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凍える夢  作者: 亜薇
本編
26/33

二十四.半身【1】

 自らの手で、半身を潰した男は、

 生きながらにして死んでいる、

 幽幽冥冥ゆうゆうめいめいに蠢く魍魎と成り果てた。






 東の果て、濃霧に覆われた海を隔てて存する異界、魔国まこく――炬はの国の王子だった。

 武に優れ、肉体精神共に強靭であり、其の存在感は数十人居た王子たちの中でも際立っている。将来魔王と為るのに相応しい、有力な候補と目されていた。

 彼には、親ですら見分けが付かない程良く似た双子の弟がいた。炬には劣るが、剣腕は抜きん出たもので、黄昏色の髪を流した姿は炬と瓜二つで極めて美々しい。炬の半身たる弟の名を、あきらといった。

 魔国には、古来より続く王位継承者選定の儀式が在った。王の正妃が産んだ王子たちが試練を受け、残った唯一の者が次代の王と為る。挑みながらも王と為り得なかった者は、妖獣に喰われ命を落とすか、正気を失って野垂れ死ぬ。

 試練を受けぬ者は臆病者とそしられ、魔国王子としての栄光を失う。命を失わずとも、魔国での居場所を手放すも同義であった。

 時が訪れ、炬にも晄にも、試練の森へ入る順番が割り当てられた。生まれた時より定められているとはいえ、心が脆弱な者には到底受け容れられない。晄もまた、そうした弱者の一人だった。

 兄の炬は、王座よりも弟と共に逃げる道を選んだ。共に生き残るための手段を、他に見付けられなかったのだ。

 魔国を出て境界の海を渡り、人界へと足を踏み入れた。当時、許し無く魔国を出るのは厳禁であったため、見張りの目を盗んでの越境はそう容易くなかった。

 無事に国を出られても、齢十四、五の少年たちが、異種族の国で助け無く暮らすのは難しい。帰る家も無ければ頼る者も居ない。当て所も無く歩き廻るだけの日々で、自衛の武力を十二分に備えていた点は救いであった。

 故郷への哀愁は、兄弟で身を寄せ合い引き剥がした。人界では何の意味も持たぬ、魔国の王子という肩書きも、程無くして忘却した。誇りなど、試練の森から逃亡した際に捨てている。

 人界で最初に立ち入ったのは、東の帝国聖安。隣国とはいえ民の多くは、有史以来人と交流の無い魔族を敬遠する傾向にあった。彷徨するうち、兄弟が慈しみの手を差し伸べてもらえたのはごく僅か。身に着けていた少しの宝飾品は騙し取られ、掠め取られ、命を脅かされたことも有った。世間知らずで真正直な彼らは、仕返しする考えも術も無く、誰も信じぬという方法で以てやり過ごすように為った。

 帝国の広大な領土を抜け、何時しか祥岐国に入っていた。吸い寄せられるが如く都に近付いたものの、意図した訳ではなかった。


 魔界の宮殿を出て、二年程経った。炬は己と晄を生かすため、食べ物や金品を盗み、止むを得ずに殺しもやってのけるように為った。一方晄は、生来の臆病さが一層酷く為り、炬無しでは生きられぬまでに依存し切っていた。

 兄弟だけの流浪が弟の心を蝕むと気付いた炬は、一時でも留まれる場所を探し始めた。生涯を共にするのは晄だけで良いが、ほんの数日、一日だけでも信じて歩み寄れる者を欲していた。

 霞乃江と出会ったのは、左様な折だった。

 短い秋が終わり、祥岐に冬が訪れる頃。王弟・晟凱が、霞乃江を伴い王都から然程遠くない湯治場に滞在していた。

 此の山間やまあいの地には、晟凱が造らせた離宮が在る。年に数回、愛妾を代わる代わる連れて湯治するのに使っていたが、近年は霞乃江としか籠らなく為っていた。

 森から王族の別邸に入ったとは知らず、炬と晄は衛兵に捕らえられた。炬が応戦したが、近衛並みに訓練された晟凱の私兵は手強く、もはや戦力を喪失していた晄を庇っていたのも有り、ついに捕まったのだ。

 屋根付きの牢も無いため、兄弟は寒空の下門の直ぐ外に放り出された。鎖で木に繋がれ沙汰を待っている間に、突如霞乃江が現れた。

「珍妙な気だ。鼻梁びりょうの高い不思議な顔の造りといい、魔族とやらか?」

 頭上から玉が触れ合うような声がして、炬は反射的に顔を上げた。晄もまた、緩慢に頭を動かした。

 炬は息を止めた。其処には想像を超えた美が在るのみだった。麗人に囲まれていた魔宮でも、斯様な美少女にはお目に掛かったことが無い。

 髪は腰に届くかという長さの濡れ羽色。雪白の肌は陶磁器を思い出させる。気高い黒の瞳に、唇は血と同じ鮮やかな赤。歳頃は、兄弟たちより幾つか下であろう。

 天人あめひととはかくの如き者かと思わせる、何ら欠けたものの無い美麗さが、炬の身体の奥目掛けて雷を落とした。晄もまた、釘付けと為っており、死に掛けた両眼に生気を戻していた。

 此の時、霞乃江は兄弟に何も問わなかった。彼らを見下ろして暫し考えた後、下女を呼び付けて二つの面を持って来させた。

「わたしは霞乃江。おまえたちは、わたしの奴隷と為れ。其の美しい顔では『父上』が許さぬであろうから、此れを外さず付けていろ」

 炬にも、また晄にも、抗う心など一切湧いて来なかった。只頭を垂れ、少女に従う意を示すのは、当然のことに思われた。

 此の頃には既に、霞乃江は晟凱をほぼ為すがままにしていた。晟凱に構ってもらえぬ時の気慰みに、拾った兄弟を下僕にしたいなどという可愛い願いなど、簡単に叶えさせた。

 奴隷といえども、下人の室を与えられ、一日の大半は何もせずに過ごした。数日に一度、霞乃江の室に呼ばれて行き、退屈そうな彼女の話し相手と為るのみ。炬が予想していた労働らしいものは、一つも命じられなかった。

 晄と色違いで付けさせられた揃いの狐面は、霞乃江以外の者と居る時は常に付けていた。特に晟凱の前では絶対に外さぬよう、霞乃江にきつく言われていた。

 明らかに男物ではない、付ける者に色気を漂わせる此の面は、かつて晟凱が大勢の妾に被らせて淫らな遊びをしたものらしい。知ったのは、数日経ってからだった。

 主人である晟凱と霞乃江、数十人もの女官が住まう離宮で、炬と晄は異様な日常を目撃した。

 娘であるはずの霞乃江を、晟凱は所構わずに抱いた。臥所ふしどであろうと湯殿であろうと、庭であろうと。日中であろうと夜半であろうと、下女が側に居ようが居まいが。晟凱が劣情を催せば淫靡に目合まぐわった。炬や晄が居合わせても、やはり変わらなかった。

 晟凱は野獣、霞乃江は極上の獲物だった。齢十四、五にして、女であった霞乃江は、捕食されながら身体の渇きを満たし、獣を巧みに操っていた。

 そして炬もまた、左様な霞乃江に欲情せずにはいられなかった。女主の妖美な肢体を思い描き、夢や空想で幾度も穢して自らを鎮めた。しかし霞乃江が炬に色めいた眼差しを向けることは無く、言葉通り奴隷としか見ていない様子であった。

 悶々としたよどみを紛らしたのは、言うまでもなく晄の存在だった。若さゆえ、霞乃江に惑わされようとも、炬にとって愛しいのは晄のみ――そう思うようにしていた。

 放浪を中断し、身を落ち着けてからというもの、晄は少しずつ回復していた。魔国を出る前の明るさが戻り、控えめな笑顔も見せ始めていた。

 だが、炬は知らぬ振りをしていた。生まれた時より一緒に居り、互いに最も愛する者同士だったはずの晄が、女主の関心を巡って兄に敵意を向け始めていたのを。心の弱い晄は、兄よりも更に、霞乃江の魔に侵され易かったということを。

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