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凍える夢  作者: 亜薇
本編
6/33

四.殉義

 狂信するは、義。

 深愛するは、貴方。

 勇み、戦い、殉じよう。

 心のままに、貴方のために。

 貴方の愛しむ、わたしであろう。






 見慣れた殿舎の内部は、概ね氷姫が脅かされた白昼の悪夢通りと為っていた。

 近衛兵たちが、血溜まりを作り点々と倒れている。息絶えた守衛は普段通りの人数、配置であり、何者かが前触れ無く侵入して虐殺を始めたのだろう。

 剣を打ち合わせ、立ち回った形跡がまるで無い。皆、抵抗すら許されぬ力に屈し、一方的に斬られたと見受けられる。

 暫く廊下を進み、王座の間に入るなり、氷姫はいよいよ手で鼻と口を覆った。大理石の床が赤黒い血の海に沈み、生々しい鉄錆の臭気が立ち籠めていたのだ。

 回視するが、叔父も、叔父の兵も見当たらない。火澄の言に依れば、未だ内宮には至っていないはずなので、話は通る。では目の前に有る惨劇は、誰の所業なのか。

 戦の無い国に生まれた氷姫も、王師に身を置くがゆえに、人の死に面した数は多い。反乱の鎮圧や、妖討伐軍の援護、天変地異が起きた際の救援などで、祥岐の民が死に行くのは幾度も目にしてきた。れど、眼前の惨状は、いずれの経験とも重ならない。

 長い間父に仕え続けた宰相や、姫の敬愛する老将軍をはじめ、重臣を含む多くの者が死して骸と為り、広間に転がっている。幼き頃より良く知り、共に歩んだ者たちが、無残に変わり果てた姿を見せ付けられるなど、想像すら出来なかった。

「陛下」

 起きてはならぬもの、見てはならぬものを見出してしまう。氷姫は愕然と為り、絶句して、息をするのもままならなく為った。

 金の衣を纏った男が、うつ伏せに為り倒れていた。胴体から頭部が切り離されているが、出で立ちから王の玉体に他ならない。裏付けるかのように、直ぐ側には両目を閉じた王の首が落ちていた。

「父、上」

 謀反人が、切り取った王の御首を打ち捨てて消えるなど、全く有り得ない。不自然さに気付かぬ程、姫は動転していた。

 叔父の叛意はんいに勘付きながらも出遅れ、みすみす王を死なせてしまった。王師で将官位を戴く者として、王女として、最たる恥辱である。

 仮に命は奪われないとしても、慚愧ざんきには堪えられまい。王の死に依って、命運は尽きたのだ。

 父の亡骸の側に膝を折った姫は、逡巡無く刀を抜き、己が首筋に白刃を当てる。前に引こうとした刹那、背後から近付いた者に髪を掴まれ、あっという間に刀を奪われた。

 振り返ると、物々しき鉄仮面で顔の全てを隠す大男が居た。正対した姫の首を片手で締め持ち上げ、軽々と両足を浮かせてしまった。

 火澄よりも大柄の此の男を、叔父の私兵の中にも見たことが無い。身に湛えた神気も強く、黒々とした気味の悪さが有る。

「そう容易く自尽じじんなどしてくれるな。父王らの仇敵きゅうてきは此処におるぞ」

 何処からか、甘く潤いの有る声が落ちた。滑らかな女の音色は、氷姫が確かに聴き知ったもの。

「そ……な、たは」

 気道を塞がれた姫は、声ならぬ声を絞り出し、横目で女の顔を見る。現世のものとは思えぬ絶美の造作は、一度見れば二度と見忘れぬだろう。

 腰まで届く濡れ烏の髪、艶なる袿姿うちきすがたは傾城傾国。長い睫毛に囲われたうずたかい眼は、虚ろなる夢幻の紫水晶。此の世のものとは思えぬ、霞の如き女であった。

「か、の……」

 名を呼ばれる前に、女は姫へと手を差し伸べ、髪を撫でた。

「貴女を穢すには如何すれば良いか、長らく考えていた。此の麗しき髪一本に至るまで、残さず妖に喰わせるか。或いは、其の純潔を奪いながらくびり殺すか」

 平然と言ってのけると、女は面形めんがたの男に視線を移す。男は指示を仰ぐこと無く女の意思を汲み、王の血を吸った剣で氷姫の右肩を貫いた。

 鮮烈な痛みが肘に掛けて走り、骨まで食い込んでゆく。筋をねじ切られ、姫は剣士としての己が死んだのを悟った。

 悔しさに歯を食い縛り、悲憤を吐き出す瞬間すら与えずに、男は抜いた剣で胴を突き刺した。急所を外し、刺しては徐に抜くのを繰り返し、氷姫の清麗な肢体を無慈悲になぶり続ける。

 姫の顔が蒼に染まり、身体が血に塗れてゆくのを眺め、女は陶酔の息を漏らした。

「氷玉の花姫、死する際もお美しや――憎らしい程に」

 一息で殺さないのは、萎み、散りゆく姫の終わりを見届けたいがため。そして、王の娘でありながら剣姫と称えられ、武を誇りにした姫が、父の仇に為す術も無く殺される絶望を耽味たんみしたいがためだ。

 肺を潰された氷姫は、激烈な苦しみに涕泣ていきゅうする。感覚を失った右腕と同様、左腕や両脚からも疾うに力が抜け、血塗れの肉塊と化していた。

「火――」

 命火が小さく為り、姫が最期に口にせんとしたのは、短い生で愛した只一人の男の名。紅涙こうるいに濡れた眼は薄く開かれ、自身を襤褸屑ぼろくずのように殺した者たちではなく、有らぬ方へと向いていた。

かがり

 彼女が息絶えると、女は間を置いてからしもべを呼ぶ。炬は死せる姫を床に横たえ、躊躇い無く斬首した。剣を腰の鞘にしまい、脇に転がっていた祥岐王の首級も拾いに行くと、二首併せて主に差し出した。

 跪く炬に掴まれた首を見下ろし、女が満足げに微笑む。

「王の首は義父上に差し上げよ。氷姫の首は……」

 妙案が閃き、女は破顔する表情を袖で隠す。此の女には、いびつで邪な筋書きを描いては、天女さながらの優しい笑みを作る悪癖が有った。

 忠実な炬の、血に浸った手を取り、女は悲劇の演者めいた台詞で謡う。

「間も無く義父上が入城される。新しい祥岐王をお迎えするとしよう。此の哀れな屍たちと共に」

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