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凍える夢  作者: 亜薇
本編
4/33

二.異端

 天のしもべでありながら、天命を拒んだ異端の乙女。

 光焔こうえんの化身――紗柄。

 かざすは聖剣、振るうは凶剣。妖しの獣を剿滅そうめつす。

 踏み締め進むは死屍累々、勇んで浴びるは血と毒の霧。

 仙姿玉質せんしぎょくしつ八面玲瓏はちめんれいろうれど異名は戦巫女。

 罪業負いしの女の、行くべき道は。






 十七年前。孤高の巫女・紗柄は、奈雷ならいから数えて三番目の光龍として降された。

 濃いこう色の艶髪に、大きな深紫色の瞳。白磁の肌、白桃の頬に映える赤い唇。無欠なる麗容を前にすれば、左腕に刻まれた龍の御印を確かめずとも、紗柄が天来の者だと即座に分かる。

 神巫女・光龍は、天帝の意志を下界で代行する者。非天ひてんを討ち人を守る者。しかし紗柄は、巫女である己と宿を否定した。かつて幼き頃、妖を滅ぼす力で人を殺戮した罪のために。




 祥岐の王都、江煉こうれんより南下すること十日程。独り旅に出た紗柄は、南東の大帝国・聖安の領内に入った。彼の国の民を苦しめているという、大妖を斬るためだ。

 聖安を訪れるのは初めてではないが、以前足を踏み入れたのは帝都・紫瑤しようから遠く離れた地方のみ。今回も目的地は北の外れで、国境を越えても祥岐の村々と景色は変わらない。

 討伐士の手こずる妖異が出たと伝い聞けば、雪王子を守る任を放棄してでも赴いてゆく。王族に仕えながら身軽に動けるのは、祥岐がいずれの大国とも同盟を結んでおらず、百年近く戦をしていないため。だが状況が違っていても、紗柄は何処へなりとも駆け付けただろう。

 亡くした親兄弟の生業を継ぎ、妖の殲滅せんめつを続けるのは、紗柄なりに選んだ生きる術。天の御名を掲げずに、神授の力を振るう理由であった。

 此度紗柄が狙うのは、播蛇はだという人喰い大蛇である。山裾に広がる闇の森、湖の畔に潜み、日が落ちると這い出て人里を襲う。象をも丸呑みにする巨体であるが、人も捕食する。処女を好んで喰らい、男は砕いて磨り潰し、地に吐き捨てるという。

 道中、宿場などで擦れ違う人々から聴いた噂話を頼りに、標的の潜む森を探す。大妖を追う紗柄に、人は皆不思議がったが、其の訳が戦うためとは夢にも思わなかった。隙を見せぬ凜々しき面持ちとはいえ、弓も剣も携えておらぬ、楚々たる美少女であるがゆえに。

 妖の掃討は、神力が強く妖力が弱い日輪にちりんの昇る間に済ませるのが常勝法だ。ところが紗柄は、己の剣を他者に見られる可能性を極小にするため、妖に利が有る夜半に進んで対峙した。

 日が没し、十六夜の月が上がった頃。湖の岸辺に腰掛け待っていた紗柄は、妖気の塊が僅かに蠢くのを察した。閉じていた目を開き、月明に照らされた黒い湖底の中心を見据える。一つ、二つと水泡が浮かび、紋を成し波及させてゆくと、漸く立ち上がった。

凜鳴りんめい

 其れは、紗柄が好んで用いている愛刀の名。呟くなり、一振りの刀が右手に収まる。神術を用いて魂に封じ、何時でも呼び出せるようにしている。

 光龍の使命に従わぬ彼女は、神剣・天陽てんようを振るわない。七年前、開光かいこうを遂げた時に抜いて以来、二度と使わぬと決めた。

 地鳴りが起こり、火の山の如く湖水が噴出した。黒飛沫の内から長大な妖魔が飛び、宙に留まり尾をくねらせる。腰帯に差した刀の鯉口こいぐちを切り、膨大な神気を放ち始めた紗柄に気付いたのか、淡金色に光る双眼を彼女へと向けた。

 頭部は青色、胴から尾にかけては真黒い。体長は岸に生えている樹々の高さを優に超え、大蛇より竜だと言われた方が納得出来る。

 只の蛇であれば出すはずも無い異様な鳴き声を発しつつ、播蛇は一端水中に戻った。猛烈な速さで水面を泳いで陸地に上がり、程無くして微動だにせぬ紗柄の眼前へ現れた。

 尾を振り、乾いた音を流し鎌首をもたげた敵に、紗柄も抜刀して八相はっそうに構える。播蛇は左右に裂けた口から瘴気しょうきを吐き出すが、神気で身を包む彼女には届かない。

 先端の割れた舌を伸縮させ、喰った獲物の血と毒液に濡れた牙を剥いて、紗柄にかじり付く時を見計らう。恐らく彼女は、此の怪物が出会った中で最も上等な生きであろう。慎重に頃合を伺いながらも、仕掛けたくて待ち切れない様子だ。

「数日の間に、百……二百は喰ったな」

 厭わしげに目を細めた紗柄は、硬い鱗に覆われた敵の内側を透かし見る。妖が喰らった人々の命が束ねられている、心の臓を探し出す。

 急所を狙えば、一刀で殺すことが出来る。だが紗柄には、妖を怨む彼女には、容易く楽にしてやる積もりは毛筋程も無かった。

 播蛇が巨頭を突き出す前に地を蹴り、躊躇い無く飛び込んでゆく。神力で起こした風に乗って高さを制すると、宙返りして下降を始め、地に向けた刀で妖の右眼を刺し貫いた。

 其のまま捻り回して顔面を抉り取り、紗柄は巨獣の背後に着地する。巫女の力に満ちた刃に顔の半分を刮ぎ取られた播蛇は、緑の血を吹き逆巻く炎の如く暴れ狂う。

 苦悶の余り、毒針を持つ尾先を紗柄へ向かわせたものの、難無く避けられ続け様に尾を斬り落とされる。体勢を保てなく為り崩れ落ち、頭と胴の傷からは神焔しんえんが立ち昇った。

 青黒い身体が燃えただれ、播蛇は大地を転げ回る。せめて火を消そうと湖へ入水するが、神気で練られた紅焔は自然の理を退け、妖を焼き殺すまで消失しない。

「惨めに死ぬが良い」

 凍えた低声を漏らした紗柄は、凛鳴を一振りし納刀した。溺れ死ぬのが早いか焼け死ぬのが早いか、月光と炎があぶり出す大妖の最期を眺め見た。

 おぞましい声が止み、妖の血が溶けた湖が静謐せいひつとするまで、長い時を要さなかった。嘆息した後、只の二太刀で滅した怪物に殺された幾百の人々の不運に同情して、更に息を吐いた。

 踵を返して湖を背にした時、戦いの最中から存在を感じていた男に語り掛ける。

妖王ようおう

 樹林の奥より、紗柄にとり忌まわしい男が現れ出でた。肩まで伸びた癖の強い翠の髪に、底暗き翠の双眸。人ならざる妖魅ようみの者、妖異の始祖たる者――妖王・邪龍じゃりゅうである。

「七年振りか。隣国まで赴いて来るとは、随分と仕事熱心なことだ。光龍・紗柄」

 神経を逆撫でされ、紗柄は眉をひそめた。

「相も変わらず、同胞を見殺しにするとは。飽きれた奴だ」

 其の昔、天帝の異母弟として天に君臨していた邪龍は、邪神にくみして地上に落とされ、端麗なる異形と為った。数百年を掛けて人や魔族と成した子孫が、妖族とくくられるものたちだ。ゆえに妖王と呼ばれているが、父として長として、同族を慈しむ心は持ち合わせていない。

 再び刀に手を掛けた紗柄には、数々の疑念や遺恨が有った。此の機を逃すと次が何時に為るか見当も付かず、戦意を露わに敵をめ付ける。然れど妖王は、剣を交える積もりで来たのではないらしい。

「此処で油を売っている場合か? 此れ以上、何も失くしたくはなかろう」

 淡々とした、其れでいて試すような一言で、紗柄の胸中が一気に騒ついた。

「おまえが宿から逃げ、縋った別の道。守ると決めたのなら、片時も離れるべきではなかった」

 言い重ねられ、不安が増す。妖王という男の邪悪さを忘れていた、己の愚かさを思い知る。

「宿を捨てたおまえとは異なり、身を奉じる者も居る。今生を終えるまでに、未だ見ぬ主と会うのだと、凡て投じる者も居る」

 転じて意図の分からぬことを言われ、紗柄は疑心を募らせてゆく。

「其の者が宿願を成就させるには、人柱ひとばしらが要る。人の中でも王にする徳を備えた者の血が、『の君』を解き放つらしい」

「彼の君? 人柱だと?」

 表現の意味を考えようとするが、妖王には待つ気も自ら説く気も無いようだ。

「おまえの守るべき者は、其の人柱と為るに相応ふさわしい者ではないか?」

 聞くや否や、紗柄は走り出した。妖王の横を通り過ぎ、後ろを振り返りもせずに風を切る。

「白と黒の龍神が訣別した、千年前のあの夜から、光と闇の巫女は戦う定め」

 光龍と闇龍の螺旋輪廻を追う、唯一の者たる妖王は、消えて行く紗柄の背を見て独りちた。

「三度目の幕は開いた。死ぬのはどちらか、生きるのはどちらか」

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