十四.守護
後半、残酷な表現があります。
守りたい――此の想いは何処から来るのか。
幼いあの日、守れなかった罪悪感を拭うためか。
生かしてもらった恩義のためか。
不思議と溢れ出る、懐かしさのためか。
客間で待っていた紗柄は、険しい表情をして、腕を組んで立っていた。
「私は、おまえを生かさねばならない。くどいようだが、敢えて言う」
顔を合わせるなり真剣に話し始めたからか、雪は姿勢を正した。依水の前だと言いにくい内容ゆえに、場を変えたのだろう。
「神巫女の宿に従う気は無い。しかし本当に敵が闇龍なら、命を賭した戦いに為るやもしれぬ」
己らしくない及び腰に、紗柄自身、喋っている自分の唇を縫い閉じてやりたく為っていた。其れでも、告げねばならなかった。
「もし、火澄殿を助けられなかったら。私が斃れれば、敵の只中でおまえを守る者は居なく為る」
口に出すだけでも、胸を焼き爛れさせる展開だった。
風耶に来るまで、依水と再会するまでは然程感じていなかった気掛かりが増していた。祥岐王の、氷姫の仇討ちだけでは終わらぬ様相を呈し始め、却って雪を巻き込むのではないかと怖く為っていた。
「おまえは此処に残り、私だけが戻って戦うという手も有るだろう」
提案したものの、雪が首肯するはずは無いと知っていた。案の定、彼は頭を振った。
「自分の目で、父上や姉上の敵を確かめたい。守ってくれる君からしたら、我が儘な話だとは思うけれど」
済まなそうな、しかし譲らぬ雪に、紗柄は尋ねた。
「新王として、再起する道を阻まれても、悔やまないか」
「私は王に為るために生まれて来た訳じゃないから。玉座を得たいのではなく、只、此のままではいられないだけなんだ」
逡巡の無い雪の瞳に見据えられ、紗柄は渦巻く胸奥の熱に感じ入る。
「其の感情は、人の子として当たり前のものだ。だがおまえのように、命の危険を冒してまで貫こうとする者はそう居ない。だから、誇って良い」
素直とは言えぬ紗柄が、惜しげも無い賛辞を贈る。雪がはにかんで目を伏せると、更に言い重ねた。
「其れでも、やはり目を背けたく為ったら。逃亡し、虫螻の如く生にしがみ付きたく為ったら、遠慮無く言え。絶対に逃がしてやるし、私も共に這い蹲ってやる」
本当は――自由を奪ってでも、雪を思い止まらせたい。だが彼の志を潰し、誇りを死なせたくはない。だからこそ紗柄は、何処までも共に在り、守る道を選んだ。
「優しいなあ、紗柄は」
顔を上げた雪は、躊躇いがちに右腕を伸ばし、紗柄を引き寄せようとした。彼女の肩が跳ね、更に半歩退いたためか、抱き締める前に引っ込めてしまう。
「ごめん」
雪に謝られたものの、紗柄は怒っている訳ではない。只々驚き、硬直していた。
――私は何故、拒んだのだ。
己の想いを解してくれた、雪の抱擁を、受け入れられぬはずは無い。彼にしては些か大胆な行為で、虚を突かれたから――一先ず、そう結論付けた。
「ありがとう。私が今生きているのも、此れから生きてゆけるのも、紗柄のお陰だよ」
傷付いたり、気を悪くしたりする様子も無く、雪は目を細めて笑んでいた。慈愛に満ちた、輝く花笑み。紗柄を癒やすのみならず、全てを受容し赦そうとする笑顔で。
ずっと、ずっと昔から、紗柄は此の笑みが気に入っていた。愛おしくて堪らず、凡ゆる害悪から守り続けたかった。
守りたいと思うと、魂の底が震え出した。身体の奥底から熱が込み上げて来た。遠い、遠い過去から知っている、忘れてはならぬ尊き願い。
寂しく切なく、懐かしい心地。此の安らぎは、雪以外には屹度生み出せぬだろう。
『魂の螺旋の何処かで、雪王子と――或いは良く似た人と、巡り合っていたのかもね』
前世の宿縁も悪くないと、紗柄は息を吐いた。冷え切った己の心に、癒やしの風を吹き込む者の本源を辿りたいと、望みが芽生えた。
只、記憶の深みへ沈んで思い出そうとはしなかった。「光龍」を敬遠するがゆえ、過去生との決別の意志が固いため。今世を生きる己の目で、雪を見詰めたいがためだ。
皺の寄っていた紗柄の眉間が、自然に緩んでいた。
「生かされているのは、私の方だな」
雪が聞き取れぬ小声で囁いてから、紗柄は顎をしゃくる――彼へと右手を差し出し、手を取り合おうとはせずに。
「行くぞ」
数度瞬きをして頷いた後、雪は紗柄の後に続く――彼女へ左手を差し伸べ、握り合おうとはせずに。
妖しの王に誘われるまま、紗柄が『開光』を遂げたのは、神剣・天陽を手にして間も無い頃であった。
天窓から差す朱色の夕光の下、足首を縛られ、梁から逆さ吊りにされた男と女を前に立ち尽くす。
「父、上?」
自信無く問うたのは、『其れ』が父に見えるような、見えないようなものであったから。
其の父らしきものは右眼を抉り取られ、顔の右半分は黒いものに覆われていた。
「母う、え……」
傍の『其れ』は、苦痛ゆえか面相が変わっていたが、確かに母であった。眼球は無事であるものの、左の耳が無いらしい。
そして『両親』からは、在るはずの両腕が消えていた。
「ああ、あ……あああ、あ」
紗柄は悶え、唸り、何処から出ているか分からぬ声を発した。床に血溜まりを作り、娘を見付けても助けを求めぬ彼らには、もはや舌が無かった。
「あ、ぐ、ぐぐっ……」
自身の口と鼻を手で覆い隠したが、目は逸らせなかった。父と母が紗柄を見下ろし、視線で捕まえて逃さないのだ。
後ずさった紗柄は、総身が震え上がるのを止められなかった。二親の斯様な姿を見せられているのも有るが、彼らの血走った眼が恐ろしかった。
父母が一直線に紗柄を見て、目を合わせてくるなど、未だかつて無かった。まるで「為せ」と命じるかの如き威圧が有った。
紗柄が「為す」しか、無かった。
生まれて初めて、神巫女ではなく彼らの娘として求められた――そう信じたために、紗柄は己が「為す」決意をした。




