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凍える夢  作者: 亜薇
本編
8/33

六.白雪

 賢王の血を継ぐ強きものたちが、卑劣な逆臣の手で死に絶えた。

 唯一生き残った王子は、戦いを知らぬ薄弱なる青年。神の巫女が守ると決めた、脆く儚い白雪しらゆきの君。

 彼は、大いなる何かに生を許されたのか。運だけで命脈を繋いだのか。さもなくば、生まれ持った命力で生き延びたのか。






 生来病気がちな第三王子・雪は、軽視され不遇をかこっていた。かつて成人まで生きられぬと告げられ、周囲からは亡き者同然として扱われていたためであった。

 武術も習えず、剣も握れぬ弟を憂いた氷姫が、護衛役として迎えたのが紗柄である。とはいえ捨て置かれた王子が、王位継承を巡る争いに巻き込まれることは無い。お陰で未だ、真に命が危ぶまれる場面には遭遇していない。

 其の彼が、父王をはじめ兄弟全てを一時に失い、王座の前に躍り出た。姦計で兄王を殺した逆徒・晟凱親王にとり、真っ先に葬るべき存在に為ったのだ。

 兄や弟が惨殺される間に只一人難を逃れ、王都を脱出した。火澄の部下たちに保護されて南へ向かい、聖安にも程近い恒州こうしゅうの郊外に来ていた。

 目立たぬよう、五人の近衛に連れられ人知れず入ったのは、小さく貧しい村だった。藁や木で作られた見窄みすぼらしい家々は、王宮から殆ど出ない雪には珍妙なもの。兵たちは、敵から逃げやすい位置に在る家を選び、家主に金を握らせ明け渡させた。

 其処で五日は隠れ通せたが、応援の到着を待ちつつ移動先を決めあぐねているうちに、追手に見付かった。二、三十人程の王師に包囲され、雪を屋内に残し外で応戦するうちに、味方五人のうち三人が死んだ。

 見かねて投降しようとする雪を、後の二人が止めに掛かっていた時、火澄と紗柄が間一髪で駆け付けて来た。

 馬から下りた彼らは、民家を囲んでいた兵たちを見る間に斬り倒してしまった。敵が死してから、紗柄は主の名を呼んだ。

「雪!」

 戸口近くに居た兵たちは、雪が頷いたのを合図に締め切っていた戸を開ける。紗柄の顔に安堵したものの、彼女の手に握られていた血の滴る白刃に呼吸が止まった。

「殺……したの?」

 地面に転がる数十の死体を見下ろし、声を震わせる雪に、紗柄が逆に問うた。

「不満なのか」

 此の光景を目にし、雪が次に言いそうなことは紗柄にも予想出来ている。此れを見せる以外に方法が無かったからこそ、やり切れぬ苛立ちが募ってゆく。

「祥岐の民なのだから、何も殺さなくても……」

「黙れ。生かして逃がせば如何為るかくらい、鈍いおまえにも想像は付くだろう」

「あ、危ないのは分かるけど」

 主従らしからぬやり取りを目にしても、火澄や部下達は驚かない。

「とにかく、来てくれてありがとう」

 正論を翳され引き下がった雪の前に出て、火澄が恭しく頭を垂れた。

「雪王子。遅く為り申し訳ございません」

「助かりました、火澄」

 会釈し、躊躇った後、雪は突として尋ねた。

「父上――祥岐王も身罷みまかられたのでしょう?」

 場が凍り付き、紗柄ですら目をみはった。

「叔父上は慎重な方だ。此度の大逆も、成功する算段が無ければ動かないだろうし、やると決めたらやり遂げるはず」

 雪の推量を無言で肯定した火澄を、紗柄が冷たく責め立てた。

「碧佳宮と大神殿が同時に攻められたとは。幾ら近衛が腑抜けでも、左様に首尾良くゆくものなのか」

 紗柄は雪に対しては遠慮が無いが、火澄へは一定の礼節を持って接してきた。剣士として一目置いているのと、氷姫が夫と認めた男であるがゆえである。だが、今は異なっていた。

「紗柄、言い過ぎだよ」

 主にたしなめられても、紗柄には謝る気も撤回する積もりも無い。火澄は怒りも悔しがりもせず、真摯に受け取り首を左右に振った。

「紗柄殿のお言葉はもっともです。しかし我らが不甲斐ないのを別にして、碧佳宮の方が妙なのです」

 弁明ではない。王宮と大神殿、それぞれに関する報告を部下から聞いたうえでの、率直な感想だ。

「封術で入口を閉ざし、短い時間、僅かな手勢で主殿内の数十名が殺された。優れた神人か、妖異の類でなければ成し得ぬことかと」

 王の御座おわす正殿の護りは堅い。反乱軍の主力が神殿に居たため、王のもとへ着くには時が掛かると思われており、其れが致命的敗因と為った。

「今や、王師の殆どは晟凱親王が掌握しています。私は彼に下らず残った者たちを集め、再起を図ります」

 近衛の老将軍は、正殿で王を護ろうとして死んだ。中核を失ったことで王師は統率が取れなく為り、晟凱親王に付くものが多く出た。雪以外の王子が死に、我が身可愛さゆえだ。

「雪王子。紗柄殿と国外へお逃げください。聖安よりはめいが良いかと存じます」

 火澄が西の茗を勧める理由は様々だが、彼の国が祥岐と友好関係にないのが大きい。晟凱親王が雪を国敵として糾弾するなら、祥岐人のみならず聖安人にも追われる恐れが出て来る。

 改めて膝を折った火澄は、焔々とした情熱を籠めて雪を見上げた。

「逆賊を討った暁には、貴方が王と為られるのです。お迎えに上がるまで、どうかご無事で」

「待っているよ。其れまでは紗柄が守ってくれるから、大丈夫だ」

 答えた雪は、堂々たる笑みを火澄から隣の紗柄へと送る。紗柄は一つ頷いただけで、目を逸らしてしまった。




 王都に残る前王派の官吏、軍人らと合流するため、火澄と兵たちは去って行った。雪と紗柄も、紗柄が乗ってきた馬を走らせ、人里離れた森の中で日暮れを迎えた。

 祥岐国内に居る間は、極力人との接触を避けねばならない。生い茂る木々の下、馬から下りた紗柄は先を歩み、常人離れした感覚を用いる。人も妖も、雪を害しそうな獣も居ないのを確かめたのち、開けた場所で立ち止まった。

「今夜は此処で寝ろ。文句は無いな」

 宮殿育ちの雪には、草のしとねに横たわった経験など無い。紗柄が何を言っているのか解せず惚けていたが、尋ねると機嫌を損ねそうなので止めておいた。

 暗がりで目を凝らし、比較的汚れていなさそうな樹を選び腰を下ろす。背中におかしな感触が有り眉根を寄せつつも、気にせぬよう努めた。座った途端、溜め込んでいた疲労が押し寄せて、如何でも良く為った。

 隣の樹にもたれ掛かって腕を組んだ紗柄は、翳りの覆う瞳で雪を見下ろしていた。

 暫時、沈黙が流れた。破ったのは紗柄だった。

「氷姫の安否は、やはり火澄殿には訊けなかったか」

「訊けないよ。あの二人がどれだけ慕い合っていたか」

 火澄から姫の名前が出なかったことが、絶望的だと暗に示している。無事ならば、雪と紗柄にそう伝えぬはずが無く、不明ならば尋ねてくるはずだ。

 俯いた雪は、大きく肩を落としていた。兄弟姉妹で氷姫だけが、雪を侮らず慈しんでいたのだ。

 浅く嘆息した後、紗柄が問うた。

「此れから如何する。火澄殿は茗へ逃げろと言っていたが」

 国外へ出て、晟凱親王を倒す時機を見計らう。火澄の意見通りにするのが最善であろうが、其れは事実上の敗北を意味する。此の先火澄の迎えが来る保証も無い。

 雪は沈思ちんしすると、顔を上げずにきっぱりと答えた。

「私は……逃げたくない。紗柄もでしょう」

 此れは、紗柄が雪の気質を知っているからこそ、彼に期待していた応え其のものであった。

「私の意志など。私はおまえの護衛だ」

 紗柄は微笑みたく為るのを抑え、無表情のまま、まるで臣下らしい物言いをした。

「私は、父上や兄弟の仇を取りたい。他国へ逃げればより安全だろうけど、叔父上が即位するのは赦せない」

「本心か。本気でそう思っているのか」

「間抜けでぼんやりだって、私は祥岐王の子だ」

 見るからに脆弱である雪が、逡巡せずに言い切った。称賛を送りたく為った紗柄は、拍手する代わりに宣誓した。

「おまえがしたいことをやれ。私はついて行く」

 漸く紗柄を見上げた雪は、決意に燃えて首肯した。然れど、彼の表情に恐怖の色も差しているのを、紗柄は見逃さなかった。

「氷花姉上は、叔父上の叛意を疑っていた」

 ぽつりと雪が言い、紗柄が目を見開いた。

「兄上たちには相談していたけれど、父上に進言するか迷っていたらしい。証拠が見付からないうちに話しても、信じてもらえないだろうから」

 晟凱親王といえば、賢く強かな王弟という見方が強い。兄王との仲は良好で、まさか叛逆するとは思われていなかった。だからこそ、氷姫も疑いながら言い出せなかったのだろう。

 今に為って思えば、妖退治へ行く前、氷姫が別れ際に言い掛けたのは晟凱親王に関する話だったのやもしれぬ――紗柄は、王族同士の関わりに少しも興味を抱かなかった己を悔いた。

 両膝を立てて抱えた雪は、膝頭へと顔を埋めた。泣き言一つ漏らさずに来たが、体力も気力も限界だろう。

 そんな彼に、紗柄は追い打ちを掛けるか否か決めかねたが、警戒心を持たせるためにも話すことにした。

「晟凱親王の背後に、非天の者どもが居るかもしれない」

「非天、というと……」

 雪とて、天に仇為す人ならざる者をらぬ訳ではない。かと言って、其の脅威と常に隣り合わせに居る訳でもない。紗柄の推測と此度の反逆が、直ぐには結び付いてこない。

「聖安の妖は、私を誘き出すための罠だったのやも」

 月明かり落ちる湖で、紗柄は妖王と再会した。七年間のうち、探した時期が有ったものの消息を掴めなかった敵が突如現れたのは、偶々ではないだろう。

 人を惑わし、陥れる悦びに浸る非天たちは、時に権力有る人間に干渉する。晟凱親王に近付き、邪魔な紗柄を遠ざけて謀反を起こさせたという話なら、色々と合点がいく。

「そういえば火澄も、王宮が襲撃された状況がおかしいと言っていたね」

 得心がいって頷いた雪は、人智を超えた者たちへの畏れに益々身震いしていた。心配げな瞳で自分を見上げてくる彼に、紗柄が舌打ちした。

「先程までの威勢は何処へやった。私が謀反人共や妖共に負けると思うか? おまえに手出しをさせると思うか?」

 苛ついているのではなく、雪を怖がらせないよう出た言だ。そして雪も、紗柄の真意を受け止めている。彼が憂慮しているのは、己の身ではなく紗柄の気持ちだが、彼女のために黙っていた。

「紗柄と一緒なら、不安は無いよ」

 穢れの無い、純真なだけの笑顔を咲かせると、紗柄は何か気に入らないらしく外方そっぽを向いた。

「碧佳宮には未だ戻れないぞ。敵の全貌が見えぬうちは、一時的に身を潜めるしか無い」

 此方に害意を持つ妖異や、武器を手に向かい来る人々など、紗柄の怖れるところではない。しかし寝返りも次々起きており、誰が敵かも判らぬ状態では、流石に飛び込めない。

「身を寄せる当ては無いのだろう。明日、一先ひとま風耶かやへ行く」

 風耶村は、此処から茗方面に南下したところに在る。雪には代案も、考える余力も無く、重い頭を前に倒した。

「使う機会は無いだろうが、持っていろ」

 紗柄は腰に差していた小振りの刀を外し、雪に手渡した。先刻彼を守って死んだ、若い剣士の持っていたものだ。

 武器を携帯したことの無い雪は、多少手間取りながらも見様見真似で腰帯に差した。

「紗柄。都合が良すぎるとは思うけど……如何してもの時以外は、殺さないようにして」

「おまえに言われずとも分かっている」

 眉間に皺を寄せ、紗柄はぶっきらぼうに答えた。

まきを集めて来る」

 寄り掛かった木の幹より背を離したところで、雪はぱっと顔を上げた。

「僕も……」

 王子なのだから、目上の、相応の位が無い者に軽々しく手伝いなど申し出るなと、兄らや臣下に度々注意されてきた。紗柄相手にも、つい身体が動いてしまう。

「結界を張って行く。おまえは其処に座ったまま動くな」

 当然の如く拒まれ、大人しく浮かせた腰を戻して座る。肩越しに彼を見た紗柄は、聞こえるか否かという抑えた声で言い残した。

「暫し独りにしてやる」

 そっとしておいてやるから、襲い来た悲しみに浸れ――言わずとも見通してくれる紗柄のことが、雪には長年不思議でならなかった。

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