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凍える夢  作者: 亜薇
本編
21/33

十九.破綻

 想う程、遠く為る。

 触れようとすれば、去って行く。

 何故重なり合わぬのか。

 彼女を頑なにするものは、何なのか。






 帰城の途に就く紗柄らを待っていたのは、雪を狙う王師だった。

 鎧を纏い、剣を手に襲い来る男たちを前に、紗柄は一切たじろがない。気を読み先んじて接近を知るため、姿が見えてから慌てることは無い。

 敵があしらえる数であれば、馬上に雪を残して一人降り立つ。巧みに自身へ引き付け雪と離し、凛鳴で一蹴する。多過ぎれば、神術も用いて敵の目を眩まし、馬を走らせて逃げ切ってしまう。

 己が擦り傷を負う場面は有れど、雪は全く傷付かせない。敵と相対する際は、決して死なせぬよう加減する余裕さえ見せた。


 日毎夜毎、持ちこたえ、数日が経った。

 此の日も、早朝から二度の襲撃を回避し、通り掛かった竹藪に身を隠していた。雪が乗る馬を紗柄が引いて歩き、四方に注意を払いつつ奥へ進む。

 雪は、自分の居場所を知らせる程の神気を持っていない。隠神術のように高度な術を要さぬため、其の点は救いであった。

 つい先刻、十余人もの兵と立ち回った紗柄は、何時もながら少しも疲れを出していない。雪の方は、手綱を紗柄に任せて馬背にしがみ付いているだけだが、困憊こんぱいしふらついていた。

一先ひとまず撒けた。休むぞ」

 下方から紗柄の声がして、はっとする。馬から降りる際、あぶみから左足がずり落ちそうに為るが、踏み堪えた。

 衣服が汚れるのも気にせず、冷たい土に座り込む。腰の剣から手を離さずにいる紗柄を見て、ふと、城を出てからの道程を思い返した。

「紗柄の腕なら、相手の命を奪わずとも、十分切り抜けられるんだよね」

 風耶までの往路、紗柄は必ず敵の息の根を止めていた。逃亡のために仕方無く、という理由に、雪は納得し切れずにいた。

「今向かっているのは敵の懐だ。居場所を知られようが、暫し追って来られなくすれば、口封じをする必要は無いからな」

 紗柄の答えを聞き、改めて情けない思いがした。好き好んで人を斬っている訳ではない彼女が、主人たる雪を守るために通った葛藤は、並々ならぬものであったろう。

「ごめん、紗柄。私は本当に至らないね。私の所為せいで、さぞや苦しんだでしょう」

 上擦り、か細く為りゆく声に、口先だけではない雪の後悔が籠められる。紗柄は彼を直視し、闇の中一点の光に手を伸ばすかのように尋ねた。

「やはりおまえは、信じてくれるのか。私が『鬼』ではないと思ってくれるのか」

 過去を知らぬ雪には、何故『鬼』が出て来たのか分からない。只、彼女とは程遠く感じられた。

 真意を問うか否か迷っていると、紗柄は目を伏せた。

「不甲斐ないのは私だ。おまえの護衛でありながら、氷姫に仕えておきながら、側で守れなかったのだから」

 本当に紗柄の口から発せられたのか、疑いたく為る科白せりふ。雪の知る限り、彼女がこうして自責を見せたためしなど無い。

「火澄殿をはじめ、近衛を責めたが、私にはそんな権限など無かった。己の狭量を恥じるのみだ」

 何時にも増して起伏の乏しい調子が、慚愧ざんきの念を表している。紗柄ともあろう者が、弱気を曝していた。

 悔恨する紗柄のため雪が選んだのは、命運を分けたあの日以来考え続けていた、姉の本心だった。

「紗柄が聖安の民を救ったこと、姉上も喜んでいたと思うよ。知ってるでしょう? 姉上はそういう方だもの」

 直接聞いた訳ではないが、雪は固く信じていた。

「此の数年、君が妖を倒しに行く度に、誇らしく思うと言っていた。君程の人を、王宮に閉じ込めていて良いのだろうかと、常々口にしていた」

 紗柄は長い睫毛に縁取られた目をまばたかせた。氷姫が雪に口止めしていたため、斯様な話は初耳である。

「正直、同感だった。私が王に為る定めの男なら未だしも」

 其処まで言うと、雪は一つ息を吐いた。

「だから今は、前に進めたんじゃないかって思うんだ。君と居るのに相応しい人間に、僅かでも近付けたんじゃないかって。守られっぱなしだけどね」

 明るい瞳で紗柄を見据え、逸らさぬよう眉間に力を入れた。拵えた強さの奥には、繊細な揺らぎが見えた。

「前にも言ったが。私は『今の』おまえを人として認めている。王位を継ごうが継ぐまいが関係無い」

 偽りの混じらぬ紗柄の真心が、雪に差し出される。彼が秘めた矜持は、素直に抱き留めるを良しとしなかった。

 複雑な表情の雪を見て、紗柄は徐に隣で腰を下ろした。

「私は、生まれた時から光龍だった。其れを嬉しいと感じたことは無い。だが……妖を殺し人を救う使命も、当たり前のものとして背に負っていた」

 進んで心情を明かすことの無い紗柄が、吟味しながら語り出した。

「此の力は、妖を狩るためだけに与えられたもの。人を害すればわざわいと為り果てる――ずっとそう言い聞かせられてきた」

 雪は目をみはったまま、相槌を打つのも忘れて聞き入っている。

「おまえと出会う少し前、初めて……人を殺めた。私にとって掛け替えの無い人たちだ」

 誰を、と訊き掛けた雪が、口をつぐんだ。

「後から知った。其れは、私が真の光龍と為るのに不可欠な犠牲だったのだと。忌まわしい試練を経て力を得たが、私は人を傷付け、殺すのを止められなかった」

 詳細は話されなかった。しかし雪には、紗柄にとり光龍であることが如何な苦しみを生み出すのか、解せた気がした。其の苦痛がかつての紗柄に過ちを犯させ、更なる苦悩を与えているというのも察せられた。

「光龍の宿を受け入れる、受け入れないという話ではない。血に汚れた私には、光龍と名乗る資格も無いし、望みもしない。主だという天君も、見捨てて声すら掛けてくれぬ」

 天に見放されたと言う彼女には、光龍への執着など見当たらない。

「だが私は、己が光龍だという悲劇を、誰よりも受け入れている。逃げているように見えるだろうが、目を瞑ったことは無い」

 底意は読みにくいが、雪はしっかりと呑み込んだ。

「其れで、妖討伐を続けているんだね。君なりの償いの形として」

 紗柄は頷きはしないものの、否定もしない。

「私は凡庸な人間だから、神巫女の使命も神々のお考えも分からないけれど」

 謙虚な言葉とは裏腹に、雪の言い様は自信に満ちていた。

「君は紗柄だ。私を守ってくれる護衛で、私の大事な幼馴染み。絶対に『鬼』なんかじゃないし、光龍であるのが辛いのなら、もう其れで良いじゃない」

 まるで、紗柄の心の内を見透かしているように話す。

「姉上も私も、君が光龍だから側に置きたいなんて、考えたことも無いよ」

「雪」

 雷に打たれたが如き衝撃が走ると、彼の名を呼んでいた。雪の真正直な顔を見入り、紛うこと無き熱誠を認めた。

 其れが、其れこそが、紗柄が求めていた言葉だった。喉から手が出る程欲しておきながら、己では見付けられなかった只一言。光龍ではない紗柄を許すという、産みの父母さえ与えてくれなかった慈悲。

「君も、今のままの私で良いと言ってくれた。互いにそう思っていたんだね」

 相好そうこうを崩す雪に対し、紗柄に否定する理由は無い。れど彼女は、首を縦に振り笑み返せる程、穏やかな生き方をしていなかった。

――雪。おまえも氷姫も知らないのだ。私が何を犠牲にして光龍と為ったのか。

 またも下を向いてしまった紗柄に、雪はげんごうとして躊躇った。華奢な肩を竦ませる彼女は、息をするように妖を殺す者には到底見えない。

 背に手を回して抱き寄せたいとも思ったが、諦めた。紗柄がひた隠しにしていた幼き頃を知り、一歩でも進めるかと思いきや、身体が動かない。

 自身と紗柄の間にそびえ立つ、飛び越えられぬ壁を前にした雪は、為す術を持たなかった。得体の知れぬ黒石が積み重なり、何時しか築かれていた巨壁。紗柄を求める度に立ちはだかる、途方も無い障り。

 まるで幾百、幾千の年月をかけて出来たかのような岩壁は、ほんの一欠片さえも崩れること無く在り続けている。朧げだったものが鮮明に象られたのは、紗柄という少女を慕い、触れたいと思い始めてからだろうか。

 一方で紗柄もまた、雪とは異なる形で隔たりを感じ、同時に自ら距離を取ろうとしていた。守ると誓ったがために、穢れの無い彼を必要以上に近寄らせなかった。

 側に居たいと願いながら一線を引くのは、雪の安寧を守るため。其れ以外の訳など持たぬと、漠然と思っていた。

「紗柄、如何したの」

 俄かに下を向いた紗柄が、掌で額を押さえて首を振った。

「何でもない」

「そんなはず無い。頬も唇も真っ青だよ」

 加えて、悪寒が紗柄の背中を通り、急速に行き渡っていた。不意に自身を襲ったものの正体を探し、見えるままの色を表す。

「気が……黒い気が」

 全てを覆い、潰し、屠り、隠し、奪う黒。光龍の紗柄が、今生で初めて認識した宿敵の痕跡。

「闇龍が私を誘っているのだろう」

 足の爪先から頭の上まで這い回り、抗いようの無い違和感を与えて滑る。紗柄に満ちる神気に依り押し出されて留まりはしないが、去り際に啓示めいたものを示唆してゆく。

「紗柄、大丈……」

 小刻みに身震いする肩に、雪が優しく触れようとした。

「触るな」

 彼の手を払い除けた紗柄は、己の両腕を抱いた。雪の心配は伝わり来たが、黒の気を引き金に眠っていた何かが呼び起こされ、制御出来なく為っていた。

 そして其の何かが、紗柄の魂の底から「雪ではない」と叫んでいたのだ。

「ごめん」

 心から申し訳なさそうな雪の声で、漸く我に返った。気を安定させて身体の震えを鎮めつつ、呼吸も整えて顔を上げた時、雪が消えていた。

「雪!」

 呼んだ時には、遅かった。

 見覚えの有る白い妖狐が、見上げた先の小高い場所に、四つ足で立っている。大きな背には雪が乗っており、四本の尾で手足や胴を縛り付けられていた。

「紗柄! 来るな!」

 雪が張り声で言い終えぬうちに、狐狸精こりせいが森の奥へと取り込まれてゆく。おくれを取った紗柄は、木に繋いだ馬を置き去りにして走り出した。

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