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凍える夢  作者: 亜薇
本編
18/33

十六.劫火

 ある時、少女は火焔を産んだ。

 閃き、くすぶり、揺らめく黒の炎は、何時しか広がり天へと昇る。

 烈々として鳴り止まず、凡て呑み込み荒れ狂う。

 渦巻きながら世界をいて、いずれ己をも炮烙ほうらくする。


 此の絶崖ぜつがいが、凍える夢のいやはてと信じて。

 夢から目醒め、貴方と再会するために。






 火澄をも屠った霞乃江は、独り宮殿の廟に籠っていた。

 王家の先祖たちの位牌が、階段状の壇の上に並べられている。王の血を引く魂たちは、床に両膝を付いた霞乃江と、刀置きに掛けられた地影を囲んで見下ろしていた。

 此処は碧佳宮の敷地内に在りながら、儀式が無ければ人の出入りが無い。霞乃江が密やかに身体を休め、血を吸い膨張した地影の力を鎮めるには、都合の良い場所だった。そしてもう一つ、彼女が霊廟に来た邪曲じゃきょくなる訳が有った。

「氷姫、皆様の仲間入りをした気分は如何か?」

 淡々と語り掛けた相手は、白骨化した頭蓋だけの氷姫であった。殺して暫くは肉も皮も付いており、物言わぬ花と為った姫を愛でていた。しかし程無くして腐り始めたため、見るに堪えずさらされこうべとしたのだ。

「此の霞乃江は、死んでも此処には来られぬ。もうご存知であろうが、わたしは王孫ではないからな。哀しく、恨めしいことだ」

 姫の頭蓋は、御影石の床に置かれた白い盆の上に載り、霞乃江と正対している。

「命惜しさに娘を売った姦婦の腹から生まれ、妻殺しの欲深い義父に囲われた娘。其れがわたしだ。王家の姫として扱われてはいるが、決してそなたのようには為れぬ。真白き氷の花よ」

 霞乃江は、口端だけで笑っていた。

「血海に沈んだ宮でお会いするまで、長らくまみえていなかったな。孺子こどもの頃以来、か。あの頃より、わたしは晟凱に幽され外に出られなく為ったゆえ」

 姫の頭蓋は、黙している。

「心を許せる侍女も、近しい友も、わたしには居なかった。そうした者が一人でも居れば、斯様な話も出来たかもしれぬ――そう、お慕いする御方の話だ」

 姫の頭蓋は、動かない。

「長い長い歳月を、凍えて焦がれて待ち続ける。愛しい君の御前に立つことだけを夢見て耐え忍ぶ。貴女に、解る? いや、貴女には解るまい」

 姫の頭蓋は、答えない。

「わたしは貴女を好かぬ。ゆえに、貴女の男を奪ったのだよ」

 姫の頭蓋は、微動だにしない。

「貴女を愛した恋人が最期に求めたのは、わたしであった。貴女が当然得るはずだったものを、わたしがいただいた」

 姫の頭蓋は、何の不満も示さない。

「真実を告げよう。貴女には知る権利も義務も有る」

 姫の頭蓋は、否定も肯定もしない。

「貴女と、貴女の恋人を陥れたのは、あの方をお救いするため。あの方とわたしが、もう一度出会うためだ」

 霞乃江の声は、微熱を纏い始める。

 姫の頭蓋は、瞬き一つしない。

「わたしの望みはね、髑髏しゃれこうべの姫君。あの方の足下に平伏し、服従を誓い、隷属する幸福に歓喜しながら、此の呼吸を止めること」

 霞乃江は己の腕を抱き、深く嘆息する。

 姫の頭蓋は、只耳を傾ける。

「あの御方と再会するためなら、凡ゆる雪辱を甘んじて受ける。四肢が裂かれようとも、此の眼が潰されようとも、舌を抜かれようとも挑んでみせる」

 姫の頭蓋は、おののかない。

「たとえ、誰に憎まれようとも。娼婦と罵られようとも。幾百幾千殺めようとも。人でなしと蔑まれようとも」

 姫の頭蓋は、何かを問いたげに見えなくもない。

「あの御方がどなたで、何処におられるのか――知りたいか?」

 霞乃江は再び、姫を横目で見やる。

 姫の頭蓋は、頷かない。

「世を統べるためにお生まれになった、いと高き闇の君よ。千年の昔より、たった独り地上にお隠れになっている」

 主を語る霞乃江は夢見心地で、別人の如く陶然としている。

「あの方の異母弟おとうと君が、幼いわたしに濁世だくせいで生きる術を教えてくださった。そしてあの方の存在をわたしに思い出させてくださった」

 姫の頭蓋は、忘我のきょうに入った霞乃江を見詰めている。

「確かに、今生のわたしは未だお会い出来ていない。だが、わたしは知っている。此の穢れた身体の奥に継がれた魂に、あの方の記憶が刻み込まれているのだから」

 霞乃江は感極まって肩を震わせ、涙を頬に伝わせ、黒い天井を見上げた。

「あの、光輝く微笑みを取り戻すためなら。あの、優しい御声を取り返すためなら。あの、慈愛に満ちた黒曜石の瞳に、今一度映されるためなら」

 今生ではまみえていないはずの主を、見知っているかのように讃美する。まばゆい笑みを向けられ、素晴らしい時を共にしたかのように愛慕する。

「わたしは、何にでも為ってみせる」

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