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凍える夢  作者: 亜薇
本編
28/33

二十六.言霊

――貴女に捧げたい言霊ことだまが有る。


 愛する人に会うために、

 貴女が罰せられるのなら。

 其の罪、わたしが引き受けよう。


 愛する人の元へ、貴女を送ってあげたい。

 貴女は、わたしを案じてくれるでしょう。

 大丈夫、わたしは半身の元へと還るから。

 

 ああ、たった一言で良い。

 此の声を出せたなら。

 わたしの真実を、貴女に伝えられたなら。

 貴女は愛されているのだと、

 貴女に気付いてもらえたら。






 面が砕けて中断されていた、紗柄と炬の戦いが再開された。

 守勢に回りがちであった炬は、突如攻めに転じた。覆いを取っても変化に乏しい面様おもようだが、発する鬼気には凄まじいものが有る。

 高さを取られ、上方から地影を打ち下ろされた時には、流石の紗柄も冷やりとして反撃をし損ねた。紗柄に避けられた刃が地面に迫り、黒の気の衝撃で地が割れたのだ。

 戦巫女の異名が付く程戦い慣れた紗柄も、斯様に異常な殺気を受けるのは初めてだった。霞乃江が紗柄を殺したい動機は明確だが、炬自身には怨恨など無いはずである。

 ひとえに、霞乃江への狂信的な忠誠が成すものか。そうでなければ、素顔を晒したのが原因なのか。霞乃江と炬が通って来た道も知らぬ紗柄には、解せる訳も無い。いずれにせよ紗柄には、雪に王の仇を取らせる使命が有った。

 地影に掛ける力のみならず、速さも上げてくる炬に、紗柄もおくれを取らない。剣と剣とを合わせる度、如何な妖であろうと斬殺して来た愛刀が、悲鳴を上げていた。

――早く決着を付けねば。

 命の奪い合いでも久しく取り乱していない紗柄は、此処に来て焦り始めていた。凛鳴が紗柄と地影の神気に耐えられなく為り、軋み音をさせているのからしても、此の戦いを長引かせるべきではない。

 黒の気を使う相手との斬り合いは、紗柄の予想した以上に力を消耗する。不可視の結界を張り、凛鳴に載せるのに相当の気を要しているし、光を開いた光龍であるとはいえ神力の限界は無視出来ない。 

 切り結ぶ間、薙ぎ払われる地影から黒の気が漏出し、第二の撃と為って紗柄を襲った。右腕と左頬に掠り傷を負ったものの、彼女は怯まない。放った剣光を避ける炬が、後ろへ飛び下がるのを追撃し、左脇腹から右肩へ斬り上げた。

 踏み込みが足りず、致命傷には至らなかったが、炬は胸から血飛沫を上げて片膝を付く。本人は勿論、側に居る霞乃江にも、紗柄は治させる隙を与えない。

 続け様に凛鳴を握る両腕を引き、渾身の力を籠めて炬へ向かう。水月辺りを貫かれた炬は、地影を地に突き立て、霞乃江の姿を目にしながら遂に倒れ伏した。

 仰臥ぎょうがした炬の胸より、紗柄が凛鳴を引き抜いた。赤い血が迸出へいしゅつし、彼の黒い着物を一層黒に染めてゆく。額に浮かんだ汗を拭い、荒らげていた息を整え始めると、今一度炬を見下ろす。

 声帯が機能しない炬は呻かず不自然に呼吸し、口からも血を吐いた。炬は間違い無く死ぬ――自らの手で幾人も殺めてきた紗柄は確信した。如何に黒の巫女とて救えまい。仮に救おうとすれば神力の殆どを失い、黒神復活など果たせなく為るだろう。

「炬」

 下僕の名を呼び、雪を放り近寄って行く霞乃江の美貌は、蝋を固めた人形のようだった。悄然たるものではない、落ち着いた足取りの彼女に、紗柄は思わず道を空けた。

「炬」

 膝を枕に炬の頭を乗せた時、霞乃江は笑っていなかった。紗柄の読み通り、治癒術を用いる気は欠片も無い。

 そもそも戦わせ始めた頃から、炬に勝機があるとは思っていなかった。武芸の誉れ高い魔族の、其れも一時は魔王候補と為った王子とはいえ、今は霞乃江の従者に過ぎない。妖異狩りという死線を抜けて来た紗柄には及ばぬであろうと、剣を持たぬ身ながら分かっていた。

 にも拘らず、紗柄と戦うよう命じたのは、霞乃江に別の秘策が有ったため。妖王の言った通り、炬を使い紗柄を贄とするのが最良ではあったが、失敗した際の手段は他にも用意していた。

 当初の目論見通り、雪を誘惑し引き入れられていれば、炬に紗柄を殺させることも成功していたかもしれぬ。しかし、そうはいかなかった。

 数年の間、霞乃江が占有した端正な顔には、冷たい鉄面の跡が幾つか薄らと残っている。指先でなぞるうちに、視えているのかも分からぬ黄昏色の瞳と目が合った。霞乃江には只一つだけ、炬に訊いておきたいことが有った。

――炬。おまえはわたしを憎んでいたのだろう?

 声を失くした炬と意思を伝え合うのには、言葉など不要だった。己を抱けと命じる時も、誰かを殺せと命じる時も、目配せするだけで炬は正しく解した。其れゆえ逆に炬の心も、完全に捉えていると信じていた。

――答えよ、炬。

 最後の命に従うこと無く、炬は目を見開いたまま動かなく為った。数瞬唇が僅かに震え、言い残そうとしたかに見えたが、霞乃江は気のせいであろうと捨て置いた。其の錯覚が紡ぎ出した炬の答えは、彼女が本当は望みつつも、到底認め難いものだったのだ。 

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