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凍える夢  作者: 亜薇
本編
10/33

八.悪戯

 艷なる異物、堕天の天子、渾沌の妖魔。

 黒の邪神が不在の今、其の血と闇で非天を率いる者。

 人を惑わし貶めて、地上に悪意を撒き散らす。

 望みは天への復讐か。退屈凌ぎに過ぎぬのか。

 悪しき男は、幼い神巫女を残酷な罠に掛ける。






 肩下まで伸びた髪や瞳が有する翠玉の色彩に、切れ長の目元が特徴的な優れた顔の造りには、現を忘れて見入ってしまう。れど其の美しさは人ならざるものであり、尖った長い耳もまた、人ではない異形の証だった。

 妖族だというのは気の性質から明らか。そして只の妖ではないというのもまた、認めたくはないが歴然としている。

「おまえは」

 警戒心と惑いを滲ませ、紗柄が誰何すいかした。

「天より落ちた者。下界で妖たちを生み出し、束ねた者。おまえたち討伐士が最も殺したい者。好きに呼ぶが良い」

 風に乗せられた低声は、幾度も求めたく為る甘さを帯びて、森の奥へと吸い込まれてゆく。妖と敵対する一族に生まれ育った紗柄には、其処まで言われれば男の正体が判ってしまう。

「妖王、か?」

 男が微笑で応えると、紗柄は即座に腰の剣を抜いた。彼から感じ取れる妖力は膨大で、かつて対峙してきたどの妖族よりも底深い。だが光龍である彼女には、戦わなくて良い理由は欠片も無かった。

「見掛けに依らず威勢が良いな」

 己の鼻先へ剣を向けられても、妖王は巨石に座したまま動こうとしない。武器も持っていないらしく、傍目からは無防備にしか見えない。

「おまえが妖王なら、光龍を前にして何故闘おうとしない。私はおまえの一族を滅ぼす巫女だぞ」

 人の子である紗柄からすれば、自然な問いであった。いにしえより伝えられる妖王と言えば、全ての妖たちの父である。子を殺す人間を、父親が放っておくとは思えない。

「光龍だと? おまえが?」

 妖魅ようみの王が返したのは、敵意ではなく嘲りであった。

「おまえは未だ、真の光龍と為っていない」

 光龍として生きて来た紗柄には、予想だに出来ぬ言に何も返せない。口を開けて閉じられぬ彼女を、暫し面白そうに見ていた妖王は、やがて其の意を教えてやった。

「天帝から賜った神光を開いて初めて、光龍は真の巫女と為る。俺から見れば、おまえなど只の小娘と同じだ」

 左様な話を、紗柄は誰からも聞いていない。今の紗柄など恐るるに足らぬという侮辱よりも、伸び代が残されているという指摘の方が、より鋭く胸に刺さった。

 十歳手前にして、妖を狩る者と為った紗柄だが、標的を仕損じた例など一度、二度しか無い。討ち漏らし、或るいは出遅れて誰かが妖に襲われれば、決まって紗柄の所為せいにされる。天から降った巫女が居ながら、何故救えなかったのか、何故防げなかったのかとなじられる。最近は、天変地異に因る不幸さえも紗柄の未熟さゆえとそしられてしまう。

 里の者の不満は、紗柄の両親に投げられる。彼らは他に手も無く紗柄を叱り、間近で見ている兄弟たちも紗柄を罵る。完全無欠でない神巫女など悪と同じ、悪よりも罪業深いと責め抜く。

「光を開けば、もっと強く為れるのか。悲しいことを言われなく為るか」

 質素な暮らし向きで、狭い家の中では涙も流せなかった。何時しか子供らしい振る舞いをしなく為っていたが、感情を失くしたわけではない。もっと、より強く為れば、文句の付けようの無い光龍と為れば、屹度きっと世界は変わるとの光明が差していた。

 孤独な少女の胸中など見透かして、妖王は彼女の幼い希望を受け入れ、肯定してやる。

「くだらぬ俗世のしがらみなどには、ず無縁と為るだろう。村人たちや父母、兄弟も、おまえの神威を前に口出し出来なく為るだろうな」

 告げられた時、紗柄は我知らず、妖王へ突き付けた剣を下ろしていた。

――そう為れば、父上や母上は、もっと笑ってくれるだろうか。

 兄弟たちには惜しげも無く与える尊いものを、己も手に出来るかもしれない。他愛も無い、無垢なる願いなれど、紗柄にとっては得難い褒賞である。

如何どうすれば良い。如何すればそう為れる」

「『開光』には犠牲を要する。真の神巫女に為るには、相応ふさわしい対価を支払わねばならない」

「犠牲?」

 続きをせがみ、大きな瞳を輝かせる紗柄に、妖王は口のを上げた。

じきに分かる。俺が教えてやろう」

 優しい声音を使い、同情や慈悲までも見せ掛けて頬笑み、手招きする。迷わず歩み出た紗柄は、差し伸べられた手を取ろうとするが、寸手の所で我に返り止まった。

「其れから、もう一つ」

 意に介さぬ妖王は、紗柄から目を逸らして視線を横へ流す。示された先、十歩ほど離れた先に、白光を放つ剣が突き立てられていた。

 柄頭つかがしらは真紅の玉で飾られ、柄は黄金、刀身は白銀に煌めく。霧中の森で、灰色をした土の台座に刺さる其の剣のみが、清かな神聖さを解き放っている。

「あの剣を持て。開光するのに必要なものだ」

 彼の御剣が、一人目の光龍が天より賜りし神剣『天陽てんよう』だと、紗柄に教えた者は居ない。しかし、彼女は確信していた。あれは己こそが持つべき剣なのだと。あの剣を振るえるのは、神巫女の宿を継ぐ己だけなのだと。

 剣が放つ、魂に響く清音に聞き入り、威容に見入る。ややあって、紗柄は我に返った。

「光龍の剣を、何故妖王が持っている」

「可愛いおまえのために、運んで来てやっただけさ」

 片頬に笑む妖王には、真面目に答える積もりが無いらしい。

「何故、私に力を貸す」

 此の男の言う通りにして『開光』が実現するのなら、紗柄はより多くの非天を狩るだろう。妖王が同族意識の低い冷淡な男とはいえ、彼を王とする妖異を滅せられて喜ぶとは思えない。

「光龍は五百年に一度しか現れぬ。貴重な暇潰しに為るからな」

 紗柄にとっては到底解せない論理であったが、そもそも理解せずとも良い相手であるのを思い出した。怪訝な目を細め、取れと言われた剣と彼とを交互に見やる。

「俺を疑おうが、おまえが真に光龍と為るべき者なら、あの剣が本物であるのは判るはず。如何するかは、おまえの自由だ」

 挑発し、試そうとする妖王の策略が、純粋な紗柄を容易く手繰り寄せる。猜疑を募らせながらも、使命に直向きな幼い巫女は、強さを求める貪婪どんらんな好奇心には勝てなかった。

「其の剣は、おまえに眠る記憶を呼び起こす」

 剣へと歩き出していた紗柄は、後ろの妖王を肩越しに見た。

「前世を生きた巫女に呑まれるか、呑み込むか。いずれにせよ、其の剣はおまえを変える」

 意味深そうな含み笑いを浮かべたまま、妖王は迷える紗柄を送り出す。もはや引き返せず、引き返す気も無い彼女は、最後にもう一度敵を睨まえてから、己の宿へと挑んで行った。

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