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凍える夢  作者: 亜薇
本編
32/33

三十.雪吹

 祥岐から遠く離れた聖地・珪楽。依水は風耶を後にし、故郷へと帰って来ていた。

 向後こうご、一生に亘って続いてゆく彼の使命は、仲間と共に此の地を守ること。紗柄という光龍が降臨し、生を走り抜けたのを後世へ伝え、来世の光龍を迎える準備を始めること。

 濃鼠色こいねずいろをした土の上に、白い玉砂利たまじゃりが道を作って敷かれている。道の先には真新しい白石の台座が設えてあり、十年の歳月を経て戻って来た天陽が突き立てられていた。

 珪楽の最奥、上宮かみのみやに位置する此処ならば、妖王をはじめ非天の魔手は絶対に届かない。

 五百年の間眠り続け、新たな主が降りるのを待つ。こうして天陽は、光龍の魂と寄り添い無窮むきゅうに廻るのだ。

 本来であれば、闇龍の地影も同じ運命であった。紗柄を殺め、主である霞乃江の血をも吸った後、刃が砕けて粉々になってしまわなければ。

 折れぬはずの神剣・地影が粉砕された原因は、諸説有る。人柱に加えて神巫女の命をも喰らった所為で、力の限界を超えたためとも、主たる黒巫女を滅ぼした報いともいわれている。珪楽の巫覡たちが最も信じたくないのが、地影を通し霞乃江が主に呼び掛けた末、黒神が自ら封印を破った際の衝撃という説だった。

 千年前、天界を破壊し掛け、名実共に最強の邪神とされた黒神は、天帝と薺明神せいめいしんに依って二重に封じられた。黒巫女の暗躍で、其の封に何処まで影響が及んだかは分からない。但し事実として、未だ黒神は復活していない。

 仲間の手を借り、天陽の前で床几しょうぎに腰掛けた依水は、日に何時間も独りで考え事をしていた。今日のように、光龍の魂の依代である真十鏡まそかがみを隣の台に置き、延々と『紗柄』と対話する日も有る。

 風耶と都・江煉こうれんの間、名も無き森奥の洞穴で、紗柄と霞乃江の戦いが有った。紗柄が今生を終えたのを依水が知ったのは、其の二日後。珪楽に安置されていた真十鏡に、巫女の魂が還って来たとの報せを受けてからだった。

 動けぬ依水の代わりに仲間たちが馬で駆け回り、戦いの場を探り当てたのは、更に一日後。覡である青年二人が見付けたのは、独り項垂うなだれ座り込んでいる雪王子だった。

 道具も無いのに素手で硬い土を掘り、死者たちを埋葬したらしい。雪の細い指先は皮がめくれ、爪が剥がれて血塗れに為っていた。話し掛けても応答せず、心此処に在らずという様子で、壊れた人形のようだったという。覡たちが目を離した寸刻の間に、天陽と凛鳴を持って姿を消してしまった。

 雪が葬っていたのは、紗柄の亡骸や氷姫、火澄の髑髏しゃれこうべだけではない。元凶たる霞乃江や炬の遺体も埋めてやったというのを聞き、依水は幾ばくか安心した。風耶で迎えた時に会った、情け深い雪は、消えた訳ではないようだ。

 次に雪の消息が判明したのは、十日程後のこと。打倒晟凱を掲げていた魏州侯が、晟凱の死を契機に王として立とうとした矢先、突如城に雪が帰って来た。唯一生き残った先王の子は、城を追われた時とは別人のような威光を放ち、忽ちにして支持者一党を築き上げてしまった。

 紗柄亡き今、誰が雪を庇護しているのか。認めたくはないが、依水は勘付いていた。風耶を後にする際、持ち去られた天陽を依水に届けたのは、憶えの有る妖狼だった。額と背に独特の縞を持つ、依水の足を喰い千切った憎き狼。他でもない、妖王の使い魔だ。

 妖王が何故雪を守護し、天陽を依水たち巫覡へ返したのかは、分かりようも無い。只、どんな形であれ、雪を守りたいという紗柄の願いは叶えられている。依水の為すべきは、神剣と光龍の御魂を安らかに眠らせ、雪が不幸にならぬよう祈るのみ。

 神巫女の魂が宿る地を、清涼な風が通り抜けてゆく。其の冷たさは、懐かしい祥岐の冬や、紗柄や依水の過ごした凄愴流涕せいそうりゅうていの日々を思わせる。

「紗柄。おれや仲間たちの子孫が、五百年後に此処で君を迎えるだろう。来世の君は、どんな巫女なのだろうね」

 傍らの真十鏡に投げ掛けてから、依水は篠笛しのぶえの歌口に唇を当てた。





 巫女たちが再会して争い、共に斃れた場所。

 妖しの王が、天へと吹き抜けている頭上を仰ぎ、忌まわしい程蒼い空を見て佇んでいた。此処を訪れるのは、雪王子を連れに来て以来、一月振りだろうか。

 霞乃江が悪夢を終わらせた此の洞窟は、妖王が選んだ。彼女らの死を全く予見していなかった訳ではないが、終焉の地を意識した積もりも無い。森の獣が迷い込む以外、人が立ち入らないのは、死者が休むのには具合が良さそうだ。

 足元には、雪に土を掛けられ、珪楽の巫覡たちに依り儀式と共に弔われた者たちの墓がある。紗柄の依代が在る地、珪楽には入れぬため、彼女と言葉を交わしたい時は、此方に来るしか無いと思っていた。

「人間たちは、黒神の復活を阻止した偉大な光龍として崇めるぞ。おまえに其の気は無かっただろうに」 

 先刻から一方的に語り掛けている妖王には、何時もの歪んだ尊大さが見当たらない。まるで長年の友を前にしているような、親しげとも取れる毒気の無さだ。

「人柱を殺し、地影を通して呼び掛ければ『彼の方』が甦る――気付いていただろうが、あれは俺の嘘だ」

 側に眠る霞乃江には、配慮の無い言である。妖王は、黒巫女の魂が既に去ったのを知っていた。

「だが、完全な嘘ではない。世が乱れ、神巫女たちが争えば、屹度きっと彼の君御自らお出ましに為る。黒巫女が命を懸けて呼び掛ければ、お応えくださると期していた」

 千年前、天宮で行われた殺戮で、妖王は異母兄あに・黒神の強さを目の当たりにしている。天帝とは自ら剣を交えた経験から、黒神の力が天帝を上回っていたのも見定めている。詰まるところ、黒神は封じられて身動きが取れぬのではなく、出てくる積もりが無いだけなのだと考えていた。

「異母兄上は、そういう御方だった。おまえも知っているだろう? だが、期待外れだった。二重の封印のうち、薺明神の封術は破られたようだが、要である天帝の封はびくともしていない」

――彼の方は、本当に変わってしまわれたらしい。

 手を組み、天宮で父と継母を殺した辺りから、黒神は以前の彼ではなく為っていた。霞乃江に呼び掛けさせたのは、封じられて千年が過ぎた今、如何為っているのか探るという目的も有った。

 あれこれ思案してみても、異母兄の考えなど到底読めないだろう。はっきりと言えるのは、今現在の黒神には出て来る気が無いということだけだ。

「天帝が、おまえに会いに来なかったのを気にしていたな。違うか?」

 答えは返らないが、構わず続ける。 

「おまえの魂を創造したのは奴だ。おまえが光龍よりも紗柄として生きたいのを知っていたはず――敢えて姿を見せぬことで、生き方を選ばせようとしたのだろう。あの天帝のことだ。外れてはいまい」

 元来真面目な紗柄である。天帝が出向き、『妖王を斃せ』とでも命じれば、結局は従ったかもしれない。推し量るにそうしなかったのは、天帝自身の甘さと、妖王への興味の薄さであろう。

「結果的に、おまえは王子を守ろうとして闇龍と刺し違える羽目に為った。定めに抗えたのか、抗えなかったのか……おまえが納得して逝ったのなら良いが」

 皮肉というより、同情めいた口振りだった。妖王を冷罵れいばし、相手にしないとまで言い切った少女を思いやる、憐憫れんびんの情が存していた。

 ずっと有らぬ方向を見ていた妖王が、其処で漸く、名も刻まれていない石の墓標に目をやった。

「おまえの代わりに、此れからも王子は俺が守ってやろう。奴が望むなら、王に据えてやっても良い」

 性根の曲がった此の男らしくなく、悪意は微塵にも無い。だが、意図しているのは命の保証であり、心の安寧まで面倒を見る積もりは無かった。

「如何化けるかは本人次第。共に見届けようではないか」

 妖王が邪念の無い微笑を浮かべると、彼の頬を一筋の風が撫でた。





 弑逆された祥岐王の子、真名を雪吹いぶきという王子は、父を継いで王位に就いた。

 王座を奪い合う政敵を排除した、したたかなる怜悧冷徹ぶりは、痩身の優男である外見からは想像も付かない。親しい友を持たず、側近や妻子すら信用しない猜疑心が、彼に権力を齎した。


 彼の短い治世下で、祥岐の栄華は前王時代を遥かに凌いだ。雪吹王の名は、かつて護衛を務めた神巫女と並んで歴史に刻み付けられた。

――王は常に、得体の知れぬ人ならざる者たちに守護されていたというが、真偽は定かではない。


 三十余年の生涯で、人や物を問わず一切の執着を持たなかった王が、病に倒れて死ぬまで手放さなかったものが有る。

 其れは、酷く刃毀はこぼれした一振りの刀。雪と呼ばれたかつての王を守って死んだ、彼が唯一愛した少女の形見であった。

これにて物語はおしまいです。

よろしければ、次話の後書きもどうぞ。お読みいただきありがとうございました。

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