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凍える夢  作者: 亜薇
本編
3/33

一.剣姫

 氷雪ひょうせつ舞い降りて、銀の帯翻り、翻し。

 剣花けんか散り消え、たちまちにして閃き走る。






 姫御前ひめごぜ戦巫女いくさみこが、剣を取り舞っていた。打っては跳ね返し、引き寄せては押し合う。其の清々しい様は、見守る者を容易く魅了し、流るる風を止める。

 瑞々しき黒髪を結い上げ、真白い袴をつけた姫宮は、氷花ひょうか。王族軍人として王師おうしの少将を務める、音に聞こえた祥岐国しょうきこくの麗しい剣姫けんき

 がれこうの髪を高く纏め、常磐緑ときわみどりの袴を穿いた巫女は、紗柄さえ。此の時代に降されし光の巫女、世にも美しき光龍の化身。

 仕合ではなく、稽古の類い。力比べではなく戯れの類い。千の妖異を斬り裂いて来たといわれる紗柄は、姫にとって臣下であり武の師であり、友でもある。

 此処は、氷姫きよひめの小さな修練場。王宮・碧佳宮へきかきゅうの内部に、祥岐王が娘のために作らせた場所で、天井や床、柱は磨いた白石で拵えられている。

 踊る彼女らに見惚みとれるのは、王子のゆき。祥岐王の三番目の息子であり、氷姫の弟にあたる。珍しい純白の髪に透ける白肌を持ち、勇ましい姉らとは対照的なか弱さを漂わせていた。

 何方どちらからともなく舞うのを止め、互いに剣を下ろす。紗柄が石床に跪きこうべを垂れると、姫は清爽せいそうなる笑みを零した。

「わたしは息一つ切れていない。手加減などしてくれるな、紗柄」

「剣の姫に、左様な無礼はいたしませぬ」

 実のところ、紗柄が主相手に手心てごころを加えていたか否かは、剣術はからきしの雪には判らない。当の氷姫は諦め顔と為り、巫女に立ち上がるよう目配せした。

たまには雪の相手もしてやっておくれ。紗柄が相手なら身が入ろう」

 雪は幾度も頷いた。主人に言われれば、紗柄も従わざるを得ないと思ったのだ。ところが紗柄は、彼を一瞥して難無く言ってのけた。

「王子の玉肌に傷でも付けてしまっては、王宮中の女に恨まれてしまいます」

「またそんなこと言って。面倒なだけなんでしょう」

 悔しげな雪の抗議など、紗柄は決して聞き入れない。人並みの護身術を身に付けるだけでも、彼はもはや、紗柄に縋るしか無いというのに。

 其処らの臣下に師事するには、雪は歳を重ね過ぎた。成人した十八の男子が、剣に触れたことすら無いなどと、王子でなくとも恥にしか為らない。

 情けないところまで来てしまったのも、元を辿れば生来の病弱さゆえに武術を習う機会をいっしてしまった所為せい。紗柄が期待された役割をのらりくらりとかわし続けた所為である。

「そう言うな。第三王子が剣も振れぬとあれば、何かと体面が悪い。身を守ることも出来ぬではないか」

 姫にたしなめられようと、紗柄にとっては譲れぬ一事らしい。

「雪王子の御身おんみは、私がお守りすれば良いことかと。私が怠慢に為らねば、ご自身で剣を取る機会など有りますまい」

 七年前、紗柄に王子を守る使命を渡したのは、他ならぬ氷姫である。こう返されてはぐうの音も出ない。

 姫と雪が妖に襲われ、妖気を追って来た紗柄に救われた。其の際命令というよりうて雪の側に置いた経緯も有った。

 王女、氷姫とて人の子。天帝を尊崇そんすうする彼女には、天より降りた光龍を、無理やり従わせる気など起きなかった――たとえ紗柄本人が、己が巫女だと認めたがらずとも。

「時に、氷姫。聖安にあやかしが出ると聞き、討ちに参りたく暇をいただきたいのですが」

 姉の助け舟も虚しく、何時も通りさっさと話をり替えられてしまい、雪は落胆した。

「構わぬが、直ぐにか」

 姫にやや渋って訊き返され、紗柄が頷いた。

「何か、気掛かりがお有りなのですか」

御史府ぎょしふに調べさせている。思い過ごしかもしれぬゆえ、改めて話そう」

 御史府とは、王族直下の監察方である。要らぬ心配を掛けさせたくないのか、氷姫は結局首を縦に振った。

「聖安の民が苦しんでいよう。早く行ってやりなさい」

 稀有なる徳心を授かりしの姫は、偉大なる天の恵みは人界すべてに注がれるべきと考えていた。光龍が祥岐に留まってくれているのを、身に余る幸運だと感謝していた。左様な姫宮だからこそ、紗柄も仕えるに値すると見定めたのだ。

 其処へ、手合わせが終わるのを外で待っていた女官が、様子を窺いつつ中へ入って来た。

「姫さま、火澄ひずみさまがお待ちです」

 火澄とは、王師・近衛の若き隊長にして、氷姫の婚約者。十九歳に為り、適齢を疾うに過ぎた姫が、彼女を望む大勢の男たちからやっと選び出した無二の伴侶である。二人共半年後の祝言に向け、軍務の合間を縫って準備に余念が無い。

「直ぐに参る。ではな。紗柄、雪」

 氷姫が退出した後、雪は周りに誰も居なく為ったのを確かめた。

「紗柄。また行ってしまうんだね」

「聖安なら、一月と経たず戻って来られる。不満だろうが、少しくらい宮中で大人しくしていろ」

 面倒そうな、ぞんざいな口調で言った紗柄に、雪は躊躇いながら続けた。

「そうではなくて。『そちらの』仕事は、本当は気が進まないんじゃないかって」

 彼が案じているのは、光龍の宿を忌み嫌っているはずの紗柄が、自ら妖討伐に出向いていることだ。此の一、二年特に、雪から離れて出払う回数が多く為った。理由を見付けては戦いへ身を投じ、一心不乱に柵から逃れようとしているかに見えた。

「私は生まれついての討伐士だ。呼吸するのと同じに妖どもを殺す。其れが生業なりわいだ」

 遠回しな返答だが、長年紗柄の側に居る雪には、おおよその意がめた。他界した二親と同様に、討伐士として妖を狩っているのであり、光龍の天命を果たしている訳ではない、と言いたいのだろう。

「君はそうやって、自分の気持ちに折り合いを付けているんだね」

 同情した王子に見詰められ、紗柄は益々気分を損ねたらしかった。

「分かったような口を利くな。雪のくせに」

 言い捨てて早足で出て行く紗柄を、雪が慌てて追い掛ける。どちらがどちらに仕えているのか、側から見ればまるで分からぬ構図であった。




 茗と聖安の両帝国に接する大国、六ツ国が一、祥岐。三人目の光龍・紗柄が降臨したのは、長い冬に包まれる北果ての地。

 折に触れて版図を広げんとする二帝国の陰で、祥岐は古来の領土を守り、ひっそりと繁栄してきた。数百年に一人の名君と謳われし今上きんじょうの王の下、目立った変災にも見舞われずに――そして、世間には光龍であるのを隠して王家に仕えていた紗柄の力添えにり――人々は安穏とした日々を暮らしていた。

 温い湯に浸かり、幾年も闘争を忘れていた所為であろうか。此の国の真ん中に何時しか隙穴げきけつ穿うがたれ、傷口からじわりじわりと膿み始めていたのに、誰も気付けなかった。氷姫をはじめとする、極々少数の者を除いては。

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