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凍える夢  作者: 亜薇
本編
19/33

十七.渇仰

 独りの苦渇くかつを堪え、来るのか分からぬ晨明しんめいを待つ。

 斯様な夜を、一体幾度越えたであろうか。






 煌やかな銀細工の飾る帳台に囲われて、襦袢じゅばんを着た霞乃江がしとねに臥していた。

 あえかな少女に過ぎなかった霞乃江は、妖王に依って自己の何たるかを知らされた。時を掛けて真の主を知り、彼の君に従う喜びに感じ入り、闇を御して力を開け放った。

 眠っている時のみならず白昼でさえも、前世の記憶は夢と為って甦った。過去生の黒巫女は別人に違い無いが、自身であるかのような錯覚を呼び起こす。

 氷姫を殺めてからというもの、嬉しくも悲しき其の錯乱は、徐々に激しさを増していた。五百年前を生きているのか、千年前を生きているのか、分からなく為る瞬間が有る程だった。

 開闇かいあんして月日が経ち、容易く抑えていた力が、何時の間にか溢流いつりゅうしていた。き止めることも出来ず、其の気も起きぬため、落ち着くまで身を横たえているしか無い。

「邪龍さま」

 垂れた布帛ふはくの直ぐ向こうに、慣れ親しんだ男の気を見付けた。妖王はとばりを上げて入り、蒲団の中に居る霞乃江の側で膝を付いた。

 誰も寄せ付けたくない霞乃江は、室の外には鉄面の従者・炬を控えさせていた。常人離れした使い手とはいえ、妖王相手では門番にも為らぬらしい。

「お見苦しいところをお見せし、恥ずかしゅうございます」

 消え入りそうに言ってから、両腕を交差させて顔を隠す。くも弱々しき姿を見せるのは、兄でもあり父でもある此の男のみである。

「地影の力と共に、おまえ自身の力も強まっている。記憶がより鮮やかに為りつつあるのではないか」

 難無く言い当てた妖王は、霞乃江の髪を指先でく。見下ろす翡翠の目は、己の娘を愛しむようにも、都合の良い弄び物で愉しむようにも見えた。

 彼の心内を知ってか知らでか、霞乃江は虚飾を帯びぬか細いだけの声を発する。

「夜、傍らで慰めてくれる者が、一人でも居てくれれば良いものを」

「あれは、おまえを慕っているのではないのか」

 妖しの王が指しているのは、侵入者に気付かず室の外で忠義を尽くす青年のことだ。

「炬はわたしの身体に溺れた奴隷。心ではわたしを憎み、何時かは殺そうと狙っているのです」

 虚勢の奥に、引き千切られる寂寥せきりょうが潜んでいた。見逃さぬ妖王は、否定するか肯定するか迷い、瞬時に後者を選ぶ。

「ああ……そうだったな」

 酷薄なる口元を微かに歪め、寄る無さにふるえる霞乃江を抉ってゆく。

「彼の方なら、わたしをお側に置いてくださる。疑いも無くそう思っていた。でも今は……」

「信じ切れなく為ったのか」

 霞乃江は肩を縮ませ、目元に乗せた指と指の隙間から天井を見た。

「何故『琉羅るら』ではなく『あの女』が……」

 覗いたのは、明らかな嫉心であった。

「彼の御方は前世のおまえである琉羅ではなく、あの女を選んだ。あの女の転生である紗柄もまた、いずれ全て思い出すやもしれぬな」

 悪意に塗れた妖王が、事も無げに霞乃江を試す。彼女の応えは想像通りだった。

「只、お会いしたい。お目覚めになった我が君が、またあの女を求めるとしても――」

 紅を差していない霞乃江の頬や唇からは、生気が消えていた。瞳はある一点のみを追い、実体の無い何かを掴もうと逸らさない。

「見返りなど求めませぬ。れど、あの女が憎らしい。此れまで厭わしいのは氷姫だけだったのに」

 彼の君と出会いたい一心で、妖王の助言に従い地影で殺戮を重ねた。功を奏して黒巫女としての力と記憶が戻りつつあるが、光龍への名状めいじょうし難い負の感情まで起こされていた。

「千年の昔から、おまえと紗柄は奪い合う運命。言わねば解らぬおまえではなかろう」

 勿体付ける妖王は、端正な顔が歪みそうなのに耐えながら、失意に囚われつつある少女に耳打ちした。

「最後の人柱は、雪ではなく紗柄にすれば良い。死んでいれば、彼の君と再会させずに済む」

 妖王の妙案は、霞乃江にとり唯一の策だった。遥か昔、主の心が何処に在ったのかを知った以上、光龍と会わせる訳にはいかなかった。

「だが、紗柄は剣鬼の如く強い。あれがおまえの力を得ているとはいえ、負ける可能性は十分に有る」

「雪王子を使えば良いのでしょう」

 霞乃江にも即答出来た。彼こそが、戦巫女と呼ばれ懼れられる光龍が守り続ける者。宿を捨てた彼女にとり、唯一の拠り所であろう。

「俺が手を貸してやる。あの様なか弱き子供、おまえになら如何とでも出来よう」

 何故か不機嫌そうな妖王を一瞥し、霞乃江は暫く思案してから言った。

「一つ、始末を付けねばならぬものを終わらせてから、取り掛かりましょう――邪龍さま」

 情けを乞うでも媚びるでもなく、名を呼び掛けて身を起こす。

「貴方は、我が君に似た面影をお持ちですね」

 妖王は両目を開いた。せがまれてもいないが、霞乃江を両の腕で背後から包み込む。

「こうしてやれば、一時の慰めと為るか」

 人間の男が、好いた女に向けるであろう視線を拵えるなど、妖王には簡単なことだ。霞乃江の額に尤もらしい口付けを落としてやった。

「お優しいところも似ていらっしゃる」

 其の呟きには、流石の妖王も首を傾げた。確かに優しい振りはしているが、聡い霞乃江のこと。己の魂胆を見抜いた上で、皮肉を籠めたのかと思った。

「我が異母兄上あにうえは、誰よりもお優しかった。俺のような異物さえも気に掛け、己の身を顧みずに救ってくださった」

 未だ、天界に居た頃。一柱の神だった妖王は、実父と継母に殺され掛けて天宮で逃げ回っていた。同じく天に居た彼の君に助けられ、其の後死よりも恥ずべき目に遭った。

「だが、俺は違う。情愛の類いを知らぬからな」

 警告の積もりだったが、霞乃江はゆっくりと頭を振る。

「いいえ、貴方はお優しい。わたしには分かりまする」

 邪な男は、少女の花開く笑みに敬愛を見出した。少なくとも此処千年近くは触れていない温かさに、思わず言葉を詰まらせた。

 釈然としないまま、妖王は否定せず乗ってやることにした。霞乃江に寄り添い、眠りに落ちるまで只抱き締めてやっていた。左様な行為には、何時ものような其の場凌ぎの愉快さなど、微塵にも感じられなかった。

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