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凍える夢  作者: 亜薇
本編
20/33

十八.純愛

 貴方が創り、与えた、心と体。

 貴方だけの意のままに。

 わたしは、御身のために在る。






 先王が葬られた後、即位の儀を急ぐ謀反人の晟凱が、突然病床に臥した。

 全身に赤黒い斑点が出て疼痛に喘ぎ、筋力がみるみる衰え歩けなく為った。黒々としていた髪が白く為り、半分以上抜け落ちた。聴力も、視力さえも落ちゆき、喉が潰れて声を発するのもままならない。呼吸も苦しく為りつつある。

 王位継承を妨げられるのを恐れ、己の不調が知られぬよう寝殿に側近以外が近付くのを禁じた。隠し通せる訳も無く、次期国主が重篤な病を患ったという噂が宮中に広まった。

 やがて立てなく為ったが、晟凱は己の命が尽き掛けているとはまるで考えなかった。只一人、彼に精気を漲らせる義娘ぎじょうさえ現れてくれれば、難無く復活出来ると信じていた。

「霞乃……か……を、呼べ……」

 御簾の外に控える女官に命じ、呼び立てる。見たことの無い症状にお手上げの王医ではなく、唯一残った愛妾を。

 囲った女は多いが、此の十数年で霞乃江以外は手放した。他の女を虐待するより、彼女を愛でるのに執心していた。

「かの……かのえ」

 役に立たぬ目を閉じ、譫言うわごとでも繰り返す。娘は一向に来てくれる気配が無いが、恐らく無能な臣下や宮女の所為せいだろう。

 傲慢なる此の男は、霞乃江が拒むとは全く考えなかった。己と彼女は、単なる親王と寵姫ではなく、相思相愛で結ばれた恋人なのだから。

 最初のうちは、暴虐する欲望の対象でしかなく、他の女とほぼ同列の子供に過ぎなかった。次第に心を奪われたのが、妖王の手で咲き乱れた霞乃江の手管てくだだとは知る由も無い。

「か、の……え」

 声を聴きたい。髪に触れたい。顔を見たい――王の冠と霞乃江とを並べられれば、先に手を伸ばすのは霞乃江だろう。

 他人が彼の感情を代弁するならば、『愛』と表するに違い無い。

義父上ちちうえ

 待ち望んだ声が、天より降り注ぐ。みみしいと為っても、此の玉音だけは聞き分けられた。

「か……の、え。近う」

 寝返りすら打てない晟凱には、名を呼び命ずるのがやっと。命令というよりは、乞い願うという方が近しい。

 霞乃江は女官が上げた珠簾しゅれんくぐり、衣擦れの音もさせずに側へ寄る。義父の枕元に正座し、赤く変色して萎びた彼の右手を取った。

「貴方にはもはや、玉座に就くどころかわたしを抱くことも、身を起こすことも能いませぬ」

 耳打ちされ、晟凱は充血した目を剥いた。空耳や幻聴の類かと疑い、視線だけを娘へ向ける。

 仄かに笑む霞乃江が左肩の着物を落とすと、古い古い火傷の痕が現れた。

「かつて貴方が焼いた、此の証。此れが示す通り、わたしはいと高き御方の下僕しもべとして生を受けました」

 いたく誇らしげに言い放ち、御印の在ったところを大袈裟に撫でる。晟凱は忘れていた悪行を思い出し、いよいよ呼吸が止まりそうに為った。

――まさか……本物か?

 十年近く前、ねやで『其れ』を見付けた際に、晟凱お抱えの占師に尋ねると不気味な答えを返された。生まれつき身体に黒い龍が棲む少女は、五百年に一度しか生まれない。必ず殺さねばならない――と。

 当時、霞乃江を実娘じつじょうだと思っていたのもあり、風評を気にして警告した占者を始末した。徴しは、熟慮することなく己の手で潰してしまった。

――本当に、邪神の降した巫女だとでもいうのか?

 普段、神々の存在を気にも留めぬ晟凱だが、懼れは有る。凶兆を蔑ろにした過ちが、今の苦悶を齎しているのかと思うと、悪寒が止まらなく為る。

「わたしはの君の崇高なる御業を代行するため、螺旋を巡る傀儡。輪廻の途中、幸運にも義父上の元に降り、王家の娘として生きて参りました」

 情の籠らぬ声が、見知らぬ娘のものにしか聴こえない。霞乃江からの愛念を疑わなかった晟凱は、裏切られたとさえ感じた。

「義父上は、主から賜った此の身体を、数え切れぬ程愛してくださいました。ゆえにわたしは、我が君に願ったのです。貴方がわたしを穢す度――死に近付けてもらえるように」

 黒の力の授受に依り主の気を静めるのが、黒巫女本来の役割。房の中で晟凱に気を移し毒してゆくなど易い所業だ。

「が……の……」

「義父上には、言い尽くせぬ程感謝しております。わたしが貴方の血を引いていないのを知って激昂し、母上と父上を殺してくださったお陰で、闇を開けた。此の手を直接汚さずに生贄を作り出せた」

 謝意を示して手を差し伸べ、ただれた頭皮が覗く頭に触れた。

「さようなら、義父上――おまえは主君を殺し兄を殺した。人として最も忌むべき蛮行を演じ、誇りを代償として捧げながらなお、王座を得るに値せぬ。慟哭するのさえ許されぬまま、死ね」

 霞乃江は呪言を放ち、天女の如き優美な笑みを浮かべ、晟凱に焼き付けた。兄王殺しの罪深き男は、王座を前にして野望を砕かれたが、無念さよりも悦びを覚えていた。悶絶する程の激しい痛苦さえ快楽に変える、愛しい少女の幸福な微笑に包まれていたために。

 積怨を晴らした霞乃江は、義父の死に顔に差した喜色に気付かない。

「全てやり遂げました。後は、貴方さまをお迎えするだけでございます」

 此の世の憂いを捨て去った、晴れ晴れとした声で告げる。主からの応えは返らず、終幕への足音のみが、死のしじまに響いていた。

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