピタリと足を止めた。
俺は今にも逃げ出したそうなソイツにゆったりと笑ってみせる。
「逃げたり、しないよね?俺を襲おうとしたんだからさ、それなりの覚悟、あるだろう?」
相手の恐怖を煽るように話す。まぁ、実際問題この虎もどきには怒っているけれど。お前のせいでカレーが食べられなくなったらどうしてくれんの?食べ物の恨みは怖いぞ。
虎もどきはもう唸らない。吠えない。ブルブル震えて、許しを請うように縮こまる。
「……獣如きが、俺を見縊るな。」
低い声で脅してやれば、虎もどきはビクリと肩を震わせる。
……ま、ここまで怯えさせれば、今後俺の前に現れることもないでしょ。引いてはサーヤにも手を出さない。うんうん、僥倖僥倖。
他の人間が襲われるかどうかは知らないけど。
俺は基本的に、知らない他人はどうでも良い主義だ。仲間や家族はどんな目に遭ってようが助けるけど、知らない他人の被害なんて知らない。自分等でなんとかしてねって感じだ。冷たいとかなんとか前世の友達に言われたけど、俺としては当たり前の事だと思う。
だって軽い正義感で他人を助けて、その時は感謝されても、人間なんて自分に都合の良い事以外あっけらかんと忘れていく生き物だ。もし助けたソイツと敵対した時、ソイツは当然って顔できっと保身を選ぶ。ソイツを助けても、ソイツは自分を助けてくれないなんて馬鹿げた話だ。例えば俺が身内だった場合、俺を忘れたり捨てたりなんてしないだろう。
結局、仲間か、他人かの差なのだ。
だから俺は名も知らない他人を助けたりしないし、目もくれない。俺が重要に思うのは、自分が仲間と認めた奴のみだ。
まぁ前世でそれ言ったらなんか引かれたけど。 「酷くね!?」とか、「徹底してるなー」とか。
……俺、そんな酷いかな。
まぁ、考えを改める気は無いけど。
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「ただいまー」
あれから虎もどきを逃がし、超特急で家に帰った。
どうか何もしてませんように、何ごともありませんように。
そう祈りながらドアを開けると、小さなダイニングテーブルに突っ伏して、サーヤがスヤスヤと寝ていた。
あぁ、寝てたのか。道理で静かなわけだ。
俺はサーヤに何か危険があったわけではなかった事に安堵しながら、火の消された鍋を覗いた。
きちんとカレーが出来ている。
どうやらサーヤはサーヤなりに頑張ったらしい。
俺はサーヤが奮闘する姿を思い浮かべて笑みをこぼしながら、疲れて寝てしまったらしいサーヤの肩を揺する。
「サーヤ、起きて起きて。昼飯にしよう。」
俺が幾度か声を掛けると、サーヤはモゾモゾと動いて瞼を開けた。
途端に喜色満面の笑顔を浮かべ、勢いよく俺に抱きつく。
「うおっ」
「ユアルお帰り!心配したよ、結構遅かったから。なんかあったの?」
なんかあったっちゃあ有りましたねぇ。虎型の魔物に襲われたりとか?倍返ししてイビリまくったけど。
「ふーん?後でちゃんと教えてね。それよりもユアル!私、ちゃんとカレー見といたよ!出来てたでしょ?」
そう言って子供のようにドヤ顔で俺を見るサーヤは、
ーーウザかった。
鍋見てただけでドヤ顔しているサーヤがウザい。
さっきまで、ちゃんと労ってやろうと思ってたのに、その温かな感情がまるで雪のようにスゥッと溶けていく。
「んー、エライエライ。これからは早くなんでもできるようになれ。カゴ編むのもサーヤがやってね?」
俺がそう言った瞬間、サーヤの顔がヒクッと引き攣る。
「ユアルの馬鹿!私が家事ド下手なの知ってるくせに!」
そう。
サーヤは料理だけでなく、家事全般が壊滅的に出来ない。俺が森に背負っていった採取用のカゴも、実は俺が手製で編んだものだったりする。
「じゃあ鍋見るだけでドヤ顔しないで、ちゃんとできるようになりましょうねー。」
サーヤはぐぬぬ、と唸っていたが、俺がカレーを皿に盛り付け始めたら、諦めたようにため息をついた。
「あーあ、可愛くない。前はもっと可愛かったのに。」
「別に俺可愛さ求めてないからね。それよりさっさと食べて。」
俺がカレーの皿をサーヤの目の前に置くと、サーヤは拗ねたような顔をしながらも、いそいそとスプーンを握って食べ始めた。
相変わらず、行動に嘘をつけない性格だ。
俺は苦笑しながらも、今日森で起こった出来事をサーヤに話し始めた。