讃美歌の墓
万葉の友人に、聖グレイノ協会の女がいた。
グレイノ・ルクレツィア・ティハーセンは明治に日本へやってきた宗教者兼声楽家だった。そこで日本文化を学んだ後、和歌や詩を嗜む会合に参加して、しばらく日本語での作詞作曲に勤しんだ。彼女の作る曲は何らかの詩的で宗教的な魔力を秘めていたようで、聴く者を虜にし、いつの間にかその短歌会を始まりとして、グレイノを教祖とする宗教団体にまで発展していた。そんなグレイノがたどたどしい日本語で作り上げた讃美歌が以下のものであり、万葉の友人の女はそれをよく口ずさんでいた。
しずかな宵に あなたを想って
言葉はいつか 沈んでゆきましょう
神よ おそれるものなど わたしにありましょうか
あなたは いつまでも お綺麗ね
うつくしい朝に あなたを想って
言葉もいつか 浮かんでゆきましょう
神よ よろこばしいものなど わたしにありましょうか
あなたは いつからか お綺麗ね
万葉が高校生の頃にその女はよく万葉にその歌を聴かせていた。どう、お綺麗でしょう、お綺麗でしょう? とよく万葉に問いかけていた。歌詞にも綺麗とあって、そして歌った者まで皆口をそろえてこの歌自体も綺麗でしょうとにこやかに言うのが不思議だった。女は毎週土曜日に集会所に行ってグレイノに祈りを捧げていた。
万葉も一度だけ誘われて集会所に行ったことがある。讃美歌を一生懸命に歌っている中、祭壇の上に白装束の女性が座っているのが見えた。綺麗な女性だった。彼女はこちらに気付くと、いつの間にか後ろに立っていて、万葉の口に指を入れて、無理やり奥歯を捩じ切り奪い取った。万葉は項垂れて口から血を吐いたが、女性はその奥歯をまるで菓子のように食べ始め、美味しいわと言った。女性はそれから万葉の歯を全て指でちぎり食べた。万葉は逃げ出したかったが、身体が拘束されたように固く動けなかった。万葉の歯が全てなくなると、女性は万葉に一冊の本を差し出して、歌いましょうと言った。
万葉は口の中がままならないので断ると、女性はひどく残念そうな顔をした。あらそう、ここの皆さんは歯を抜き取られるのが気持ちよくてたまらないからこうして歌っているというのに、こうして私に祈りを捧げているというのに、あなたは、あなたは不思議な人ですねえと言った。それから時間が経って友人の女が、さて帰ろうねえと万葉に言った。よく見れば歯がなかった。歯がないのにどうして喋れるのか不思議だったが、深くは考えないことにした。
それから六週間後に、万葉は――歯は全て生え変わった――再び友人と共に集会場へ向かった。もう一度行く理由はなかったが、万葉の家に葉書がやってきたからだった。そこには、例の讃美歌の歌詞が書かれ、その下にお待ちしていますという文字が百幾数回書かれてあったからだ。万葉はその日人に会う予定があったが電報を入れて断り、その友人と集会場へ行った。
いつものように祭壇にあの女がいて、信者たちが参列して歌を歌い、祈りを捧げ始めた。万葉はその後ろの方に立ってぼんやりと見つめていた。女はゆっくりとこちらにやってきて、万葉の口に指を入れようとした。万葉は一度口の中に指の侵入を許したが、舌の上辺りにその指がやってきた時、思いきり顎を使って女の指を噛み千切ってやった。女は狼狽えて、ゆっくりと後ろに倒れた。
すると信者たちが一斉に騒ぎだし、女の元へ集った。誰もが苦悶の表情に顔を歪めて、頭を抱え、吐血し、嘔吐した。信者の中の一人が包丁を取り出すと、万葉の首を切った。万葉は悲鳴も上げずに倒れて、女に重なった。友人の女がそれから鉈を取り出して、万葉を女ごと上から何度も殴打して切りつけた。信者の一人が鉄砲を取り出すと、万葉の耳に一発、両目に一発、それから口に一発撃ち込み、別の信者はマッチで火を作り、万葉と女を共に燃やし尽くした。
燃える火の中で、女は万葉に言った。
あなたはいつまでもお綺麗ね。