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凍える夢  作者: 亜薇
本編
11/33

九.雪解

 力を欲したのは、光を浴びたかったからだ。

 光が眩しかったのは、苦しんでいたからだ。

 寂しいのは、誰一人愛してくれないからだ。

 愛されないのは、私が、酷く醜悪だからだ。





 光を開く恐ろしさを知らずに憧れ、妖王の口車に乗せられて天陽を手にした。

 訪れた不幸なのか、仕組まれた筋立てなのか判然としない目に遭い、人に話すのもはばかられる「犠牲」を払う罪を負った。

 家を失い独りに為った紗柄は、開かれた光の扱いに困り、当ても無く流れ歩いていた。

 家族が蓄えていた僅かな金銭で、日々凌いでいたが、長く保たないのは明白。鳥獣を狩って食料を調達出来る日も有れば、飲まず食わずの日も有った。

 人を殺め、人を脅かす存在と化した紗柄に、人は容赦無い。剣を携え、鬼の眼をした美少女を見付けるなり、追い立てて囲い込み、排そうとした。

 幼い紗柄は、己の命を狙う者に対し、命を奪うことでしか立ち向かえなかった。生かして帰せば居場所が知られ、恨みを連れて来るのではないかという恐怖に打ち勝てなかった。

 親無し子として、只の孤児として憐れまれるか、捨て置かれるうちは良かった。整い過ぎた顔立ちゆえに、人買いにかどわかされそうに為るうちも未だ良かった。

 紗柄として認識された瞬間から、紗柄は人の敵に為った。

 故郷から離れ、妖王にも鬼と侮蔑されながらも、彼女は生きていた。一時抱いた、神巫女への憧れと希みは死んだ。其れでも、紗柄という人間は生きようとしていた。

 氷姫と雪王子と出会ったのは、人をやめかけていた、正に其の頃であった。




 此の後に及んで人助けに至るとは、紗柄自身思ってもみなかった。

 既に何十人もの人を斬った天陽で妖狼を祓い、彼らの命を縫い止めた。考える間も無しに、手足が前に出ていた。

 艶々とした黒髪を下げ髪にした少女と、真白い髪と肌をした少年。二人共、美醜に興味の薄い紗柄が二度見する程麗しい顔をしていた。

 邂逅の地は、王都・江煉こうれんから遠くない森の中。近年妖が出るとの噂が立ち、只人は中々近付かぬ危殆なる場所だった。

 度胸試しの積もりで宮殿を抜けた雪と、弟を案じ習いたての剣を手に追って来た氷姫。従者も付けず、二人切りのところを化け物に出会でくわしたとは、後で聞いた話だった。

 天陽を下ろして姉弟を改めて見た時、紗柄は姫の曇り無い眼に惹かれた。そして、雪の濁り無い瞳に引き込まれた。しかし氷姫の望み通り、宮の側まで供をする気に為ったのは、彼らが気に為ったからというより、紗柄が失わずにいた人らしさゆえだった。

 体力が無く、辿々しい足取りで歩く雪の手を、氷姫が引いて歩いてゆく。其の後ろから続いていた紗柄は、身形みなりの良い彼らの出自よりも、今更人を助けた己に疑いを持った。

 一刻程度の同行であった。一言も発さず、また話し掛けられなかったからか、紗柄にはやたらと長く思われた。幸いにも、以降妖の出現も無かった。

 終わらぬかと見えた杉林が漸く途切れ、平原の向こうに蜂蜜色の城壁が現れると、氷姫は足を止めた。

「礼を言う。そなたのお陰で無事に帰り着けた」

 居住まいを正して深く頭を下げられた紗柄は、戸惑わざるを得なかった。他人から心の籠った謝辞を受けるのが、実に久しく感じられたのだ。

「ありがとう」

 姉に倣い、雪も両手を前で揃えてお辞儀した。色素の薄い透き通った瞳を向けられ、紗柄は思わず顔を逸らした。

「頼みが有る。そなた、此のまま雪の護衛と為ってくれぬか」

 突として姫に言われ、目をみはった。

「見ての通り、雪は身体が弱く、剣も満足に振るえない。側で守ってくれる優れた剣士が要る」

 出で立ちから、姉弟がやんごとなき身分であるのは分かる。誰の依頼かというよりも、側で守れという内容自体が、紗柄の想像を遥かに超えていた。

「私は追われている」

 断る口実を考え、真っ先に出たのが其れだった。

「私は命を狙われている。一緒に居れば、守るどころか危うくしてしまう」

 こう答えれば、姉弟は紗柄の素性を問うだろう。些か後悔したが、氷姫は異なる反応を見せた。

「雪は滅多に宮から出ない。そなたも出たくないのなら出なくて良いし、人目に触れずに済む」

 行く当ても無く、動き回れば吹き荒んでしまう紗柄にとっては魅力的な条件である。だが彼女には、弱く脆い紗柄にとっては、そう易々と頷けない。

「私が何者でも、本当に良いのか。道中襲って来た妖と似たようなものかもしれないぞ」

 氷姫を思い止まらせようとする自虐には、必死さと諦めが存していた。

「そなたの瞳は清らかだ。悪しき者であるはずが無い」

 紗柄は、声を失った。口を丸く小さく開けたまま、塞ぐのも忘れて立っていた。

「わたしは祥岐王の娘、氷花。そなたの名は?」

 彼女が王女だという事実よりも、氷花と名乗る少女が自分に手を差し伸べている現実の方が、紗柄にとってはより驚きだった。

「紗柄」

 隠す訳にも偽る訳にもいかず、名を明かしていた。失策だろうが後の祭りである。

「紗柄殿。我が弟、雪王子の護衛を任せたい。引き受けてくれるか」

 差し出された氷姫の手指は肉刺まめだらけで、王女の御手にはとても見えなかった。ところが彼女の清澄なる眼は、間違い無く紗柄の仕えるべき主の眼だった。

――雪が降る前触れ。四肢の末端まで凍えてしまいそうな、祥岐の冬の日。此の日紗柄は、光龍と訣別することにした。






 紗柄と雪、二人きりの逃亡が始まり、一夜が明けた。日が昇ると同時に出立した彼らは、一先ひとまずの目的地である風耶かやを目指す。

 森を出て馬に跨がり、枯れた平原を横切って行く。雪が前に乗り、紗柄が後ろで手綱を握る格好だ。

 白い髪に白い肌、灰青色の瞳の雪は、目立つ外見を隠すため、頭まで布を被っていた。彼を捕らえよという布令が各地に出されているのに用心し、街や村に近付くのは極力避けねばならないだろう。

 暫し無言のまま馬を走らせていた紗柄は、朝靄あさもやの下に小川を見付けて体を引き、停止した。

「少し休むぞ。降りろ」

 走り出して、未だそう経ってはいない。長時間の乗馬に慣れぬ雪を思い遣る、紗柄の計らいだった。

「私は大丈夫だよ。紗柄が元気なら先を急ごう」

「早くしろ。引きずり降ろすぞ」

 問答無用で言われ、雪は嘆息して従った。もうずっと昔から、紗柄の決定には逆らえない。

 彼女が側に立つ木へ馬を繋ぎに行くのを見送り、雪は川端でしゃがみ込んだ。川の中を見下ろすと、小魚が群れを作って泳いでいる。不意に背から風が来て、反射的に身震いした。

「寒いのに、みんな元気だなぁ。尊敬するよ」

 くすりと笑んで顔を上げ、紗柄の後ろ姿を見る。彼女は目を細め、靄の掛かる草原を見回していた。

「先刻森を歩いていて、思い出したよ。紗柄と初めて出会ったのは、ああいう森だったよね」

 唐突に言われ、紗柄は眉間に皺を寄せた。丁度彼女も、同じことを考えていたのだ。

「こんなに綺麗な子が居るんだってびっくりしたし、剣を振るう姿には惚れ惚れしたよ」

「私こそ、斯様にか弱く可愛らしい男子が居ると知って驚きだった」

 貶されても構わない雪は、懐かしそうに空を仰ぐ。

「あれから暫く、君は姉上の言う通り、離れず付いていてくれたね。柔弱で、王に為ることも望めない私に」

 終わりの言が気に為り、紗柄は雪を見た。 

「元はと言えば、私に君を付けたのは姉上だ。君も姉上に従ってくれたのなら、もう付き合う義務は無いんだよね」

 氷姫の生存を諦めており、かつ雪自身を軽視する発言だった。

「下らぬことを言うと、金輪際こんりんざい口を利いてやらぬぞ」

 声の高さだけで、紗柄の機嫌を損ねたのが分かる。

「ご、ごめん」

 不本意にも怒らせてしまい、俯いた。紗柄は深い溜息を吐いてから、彼と正面より向かい合う。

「私は、ひ弱だが一本筋の通ったおまえを気に入っている。でなければとっくに離れていた」

 雪は目をしばたたかせた。紗柄からの良い評価など、そうそう聞けないものだ。

「王子の中で唯一生き残り、王の血を繋いだのだから、強運に自信を持て」

 高低が無く、選びながら紡がれた言葉。己にも他人にも厳しい紗柄にしては、温かみの有るものだった。

「珍しい、励ましてくれてるの」

「別に。そう捉えたければ勝手にしろ」

 臍を曲げられてしまったので、雪は慌てて話題を変えようとした。

「ところで、如何して風耶に?」

 風耶とは、王都の南西に在る小さな町だ。茗に近いため、過去に領土を奪われたり返されたりしたが、此の百年程は至って平穏だ。

「信を置ける知己ちきが居る。非天の動きに詳しいから、此の件についても何か知っているかもしれない」

 そう言われても、雪に思い当たる節は無い。紗柄は何年かに一度、雪には行き先すら告げずに外出していたため、彼女の人脈を知らなかった。

「数日は匿ってくれるだろう。暫く過ごしておまえが未だ、陛下の仇を取りたいと言うなら――行動を起こす」

 深紫色をした紗柄の眼は、何時に無く炯々としていた。其の澄やかな光に射込まれると、雪の身も引き締まる。そして、彼女への感謝も募ってゆく。

「ありがとう。紗柄」

 川の水面に朝日が差して、耀かがよう。立ち籠めていた靄が流され、緩やかに晴れようとしていた。

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