踊る地下室
万葉が美術教師に地下室に閉じ込められて、今から絵を描きなさいと言ったのは彼女が小学生の時だった。地下室は石造りで何もない。キャンバスも画架も絵筆も何もなかった。どうやって絵を描けばいいのですか、と鉄格子の外の教師に問うたら、そこにいる人にお聞きなさいと言った。万葉が振り向くと、地下室の中に彼は立っていた。
彼は常に目から赤い色の液体を流していた。それは何ですか、と万葉が尋ねると、これは赤い色の絵の具ですと言った。続いて彼の耳からは青い液体が流れているので、それは何ですかと尋ねると、青い絵の具だと答えた。彼には指がなかった。代わりに、指の付け根の位置から筆が生えていて、その五本の筆を、自分の目元や耳に押し当てて絵の具を付け、絵を描くらしい。しかしキャンバスがない。どうやって絵を描くのだろうと見つめていると、男は空中に筆で何かをなぞるような素振りをした。
すると、何もなかった空中から唐突にバレリーナが現れ、狭い地下室の中で回転し始めたのだった。黒いバレリーナで、彼女の口は何かの鳥類の嘴のようだった。男は唐突に自分の指の部分にあった筆を壁に叩きつけて折り、やったぞと言った。
鉄格子の外から美術教師がやってきて、男と抱き合った。やったやったやったぞ、と言い合った。どういうことだろうと万葉がバレリーナを見つめていると、バレリーナは回転しながら嘴を動かして万葉にこう答えた。二人は夫婦で、この地下室で昔亡くなった娘の絵を新しく描こうとしていたのです。そしてようやく描きあがったのが私なのですよ。なるほど、この男と美術教師は夫婦で、娘のバレリーナをこの地下室で絵に書くことで復活させたということか。そうなると、あなたが娘さんなのですね? と万葉が頷くと、バレリーナは首を振った。いいえ、私はこの二人の娘ではありませんよ。万葉は首を傾げた。
男と美術教師は熱い抱擁を交わして、そして接吻を交わして、身体を抱き寄せたまま地下室を出ていった。
ここには万葉とバレリーナだけが残っていた。
あなたは誰ですか。
万葉が問うと、嘴で壁を突き始めた。細い穴が開いた。覗いてごらんなさいと言った。万葉が壁に手を添えて、壁に開いた穴に目を近づけ、向こう側を覗いた。向こう側にももう一つ部屋があるようだった。万葉は目を見開いた。向こう側の部屋では、白いバレリーナが筆を持って、先ほどの男と美術教師をめったざしにしていたのである。二人とも全裸だった。白いバレリーナはこちらの黒いバレリーナとは違って、口はきちんと人間の口をしていた。赤い口紅が不敵に笑っている。そして、白いバレリーナは時折男の目から絵の具をさらい、筆で美術教師の肌に言葉を書きなぐった。恨み言だった。なぜ殺した、なぜ殺した、なぜ殺した。なぜ死なせた。なぜ、なぜ、なぜ。そんな言葉を、赤い絵の具でひたすら美術教師の肌に筆で書き綴っていた。男は許してくださいと言ったが、白いバレリーナは許してあげるから、そこで踊りなさいと言った。血だらけの体で男は踊った。拙い踊りだった。白いバレリーナは、そんな踊りでは駄目だとお母様は言いましたと言って、筆で男のへそを突き刺した。そこから新しく緑色の液体が流れ出て、それを白いバレリーナはやはり筆に付け、緑色で美術教師の肌に呪いの言葉を書いた。それが何度も繰り返されていた。
これはなんですか、とようやっとこちら側の黒いバレリーナを見て万葉は言った。男と美術教師の間に生まれた子どもは、××××だったのです。それで、踊りもままならなかった。出来そこないの踊り子です。ですから首を絞めて都市から六里あたりの山脈にある地下室に閉じ込めて殺しました。けれど、どうしてもきちんと踊ることのできる娘が欲しい。だからああして新しい娘を生み出そうとしていたのです。でも、当然殺された彼女はそれでいいはずがありませんから、それに怒って土をあばき、二人の前に再び現れて、ああして踊らせているのです。白いバレリーナの笑い声は、小さな穴を通して響いていた。では、あなたは誰ですか? と万葉が黒いバレリーナに聞いた。
黒いバレリーナは、もし死んでいなければ、いつかあなたと踊った私ですと言った。もう首が折れて踊れません。死んだ私は、二人が復活させた子として再びここに現れる時、二つに分かれました。そして呪いはあちらに、理性はこちらに。そうしてあなたを探しました。ようやく会えましたね。以前もお見かけしたのに、見失ってしまって……私はどれほど泣いたことか。ねえ、踊ってくださらない? 踊ってくださらない? 踊ってくださらない? バレリーナの嘴が、ことんと床に落下した。
万葉は黒いバレリーナと手を合わせて踊った。一晩中踊った頃、いつの間にか黒いバレリーナは消えていて、万葉は一人で踊っていた。向こう側はどうなっただろうと思い、先ほどの穴をもう一度覗いた。向こう側で誰かが瞬きをした。万葉は傍に落ちていた嘴でその穴を穿ち、鉄格子の外にいた美術教師に出してくださいと言った。美術教師は首の下にある口を動かして、万葉に言った。
ええ、あなたを探している人がいるの。とても素敵な人よ、早く出なさい。