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理不尽な世界の中と外  作者: 揺籠
2/4

もう一つの日本

失敗した。

完全なる失敗。

僕は彼女を助けることができなかった。

何も変わらなかった。

記憶の通り進行した。

最後の最後で迷ってしまった。

躊躇ってしまった。

これは何も知らなかった僕が意気揚々と過去の時間線へ旅立った後の話。

彼女との約束を破った。

そんな話。

先に知っておいて欲しい。

これは僕の話であり、春野七草(はるのななくさ)の物語でもある。

僕はただの脇役で七草が主役。

七草の記憶から彼女の目線で語るのもアリだけど、僕の話に彼女の記憶を交えながらの話をしよう。

話は二年前に遡る。





まるで時間を遡っているようだった。

いろいろな思い出が通りすぎて行く。

八谷咲(はちやさき)とキスをした。

陽木礼希(ひぎらいき)のテロをハッタリだけで止めた。

八谷咲に告白して恋人になった。

千歳美亜(ちとせみあ)に告白されて断った。

陽木礼希と美亜のことで衝突した。

八谷咲と遊園地で遊んだ。

千歳美亜とデートした。

千歳美亜と仲直りした。

そして四月九日より後になると景色がガラリと変わる。

時間線が変わった。

日本が終わる。

八谷咲が死んだ。

両親が死んだ。

陽木礼希が死んだ。

学校のみんなが死んだ。

その他の大勢が死んだ。

建物が崩壊する。

社会が崩壊する。

最初の爆発が起こる。

それ以上にさらに巻き戻る。

そしてある一点でその時間線が前に移る。

その日にちは四月十二日だった。

時間線が変わる。

目指していた時間線に到着した。




ーーーーー20xx年四月一日(月)ーーーーー

この時間線の第一印象は最悪だった。

とにかく治安が悪い。

先に見ていなかったらもっと酷かっただろう。

とはいえ最悪より酷いってどんなのだろうか?

道を歩いている人はみんな例外なくボロボロな服を着て、風呂に入っていないのか身体が随分汚れていた。

そこらじゅうにゴミが落ちていて建物も今にも崩れそうな物ばかり。

空は厚い雲に覆われ、空気は荒んでいた。

まるであの時の日本が終わったあの日のようだった。

「酷いな」

つい口をつく。

慌てて周りを確かめるが、幸い誰も聞こえていないらしく無反応だった。

でも実際これはもう『終わっている』という言葉がぴったりだ。

春野七草(はるのななくさ)は本当にこんなとこで暮らしていたんだな。

とりあえずはロードワークだ。

記憶としての土地勘は七草に貰っているけれどやっぱり自分で一度歩いた方がいい。

ただ、七草の記憶が正しいならこの町の人間は大体危険だ。

何せ社会が崩壊しているから法律も何もない。

というか取り締まる警察が昼から酒を飲んで機能していない。

無駄に問題は起こせないということだ。

そういえば夢から直接来たけど、この身体ってどうなってるんだろう?

あちこち触ってみると普通に触れる。

ここは夢としての世界なのだろうか?

それとも現実の世界なのだろうか?

どちらにしろ今は春野七草を止める事だけを考えよう。

まずは春野七草を探さないと。

当面の目標を決めて行動を始めようしたところで、

「うぉ!!」

いきなり誰かがぶつかって来た。

「すみません!」

可愛い女の子だった。

咲ちゃんという恋人がいなかったら運命を感じただろう。

というか

春野七草に似てる気がする。

日本人にしては珍しい銀の髪。

白い肌

顔の形

やっぱり春野七草に似てる。

「本当に大丈夫ですか?」

春野七草(仮)は僕にボディータッチをしながら怪我をしていないか確かめている。

「いや、本当に大丈夫ですから」

僕は咲ちゃんに対する罪悪感を覚えて彼女を引き剥がした。

「そうですか?では失礼します」

そう言って彼女は意外とあっさり去って行った。

「なんだったんだ?」

僕は彼女の背中を眺めながらそう思った。

そして気づく

「あ、名前聞くの忘れた」

僕は彼女を追いかけた。


ーーーーーーー春野七草サイドーーーーー

何あの人?

何にも持ってない。

結構綺麗な服を着てたから絶対金目の物持ってると思った。

なのに財布はおろかアクセサリーも携帯も持ってない。

まあ、もう関わることはないだろうからいいしあの男がどうなろうと私には関係ない。

そんな情をかけていてはこの日本では生きていけないのだから。

私は収穫のないまま家に帰った。

「おかえりななちゃん」

声をかけたのは春野静香(はるのしずか)

私のお母さんだ。

居間でお茶を飲んでいる。

父親はいない。

私が小さい時に逃げたらしい。

「お姉ちゃんおかえり〜」

妹の春野里穂(はるのりほ)が台所から出てくる。

こんな社会でも元気に生きている可愛い妹だ。

海外では二階建ての家が当たり前で治安も安定しているらしいけど、私の家は日本独特の家だ。

日本における普通の家は一階建てで木でできた家。

それに治安の悪さもすごい。

盗み、喧嘩、殺しは当たり前。

この日本で生きるなら死に物狂いで生きるしかないし、人を信用してはいけない。

そこでさっきの少年を思い出す。

外で金目の物も護身用道具も何も持っていない平和ボケしている少年。

歳はきっと私とそう離れていない。

どうしたらあんな無防備に居られるのだろう?

「え?ちょっと、何?君達」

「うるせー。さっさと金出せって言ってんだよ!」

「いや、本当にそういうの持ってないから、むしろ欲しいくらいだから」

外から声がする。

人のうちの前で喝上げとかやめて欲しい。

「ちょっと行ってくる」

お母さんも妹も私がスリをしていることは知らないけど、喧嘩が強いことは知っている。

お母さんには女の子らしくないから喧嘩はやめろと言われている。

だがお母さんも誰かを守る時の暴力は許容していた。

「ななちゃん気をつけてね?」

「うん」

私は外で騒いでいる連中を黙らせに行った。




ーーーーーー遠藤孝サイドーーーーーー

いやまさか彼女を追いかけていたら、こんなチンピラ五人に絡まれるとは思いもしなかった。

リーダーらしいスキンヘッドの男が僕に絡んできたのだ。

目立たないようにしていたつもりなのにどうしてだろう。

あいにく財布を持ち合わせていないため彼らの要求に応えることはできない。

ここでは多分警察も役に立たないだろうしどうしたらいいのだろうか?

「とにかく、僕はお金は持ってない。一文無しなんだよ」

「いい度胸だ。言っとくがこれは金を出さなかったお前が悪いんだからな」

と理解不能な理屈を並べ指の関節を鳴らすチンピラ。

ああ、いくらテロを止めたとはいえ僕は喧嘩弱いんだったな。

もう半ば諦め、殴られるのを待っていたその時

「人のうちの前でうるさい。

どこか違うところでやってよね」

女の子の声が聞こえた。

見るとさっきの春野七草(仮)がそこにいた。

「なんだテメーは?邪魔すんならテメーからヤっちまうぞ?

どういう意味での発言だろう?

まあとにかく標的が彼女に移りそうだったので、

「女の子にヤっちまうぞって、いったいどういう意味の発言なんだ?教えてくれよ。ピンポン球」

言った。

「んだとテメーこの野郎!!」

あ、これはもう殺されるかな?

と冷静に考えられた。

口実戦は得意中の得意だ。

早く逃げろと少女に目を配ると

「はぁ、せっかく助けてあげようと思ったのに何してんのよ?」

と呆れていた。

呆れながらピンポン球をぶん殴っていた。

「・・・・・・・え?」

唖然。

ピンポン球は痙攣した後動かなくなった。

「なな、なんなんだお前!」

チンピラの一人が聞く。

リーダーがやられて焦ったらしい。

すごく怯えている。

「私の名前は春野七草。覚えなくてもいいわよ?」

それを聞いたチンピラどもは

「春野七草って言えばあの女王春野のことか!?」

「逃げろ!?」

チンピラどもは逃げて行った。

ていうか女王?

なにそれ?

夢に出ていた春野七草はこんなのだったっけ?

いや、違う。

断じて違う。

もっと大人しい女の子だったはずなんだけどなぁ〜。

夢の中の春野七草のイメージがぶっ壊れた瞬間だった。



ーーーーー春野七草サイドーーーーーー

女王なんて変なあだ名がついてどのくらい経っただろう?

もう覚えていない。

それよりも何この男。

さっきの無防備男だよね。

まさかついてきた?

さっきの行動を見ると私のことを知らないらしい。

でも、さっきの行動は明らかに私を守ろうとしての行動だった。

バカなのこいつ。

この世の中でああいい行動をとる人間はいない。

みんな自分が大事だからだ。

私だって家族意外を助ける気はない。

今回だってあの後あいつらがついでにうちに入ってこないように追い払っただけ。

その結果こいつを助けただけだ。

なのにこいつは無条件で私を助けようとした?

それとも罠?

何にせよ何を考えているかわからない。

それにさっきからなんで私を信じられないものを見るような目で見るの?

「なに?」

私は少年を睨み言う。

少年は

「やっぱりこんなじゃなかった」

なんてまるで私を知っているような事を言う。

「いや、なんでもない。ただの人違いだった」

「人違いねぇ?」

「そうそう、名前が同じで容姿も似てるけどこんなに暴力的じゃなかった」

「暴力的ってなによ?人に助けてもらっておいて」

「うん、そのことには本当に感謝してる。それにあれだけ強いなら助けようとする必要もなかったみたいだし」

「で、知り合いに似てたからついてきたわけ?」

「まあ、そうかな」

どうやらそれだけらしい。

嘘をついている目ではない。

「あなたどこから来たの?外国から?」

「えっと〜」

「言えない場所なの?」

「いや、そういうわけじゃなくて」

「じゃあどういうわけなの?」

「信じてもらえないだろうから」

信じてもらえない?

なに?

本当にどこから来たの?

もしかして宇宙人!?

そんなわけないでしょ!

ってなんでも一人コントやっているんだか。

「ならいいわよ別に。そんなに気になっているわけじゃないから」

嘘だった。

めちゃくちゃ気になる。

「それは助かるよ」

笑顔で言われた。

その笑顔に一瞬ドキリとする。

「い、今更だけど私の名前は春野七草。あなたは?」

「僕は遠藤孝。よろしく」

よろしく?

何がよろしくなの?

これから私こいつとよろしくするの?

ないない!

絶対ない!

ありえない!

ていうかなんで手を出してるの?

お金よこせって意味?

「私はよろしくするつもりはないんだけど」

冷たく突き放す。

でも内心テンパっていた。

だってみんな私から逃げるから男の子と普通に話したことなんてないもん。

なんて自分に言い訳していた。

「そうか?じゃあ仕方ないな」

私の葛藤も知らず簡単に話を流す遠藤という男。

なぜか普通にイラついた。

「簡単に引き下がらないでよ!」

「どっちなんだよ!」

もうどうしたいのか自分にもわからない。

気付いたら私は妙なことを口走っていた。

「あなた家はどこ?送って行くけど」

すでにあたりは暗くなっており帰ってもらうのはわかるけど、なんで送るなんて口走ってるの?私!!

「あぁぁぁ!!!!しまったぁぁ!!」

遠藤が急に大声を出す。

「何!?どうしたの?」

びっくりした。

急に大声を出さないでほしい。

というか人ん家の前で騒ぐな!

だでも、驚きは続く

「どこで寝起きすればいいんだぁぁぁぁぁぁぁ!」

まさかの宿無しだった。

送って行くも何もない。

まさか金なし

連絡手段無し

それに加え家が無しとは。

「どうするつもり?」

「野宿しかないな。宿は明日探そう。って金がない!!」

大変そうだった。

よくこんなので生きてこられたものだ。

「野宿なんて自殺行為だし、この世の中で見ず知らずの人を泊める人なんていない。もしいたとしたら金品持っていかれるわよ。ってあなた金品持ってなかったわね」

「うっ」

「はぁ〜、しょうがないからお母さんに頼んであげるわよ」

言って気づく。

何言ってんのわたしぃぃぃ!!!!

なんであんなこと言ったの?

言ってしまった手前やっぱりなんて言えない。

さっきから遠藤相手だと自分がおかしくなる。

するといきなり手を握られた。

「ひゃっ!」

びっくりして変な声が出た。

何するつもりなのかと思うと

「ありがとう!助かった」

感謝された。

ありがとうなんて今まで家族にしか言われなかった言葉だ。

不思議と嬉しい気持ちになる。

多分今の私の顔は相当赤いだろう。

「じゃあついてきて」

顔を見られたくなくて、もしくは見ていたくなくて顔を背けながら言う。

少なくとも私はこの遠藤孝という男が信用できると思った。



ーーーーーー遠藤孝サイドーーーーーー

僕は今春野七草の母親春野静香さんの目の前にいる。

横にいる子は妹さんだろうか?

中学生くらいの女の子がこちらをじっと見つめている。

僕の隣には春野七草が座っている。

これから裁判でも始まるのだろうか?

「お母さんとしてはねななちゃんがお友達をしかも男の子を連れてくることはとても嬉しいわ。でも、遠藤くん?はこんな狭い家でもいいの?」

どうやら静香さんはいい人そうだ。

「はい、正直助かります。こっちに来たはいいけど宿が無くて・・・」

最初にそれをどうするか決めるべきだった。

そういえば、春野七草の記憶でも家に誰か泊めていた。

確かそいつがいずれ春野七草の恋人になる人間だったはずだ。

ならそのうちそいつに会うこともあるだろう。

でも、なんで記憶の中に恋人についての記憶がなかったのだろう。

何度思い出しても恋人の名前はおろか顔すら見ることができない。

一体何者なんだ?

「ちょっと聞いてる?」

「うわ!」

いきなり目の前に春野七草の顔が現れる。

「うわ!とは失礼ね。それよりあなたを泊めることに決定したわよ」

「本当にいいのか?僕としては嬉しいけど生活が大変になるんじゃない?」

「まあ、一人くらい増えても大丈夫よ。それにあなたにも働いてもらうしね」

まあ普通そうだろう。

それで泊まれるのならよろこん働いてやろう。

「仕事は明日からだけど、今日はもう休みましょう」

「そうね。そうしましょう」

「うん」

春野七草の提案を飲む静香さんと僕を観察するのをやめた妹さん。

「あなたは私と同じ部屋ね」

「え?」

私と同じ部屋?

つまり女の子と同じ部屋で寝るの!?

「いやいやいやいや。僕はここでいいよ。第一女の子と同じ部屋っていろいろまずい気がするんだけど!?」

「大丈夫よななちゃん強いから。でも意外と押しに弱いのよね〜」

と静香さん

「ひゅうひゅう、お姉ちゃんだいた〜ん」

冷やかす妹さん。

「そんなじゃないってば!私はただ遠藤を監視するために言っただけなの!」

「で、本音は?」

「別にないってば!」

春野七草は怒りながら頬を染めている。

さっきに比べると声のトーンも高くなっている。

多分普段はこのくらいのトーンで話しているのだろう。

どんなに強くても家族の前ではただの可愛い女の子だった。

「何見てるのよ!」

「え?いや、普通に可愛いなと」

「なっ!かわかわかわかわ」

急に春野七草は『かわ』しか言わなくなった。

「お姉ちゃんをあんな風にするなんて・・・。お兄さん何者!?」

妹さんがわざとらしく驚いている。

「あらあら、ななちゃん動揺してる」

「し、してない!」

見方であるはずの家族の裏切りに戸惑う彼女は普通に可愛い。

思わず見惚れてしまう。

どれだけ見惚れていただろうか?

数分だったか一瞬だったかはわからない。

でも、僕は一瞬で恐怖した。

目の前に広がる楽しい光景にではない。

自分自身に。

いや、気づいたその事実にだろう。

今一瞬、咲ちゃんのことを忘れていた。

誰よりも好きで、誰よりも愛しているはずの咲ちゃんのことを忘れてしまっていた。

「遠藤、どうしたの?」

顔に出ていたのだろうか?

顔を上げると三人が心配そうに僕を見ていた。

「いや、なんでもないよ」

僕は適当に誤魔化した。



ーーーーーー春野七草サイドーーーーー

楽しい団欒の後私たちはそれぞれの部屋に帰った。

今日は私の部屋にもう一人いる。

遠藤孝という男だ。

正直なところ、私はもう遠藤を疑っていない。

それなのにあえて私は自分の部屋に招いた。

理由はわからない。

ただなんとなく彼と一緒にいたいと思った。

それにしてもさっきの遠藤はおかしかった。

なんというか顔が真っ青になっていた。

本人はなんでもないと言っていたけれど絶対何かある。

一体今目の前にいるこの少年は何を抱えているのだろう?

「ねぇ、遠藤はどうしてこんな所に来たの?」

私は目の前で布団を敷いている少年に話しかける。

なんでこんな治安の悪い国に来たのか不思議で仕方なかった。

「そうだな〜、詳しくは言えないけど、一言で言うのなら人助け」

「人助け?」

「そう。ある場所に閉じ込められている娘を助けるためにここに来た」

「どこから?」

さっきの質問をもう一度した。

彼は少し困った顔をしてから

「遠い所にだな。ここからずっと遠くから来た」

「一人を助けるために?」

「そう」

語る彼は遠い目をしていた。

「もう寝よう」

遠藤はそう言うと布団にもぐる。

私も布団に入る。

「お休みなさい」

聞こえているかはわからないけれどそう言って私は眠りについた。



ーーーーー七月一日(月)ーーーーーーー

ーーーーー遠藤孝サイドーーーーーーー

こちらの時間線に来て三ヶ月が経過した。

僕も今では立派な働き手。

とはいかない。

今でもミスをして怒られることが多い。

「遠藤、こっち手伝って〜」

七草が呼ぶ。

僕と彼女もだいぶ仲良くなった。

今では僕は彼女を春野七草とフルネームで呼んでいたのが懐かしい。

「今行く!」

僕は七草を手伝いに向かった。

こっちに学校はない。

だから子供も大人もみんな働いている。

一応金融機関はまともに動いているらしく働けばお金がもらえる。

でも給料は安い。

時給九十円程度しかもらえない。

向こうの時給とえらい違いだ。

僕も一日だけどバイトをした。

・・・あれ?

なんて店だっけ?

確か通っていた気がするんだけど・・・。

なんで通っていたんだっけ?

こっちに来てから向こうの記憶が曖昧になっている。

今ではまるで向こうの生活がただの夢のような気さえしている。

そのせいだろうか。忘れていく危機感がない。

忘れたくないはずなのに上手く思い出せない。

「ちょっと、しっかり持ってよ!」

七草が文句を言う。

おっといけない。

タンスを持っているのに考え事をして力が抜けていたらしい。

そういえば何を考えていたんだろう?

まるでさっきまでの思考のみを切り抜いたようにすっぽり忘れていた。




ーーーーーーー春野七草サイドーーーーー

「はい、お弁当」

「ありがとう」

休憩時間になった。

ここ三ヶ月遠藤は一生懸命仕事していた。

しかもその給料を全額うちに入れてくれる。

私にとって彼はもう家族同然だった。

でも未だに彼の抱えているものがわからない。

最初のうちは遠い目をしているのを何度も目撃したが、最近はたまにしかない。

三ヶ月で彼の性格とかは掴めたが、その遠い目の理由はさっぱりだ。

隣で私が作ったお弁当を美味しそうに食べる彼の姿を見ると無性に嬉しくなる。

本当に遠藤が来てからの私はおかしい。

褒められると嬉しいし、

仕事仲間といえども他の女の子と話をしているのを見るとイライラするし、

笑いかけられると胸が苦しくなる。

病院かと思ってお母さんに聞いたら

「そっか、確かに病気ね。でもいい病気よ。そっか、ななちゃんもそんな年頃なのね」

と感心していた。

いい病気ってなに!

それを教えて欲しいのに。

「大丈夫か七草?」

「わきゃっ!!」

「うわっ!」

「驚かせないでよ!」

「ごめん」

本当にびっくりした。

わきゃっ!とか言って驚いてしまった。

恥ずかしい。

「で、何?」

「いや、なんかボートしてたから大丈夫かって思って」

「そっか、ごめんね心配かけて」

いつの間にか彼の弁当は空になっていた。

「今日も美味しかったよ」

「ど、どうもありがとう」

まただ。

笑顔を向けられると胸が苦しくなる。

でも不思議と不快じゃない。

誰か教えてよ〜。



ーーーーーー遠藤孝サイドーーーーーー

最近七草の様子がおかしい。

どうおかしいのかといえば、人の顔を見るなりそっぽを向いたり、いきなり赤くなったりと意味がわからない。

本人は何でもないと言っているがなんでもなくないことはよくわかる。

でもまあ、そんな姿が可愛いと思う。

少なくとも前みたいな無愛想な態度よりよっぽど好ましい。

それと一番の変化はよく笑うようになった。

彼女の内心で一体何があったかはわからない。

彼女が女王なんて呼ばれていたのが嘘みたいだった。


家に帰ると静香さんが倒れていた。

その事実を理解するのにそう時間はかからなかった。

「お兄さん、お姉さん!お母さんが、お母さんが!」

里穂ちゃんが静香さんの横にうずくまって泣いていた。

「お母さん?お母さん!」

七草もようやく状況を理解したらしく静香さん駆け寄る。

「大丈夫!?お母さん!」

七草が静香の体を揺するが反応はない。

僕もすぐに静香さんに駆け寄る。

まずは脈をとった。

まだ生きている。

「何やってるの?」

心配そうに見上げる姉妹にまだ間に合うことを伝えた。

「よかった。じゃあお医者さんに見せればまだ大丈夫なんだよね!」

里穂ちゃんは安心したのか少し表情が柔らかくなる。

「無理だよ」

七草はそうではないらしい。

というか今なんて言った?

「無理ってどういうこと?」

僕と同じことを思ったらしい里穂ちゃんが姉に聞いた。

「うちにはお金がない。だから治療できない」

「でも僕もお金入れてるから少し我慢すればなんとかなるんじゃないか?」

いくら何でもそんなにお金はかからないはずだ。

保険がおりれば払う金額は一気に少なくなるはず。

「治療代だけで三万円。薬代で安くて四万円。正直少しの我慢ではどうにもならない」

合計七万円確かに僕らの給料では途方も無い。

「保険には入ってないのか?保険金でいくらか軽減できるはず」

「ねえ『ほけん』って何?それでお母さん助けられるの?」

保険を知らない?

保険なんて日本に住んでいれば絶対に知っている言葉なのに。

そこまで考えて思い出す。

そうだった。

ここはそんなに優しい世界じゃあなかった。

そんなものあるはずがない。

「いや、ごめん。僕がいた所にしかなかった」

「・・・ちょっと出てくる」

「どこに行くんだよ?」

「お母さんは私が助けるから遠藤はお母さんを看てて」

「いいけど。助けるってどうするんだ?」

「大丈夫。じゃあ行ってくるね」

出て行く七草の表情は三ヶ月前の表情に戻っていた。



ーーーーーー春野七草サイドーーーーー

お母さんが倒れた。

だから決めたんだ。

遠藤が来てからやめていたスリを再開する。

もう夜と言っても差し支えない今の時間なら金持ちの男たちがうろうろしているのでそいつらを狙う。

私は早速標的を見つけてぶつかりに向かった。

まずはぶつかった時に懐から財布を取り出す。

もしそこになければ心配するフリをして体を触り金目のものを取る。

最初に遠藤にあった時にやった方法。

相手は三十代くらいの男。

三ヶ月くらいのブランクはどうってこともない。

私は男にぶつかった。

「あ、すみません」

懐に財布はない。

「ああ、大丈夫だよ?」

ニヤニヤと気持ち悪い顔で私を見る男。

「怪我はありませんか?」

次はボディーチェックに移る。

あった。

右のポケットに財布だ。

私はそれをバレないように左手で抜き取る。

「本当にすみませんでした」

長居は無用。

逃げようとしたその時

「ちょっと君?」

左腕を掴まれた。

財布を持っている方の腕だ。

「あの、何か?」

男はニヤニヤとしながら

「まさか君みたいな可愛い子がスリなんてするなんてね〜」

バレていた。

「バレないなんて思ってた?」

男は続ける。

「このことが家族に知られたらどうなるかな?」

やっぱりゆすってきた。

「どうすればいいかはわかってるよね?」

わかっている。

というか知っている。

一度スリに失敗した娘がいたけどその子はとてもひどいことをされたらしい。

「じゃあまずは脱いで」

まずはということはこれでは終わらないらしい。

でも里穂やお母さんには知られたくない。

私は上の服を脱ぐ。

その時一人の少年の顔が脳裏に浮かぶ。

遠藤孝だった。

三ヶ月前に知り合った。

それだけのはずなのに私の心を乱す。

彼のことを考えるだけで幸せな気持ちになる。

なのに今考えると悲しくなる。

「早く脱がなきゃバラしちゃうよ?」

今の私の格好は上半身下着で下半身には手をつけていない状態だ。

「それとも好きな男のことでも考えてるのかな?」

好きな男。

そっか。

そうだったんだ。

わかったよ。

私、遠藤が好なんだね。

「は〜や〜く〜。早く脱いでよ」

いやだ。

いやだ。

いやだ。

「いやだ」

「は?そんなこと言える立場なの?自分の立場わかってる?」

わかっている。

私は罪人で彼は被害者。

だからってビクビクするのは私じゃない。

「いつの間に私は女王って呼ばれなくなったんだっけ?」

「あ?」

多分遠藤がうちに来てからだ。

そして私がそう呼ばれていた理由

「はぁ!!!!!」

男に右腕でで殴りかかる。

そうだ。

私はこういう女だった。

お母さんに知られなければ暴力だって厭わない。

そんな女。

でも。

「いや〜焦った。まさかいきなり殴りかかるなんてね」

掴まれた。

止められた。

今度は左で

しかし止められる。

両腕掴まれる形になり押し倒される。

男はすぐに私の下着を脱がしにかかる。

「いや!やめて!」

「君が悪いんだろう?抵抗なんてするから」

抵抗も虚しく簡単に脱がされる。

「見ないで・・・」

腕を再び抑えられて手で胸を隠すこともできない。

涙が出る。

怖い。

視線が怖い。

何をされるのかわかるから怖い。

遠藤に知られるのが怖い。

「綺麗だね?もしかして初めて?」

何が初めてなのかあえて省いているようだ。

もういやだ。

知られたくないけど

助けて。

助けて遠藤!

「楽しそうですね」



ーーーーー遠藤孝サイドーーーーーー

僕は出て行った七草を探して夜の町を歩いていた。

静香さんは里穂ちゃんに任せてきた。

この町はいつ見ても荒れている。

まるで江戸時代の町並みだ。

とりあえず目撃情報を探そう。

目の前を歩く男性に声をかける。

だが情報は得られない。

それから何人かに聞いたがやっぱり情報は得られなかった。

全くどこへ行ったのか。

いくら七草が強いと言っても女の子一人では危ない時間だ。

もし七草に何かあれば僕は・・・。

僕は何だろう。

何か思い出しそうだったけれど今はそれどころではない。

「いや!やめて!」

聞いたことのある声が聞こえた。

というより今探している七草の声だった。

一体どこから聞こえた?

さっきの声の感じからしてかなりのピンチだとわかる。

落ち着け。

焦ってはいけない。

確か右のほうからだったはずだ。

僕は声のした方に走った。

人気のない路地裏に七草はいた。

上半身に何も着ず、男に押し倒されていた。

何故かその光景に怒りを覚える。

どこかで似たような感情を持った気もするが今は関係ない。

「楽しそうですね」

冷淡に言い放つ。

当然男に向けてだ。

何故か目を向く七草。

その時目にたまっていた涙がこぼれた。

男も僕に気がつくと七草から離れ、立ち上がる。

「なんだ君?」

「いや、楽しそうだなと思いまして」

「なら邪魔しないでくれるかな?僕はこの泥棒に制裁を下さないといけないんだから」

「ぷっ!泥棒?制裁?なんのことです?」

笑ってしまった。

七草が泥棒?

ないない。

七草がそんなことするわけないだろ。

何を言っているんだか。

「ほら君も言ってやりなよ。私は泥棒ですって」

七草に目を向ける男。

「嘘だよな?」

僕も七草に確認する。

「ごめん。本当なんだ」

予想外の答えを聞いた。

いや、きっとどこかで予想はしていたのかもしれない。

「何で?」

「だって、お金必要でしょう?」

顔に影が落ちる。

泣いているのかそれとも怯えているのか肩が震えている。

「七草」

僕は彼女の名前を呼ぶ。

「七草のした行為は確かに悪いことだ。その行為もした理由をなんとなく察している。

だから僕としては七草を怒るつもりはない。

ただし厳重注意はするけど」

「でも盗みは盗みだ。それとも君は犯罪を許容しているのか?」

男が口出しする。

「確かに犯罪だがこの日本で犯罪なんて今更だろ?」

「そういえば君はこの子のなんなんだい?」

「僕はただの居候さ。でも、もしこれ以上彼女を傷つけるのなら。僕は彼女のために人をも殺す」

もちろんハッタリ。

だがあくまで視線は鋭く、以前どこで見たかは覚えていないけど、誰かが僕に向けた視線で睨みつける。

「わ、わかった。もうこの子から手を引く。

だから物騒なことはやめよう」

「だったらさっさと立ち去れ」

「じゃあ失礼」

男は去っていった。

どこかの誰かのおかげだった。

「あのさ七草」

「な、にゃに!?」

何故かボーッとしていたためか噛んだ。

「まずは服を着てくれ」

「み、見るなぁ!!!!」

今更気付いて赤くなる。

少しして服を着た七草に話す。

「静香さんな、ただの疲労だよ。あれは」

話題を逸らそうと試みるが

「ふーん」

失敗。

「・・・・たとえ静香さんのためとはいえスリしてるなんて知ったら静香さん悲しむぞ?」

「そんなのわかってる。でも実際問題お金が必要なんだもん」

「多分静香さんは自分を助けるために七草が傷つきかけたって知ったら、七草がスリをしていたことより悲しむ」

「・・・・・」

「そして何より七草に何かあったら僕が悲しい」

「!?」

僕は七草を正面から抱きしめる。

それに驚いて七草の体がビクリと震えた。

「だから無茶しないでくれ」

「・・・・・・・・うん」

七草は頷いてくれた。



ーーーーー春野七草の記憶ーーーーーー

私は遠藤に連れられて家に帰った。

まださっきの感じが残っている。

力ずよくそれでいて優しく抱きしめられた。

なんだか頭がポーとして幸せな気分

やっぱり私は私は遠藤が好きなんだ。

居間でくつろいでいる遠藤に目をやる。

「なんだ?」

「なんでもない」

目が合ってしまった。

恥ずかしい。

顔から火が吹きそうだ。

「そういえばごはんどうしよ?」

お母さんが倒れた今、ごはんを作れる人はいない。

何か買うお金もない。

どうしよう?

「僕は別にいいよ?無しでも」

「私もいいけど、せめて里穂だけには食べさせないと」

「私も我慢する」

お母さんの看病をしていた里穂が戻ってきた。

「私も我慢できるよ」

「でも・・・・・」

どうしよう?

里穂は一度言い出すと強情になる。

「もう寝てしまえば問題ないだろ?」

予期せぬ救世主遠藤が提案する。

確かにもう寝てしまえばなんの問題もない。

「じゃあそうしよっか。里穂はお母さんと寝てあげて」

「うん」

「遠藤行こ」

「え?ちょっ!」

私に引っ張られ躓きながらも付いてくる。

正直もうこの気持ちを抑えられない。

お母さんがこんな時なのに私の心はは遠藤へ向いている。

多分この気持ちをなんとかしないと集中できない。

だから言おう。

私の気持ちを。

もう決めたから。

自分の部屋のドア開け、遠藤と部屋に入る。

「遠藤」

私は呼ぶ。

好きな人の名前を。

「なんだ?」

遠藤がこっちを向く。

そして私は遠藤に・・・



ーーーーー遠藤の物語ーーーーーーーー

七草にキスされた。

その唇はとても柔らかく熱かった。

「な、ななななな」

僕が混乱している間に彼女は離れた。

「何してんだよ!?」

「これが私の気持ちだよ?」

「え?」

「私は遠藤が好き。お付き合いしてください」

僕も七草が好きだ。

女の子として好きなんだ。

だから答えは

「うん」

だった。

なのにさっきから感じるよくわからない既視感と罪悪感。

何か大事なことを忘れている気がする。

とても大事なはずなのにわからない。

もういいや。

今は彼女の気持ちを受け取ろう。

「じゃあこれで晴れて恋人同士だね!」

嬉しそうにはしゃぐ七草。

でも僕はまた既視感を感じた。

「そうだ、これからは孝くんって呼んでいい?」

孝くん?

何だろうこの懐かしい響き。

ふと誰かの顔が浮かぶ。

一緒に遊園地に行った誰か。

あれは確か夢の中での事だったはず。

「ダメだった?」

声に顔を上げると七草が心配そそうに僕を見ていた。

不安なのだろう。

涙を目にたまって上目づかいの彼女はと彼女らしくなくて、そのギャップが可愛いかった。

「いや、いいよ。大丈夫」

「本当に!?」

途端にまた笑顔になる。

その笑顔に見惚れていたらさっきの違和感がいつの間にか消えていた。



ーーーーー春野七草の記憶ーーーーー

言っちゃった!

言っちゃったよ〜!!

とても恥ずかしかったし怖かったけど孝くんは私の気持ちを受け取ってくれた。

初めての恋人だった。

私は孝くんの寝顔を見ている。

私たちはいちゃついてから眠った。

今日は同じ布団で寝ている。

幸せだった。

お母さんが逃げたお父さんを好きになった時もこんな感じだったのかな?

なんて思いながら私も眠りに落ちた。




ーーーーーー九月十日ーーーーーーーー

ーーーーーー遠藤孝の物語ーーーーーー

僕と七草が恋人になって二ヶ月と少し。

最初の方こそあった違和感は完なくなってきていた。

静香さんが元気になったのもあるのか七草は以前に比べて僕によく甘えてくる。

どこかで誰かにそうされていた気もする。

きっと夢の話だろう。

僕の恋人は彼女が初めてで唯一だから。

「こう・・・・ん。孝くん!」

「なんだ?」

僕は隣で荷物を運んでいる恋人に聞く。

「え?私何も言ってないよ?」

七草はたまにお茶目な嘘をつく。

でも、そんな時は絶対に目を合わせない。

今は僕の瞳をしっかり見ている。

つまり

「ごめん多分空耳」

「そう?疲れたのなら言ってね?」

僕の体調を気遣ってくれる七草。

本当にいい子だと思う。

でもさっきの声は一体誰だったんだろう。

何か懐かしい気もするけど。

うまく記憶に鍵がかかったみたいに思い出せない。

何かがきっかけで思い出せる気はするんだけど。

まあ、いっか。

仕事に集中しよう。



ーーーーー春野七草の記憶ーーーーーー

今日の孝くんはおかしい。

なんども周りを見渡していて集中できていなかった。

疲れているのかな?

「孝くん、時間だよ。休憩しよう?」

孝くんは私を見ると頷いた。

先にお弁当を広げておこう。


「今日はどうしたの?」

お弁当を食べる手を止めて孝くんに聞く。

「大したことじゃないんだけど、呼ばれてる気がするんだ」

「呼ばれてる?誰に?」

「わからない。でもなんだか懐かしい感じなんだよ」

ふと思い出す。

懐かしいといえばあの質問にまだ答えてもらっていない。

「そういえば孝くんのいたところってどこなの?」

前のような疑いはない。

ただ彼のことが知りたくてした質問。

なのに彼は青くなっていた。

「どこから?僕はどこから来たんだ?目が覚めたらこの日本にいた」

独り言を続ける孝くん。

私は怖くなって彼の名前を呼ぶ。

「孝くん大丈夫!?孝くん!?」

反応はない。

ただブツブツと独り言を続けるだけ。

そして急に苦しみだした。

「僕は僕は僕は僕は!ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!」

そして孝くんは意識を失った。



ーーーーー遠藤孝の物語ーーーーーーー

暗い。

暗い。

暗い。

どこにも何もない。

僕は前も後ろもない空間にいた。

「なんだ?ここは」

返ってくる声はない。

とりあえず僕は歩き出した。


どれだけ歩いたかはわからないけど歩き続けた。

その時目の前にある光景が浮かぶ。

大きな建物でみんな同じ服を着ている。

椅子がたくさんあって向かう先に黒い板。

一人の少女が黒い板の前に立つ男に指名される。

少女は立ち上がり本を音読し始めた。

本に名前が書いてあった。

この少女は『千歳美亜(ちとせみあ)』というらしい。

なんだか懐かしい名前だ。

千歳美亜途中なんども一つの空席を見ている。

まるで愛しい人を見るような目でその空いた机と椅子を見ていた。

突然景色は移った。

右腕のないイケメンが左手で文字を書いて女の人に見せている。

女の人もそれを読んで本を一冊渡した。

話せないのだろうか?

女の人がおそらく彼の名前を呼んだのだろう。

ある名詞が聞き取れた。

『ひぎらいき』

字はわからない。

でも彼からも懐かしい感じがする。

イケメンは紙に何かを書き出す。

『孝はどうしてるかな?』

と。

孝。

僕の名前。

僕はこのイケメンを知っている。

そんな気がする。

また景色は移った。

『喫茶紅』と書かれた店。

その中で忙しそうに働く一人の少女。

僕や七草と同じくらいの年でとても可愛いらしい女の子。

名札には『八谷 (はちやさき)』と書いてあった。

八谷咲。

胸が高鳴る名前。

七草の名前を呼んだ時と似ている。

彼女もまたある席を見てため息をついた。

『今日は孝くん来てくれないのかな?』

彼女の言葉だった。

また『孝くん』。

さっきは『孝』

偶然か僕と同じ名前。

・・・・・・・・違う。

偶然じゃない。

僕はこの人たちを知っている。

この景色を知ってる。

そうだった。

なんで忘れていた?

こここそが、この景色こそが僕のいた世界。

その瞬間意識が引っ張られる。

僕は久しぶりに闇に落ちた。


「孝くん!?孝くんしっかりして!?」

この声は七草の声だ。

目を開けると七草が泣いていた。

「孝くん!?」

僕が目を覚ましたのを見て七草は嬉しそうな声を上げた。

周りを見るとそこは七草のそして僕の部屋だった。

「よかった。孝くんが死んじゃうのかと思った」

本当に心配をかけていたようだ。

そうだった。

記憶を取り戻した今、僕は彼女を傷つけるだろう。

いや傷つけなければいけない。

僕のために。

そして七草のために。

「七草、話があるんだ」

「何?」

僕の七草が好きな気持ちは変わらない。

でも言わなければいけない。

「別れよう」

「・・・・・・・・・・・え?」

笑顔のまま固まる七草。

「ま、またいつもの冗談だよね?そうでしょ?」

今にも泣き出しそうな表情。

「ごめん」

僕は残酷な一言を放つ。

七草は何も言わず立ち上がって走り出した。

その顔には涙が流れていた。



ーーーーーー春野七草の記憶ーーーーー

孝くんに別れようと言われた。

ただそれだけで涙が止まらない。

孝くんのことだきっと理由があるんだ。

わかっている。

わかっているけど、悲しみを抑えられない。

「七草!」

孝くんが追いついてきた。

逃げないと。

「逃げないで。話を聞いてる欲しいんだ」

「何の話?」

「僕の話だ」

孝くんの話。

それはつまり。

「隠さず話してくれるの?」

「約束する。話せるだけ話す」

「わかった。聞いてあげる」

「ありがとう」

彼は話し出した。



孝くんは未来の時間線から来た人で未来の私から私を止めるように頼まれたらしい。

しかもそれを見さっきまでさっぱり忘れていたらしい。

私に別れようなんて言ったのは既に自分に恋人がいたかららしい。

「黙っててごめん」

頭を下げる孝くん。

そんなの普通なら許せるわけがない。

そう普通なら。

今の状態は普通じゃない。

「ならせめて孝くんが帰るまでは恋人でいさせて」

「そんなのお安い御用だけどいいのか?」

「うん、孝くんが好きな気持ちは変わらないから」

「ありがとう」

孝くんは私になんども謝り感謝した。



ーーーーー遠藤孝の物語ーーーーーー

七草に全てを話した。

彼女はそれでも僕を好きだと言ってくれた。

それが嬉しい。

それから部屋に帰って来た。

「未来の私って何がしたいんだろう?」

「助けてほしんだろう?」

「そこだよ。さっきの話を聞く限りでは孝くんの日本はこの日本を巻き戻して違う選択肢を選んだ結果の日本なんだよね?」

「うん」

「でも、もし私を止めたとしたら巻き戻るルートから外れるんだよね?」

「そうなるな」

「じゃあ今いる孝くんは、そっちの日本の住人はどうなるの?」

「!?」

それは考えていなかった。

というより頭の隅に持って行っていたんだろう。

「存在しない世界の住人も存在しない。

つまり孝くんたちは消えるんだと私は思う」

「僕が・・・・消える?」

「多分咲ちゃんっていう恋人も」

真剣な顔をした七草が考えたくなかった事実を告げる。

「今回の依頼は元々破綻していたんだ。過去を変えて私を助け出したら孝くんたちの日本は消えて、そこに存在を置く人たりも消える。

もし失敗すれば依頼は失敗に終わる。

つまりこれは成功なんてない依頼だったんだよ」

「でも、自分で言うのもなんだけど、そんなの少し考えればすぐバレるよな?」

そう少し考えればわかるはずだ。

でも僕は気づかなかった。

「だからこそが私は孝くんの記憶をあやふやにしたのかも」

「そんなことしたら自分の目的も果たせないんじゃないか?」

「そればかりはその私に聞かないとわからない。

でも一つ言えるよ。孝くんに私は救えない」

「なんで?」

「だってさっきの話で行くと私の恋人は孝くんだから」

そうだった。

あの日死ぬのは七草の恋人。

つまり僕だった。

だから僕には彼女を止められない。

白い空間での七草の言葉。

『あなたが私の恋人に似てるから』

そりゃ似てるだろ。

それが僕で罪を犯させたのも僕なのだから。



「でもさ、よく信じてくれたな。こんな話」

「確かに信じられなかったけど、他でもない孝くんの話だから信じられた」

「七草・・・・・・・」

七草は本当に優しいしそして強い。

こんな子に好かれていることを誇りに思う。

だからこそ彼女に対していい加減にはできない。

「それでいつなの?」

「何が?」

「孝くんが死んじゃうの」

「確かちょうど一ヶ月後。十月十日」

「そっか。じゃあ残り数日楽しも!

どっちみちどちらかが消えちゃうんだから」

無理して笑顔を作っているのは丸わかりだった。

七草だって辛いはずだ。

それでも僕を励まそうと頑張っている。

「そうだな。二人で楽しもう」

「うん!」

僕と七草が一緒に過ごせる時間のカウントダウンが始まった。



ーーーーーー九月二十二日ーーーーーー

ーーーーー????の夢ーーーーー

「そっか、思い出したんだ」

私は遠藤孝と春野七草の話を聞いた。

遠藤孝はあちらの世界の記憶を取り戻した。

運命の日まで残り一ヶ月。

あっちの私はしくじったみたいだけど私はしくじらない。

今日にでも春野七草に接触してゆすりをかけよう。

春野七草さえいなければ後はどうにでもなる。

彼は、遠藤孝は私のものだ。

「それまで待っててねコウちゃん」




ーーーーーー遠藤孝の物語ーーーーーー

だれかの夢を見た気がする。

誰の夢かわからないけど、きっと僕の知ってる人物の夢。

でも今日は考えるのをやめよう。

何せ今日は七草とのデートの日だから。

無駄なことは考えず楽しもう。

僕は家を出る。

そこには既に七草の姿があった。

彼女の銀の髪に似合う真っ白なワンピース。

髪は結ばずストレートだ。

可愛い。

こんな彼女ができるなんて、高校入学時には想像もつかなかった。

といっても本当の彼女は咲ちゃんなんだけど、咲ちゃんも今だけは許してくれるよな?

「遅い」

いきなり怒られた。

その表情(かお)は本気で怒っているようには見えない。

「ごめん」

「許す」

謝ったらあっさり許された。

本当、最初の時とは大違いだ。

聞いた話では彼女は僕をスリの対象にしていたらしい。

「さ、行こ?」

七草が僕の手を引く。

冷たくて柔らかい手をだった。


楽しかった一日が終わろうとしている。

この日本には僕の日本みたいに多くのものがあるわけではない。

それでも楽しかった。

一緒に町を歩き、話しをして、ご飯を食べる。

それだけで十分だった。

「今日が終わっちゃうね」

寂しそうに言う七草。

「そうだな」

「今日が終わるともう一緒に遊びに行くことができなくなるんだね」

「そうだな。でもまだ一緒に暮らせる。

まだ一緒にいられる。

僕はそれで十分かな? 」

「そうだね」

「帰ろう。僕らの家に」

「うん!」

七草は顔を上げ、笑顔で頷いた。



ーーー春野七草の空白の記憶ーーーーー

今日が終わろうとしている。

私は寝付けず居間にいた。

「寝ないのお姉ちゃん?」

私の妹の里穂だった。

「うん、ちょっと寝付けなくて。里穂も?」

「うん、ちょっと心配ごとがあってね」

「何?相談乗るよ?」

「じゃあ遠慮なく」

そう言う里穂の顔は少し怖かった。

一体何を言おうとしているのか?

「実はね、私好きな人がいるの」

「好きな・・・・・人?だれ?」

聞くと里穂はより一層表情が怖くなる。

もう私の妹の里穂には見えない。

それは明らかに異質な存在(もの)

「コウちゃんだよ」

「コウちゃん?」

聞きなれない名前につい聞き返す。

「そう遠藤孝のこと」

今度はわかった。

孝だからコウちゃん。

でもいつの間のそんな仲良くなったのだろう。

「私はねコウちゃんのことずっと知ってたの」

「ずっと?」

「そう。だって私とコウちゃんは幼馴染みだから」

「えっ?」

幼馴染み?

そんなわけない。

私たちが孝くんと出会ったのが五ヶ月前。

幼馴染みになれるわけがない。

「お姉ちゃんさっき私を異質な存在(もの)だと思ったでしょ?」

驚いた。

彼女は私の思考を読んでいるのか、そんなことを言う。

「正解だよ。私は人間であって人間ではない。春野里穂であって春野里穂でないそういう存在(もの)

「じゃあ、あなたは何なの?」

里穂の姿をした存在(もの)が嗤う。

「天使だよ」

「てん・・・し?」

「そう。私は天使。人間を監視し導く存在(もの)。そして私はどこにでもいるの」

「どういうこと?」

「この日本における私は春野里穂。

そしてコウちゃんにとっての私は千歳美亜

ちなみに私同士は記憶の共有ができる」

千歳美亜。

確か孝くんの話にも出てきた孝くんの幼馴染み。

幼馴染み・・・・・?

「気づいたみたいだね。それがお姉ちゃんからの質問の答えだよ」

「それで何のために私に近ずいてきたの?」

「簡単だよ。お姉ちゃんも知ってるでしょ?コウちゃんが死んじゃうの」

「!?」

「だから私がコウちゃんを救う力をあげようかと思ってね」

やっぱりそれか。

今の私に人の命を救う術はない。

天使にもらったのなら納得できる。

「でも天使なんて本当なの?」

「今それを疑うんだ。本当だよ。証拠を見せてあげる」

そう言うと壊れたラジオを持ってきた。

壊れたというのは寿命でではなく物理的に壊れたという意味だ。

それに手をかざすとあっと言う間に新品同然になっていた。

「ほらね?」

私に笑顔を見せる。

仮面をつけたような笑顔だ。

「それで私に孝くんの命を救う力を渡すの?」

「そうだね。私はあくまで天使だから人間一人を過剰贔屓できないから」

「だから同じ人間の私に救えと?」

「本当にお姉ちゃんは頭がいいね。その通りだよ。さ、手を出して」

躊躇ってしまう。

この手を伸ばせば私は消える運命だ。

「コウちゃんを救いたくないの?」

その言葉が私の迷いを断ち切った。

私にはその言葉だけで十分だ。

孝くんのためなら死ねる。

私は手を伸ばす。

「お姉ちゃんならわかってくれると思ったよ」

嬉しそうに言いながら私の手にその手を重ねる。

その時何が私に流れてきた。

「終わったよ」

天使が告げる。

「もう聞きたいことはない?」

「ひとつだけ」

「ん?」

「孝くんの恋人って八谷咲(はちやさき)って人だよね?」

「ああ、いいこと教えてあげる。あれはねあなたの代替物。あなたが消えた後の代わりの子」

「代替物?」

「そう、結局どこの時間線でもあなたの存在があなたの魂が選ばれる。でもあっちの私はコウちゃんを諦めた。諦めて八谷咲を認めた。だからこそ私は諦めない。絶対にコウちゃんを手に入れる」

「あなたの思い通りにはされたくないけど、そうしないと孝くんが死んじゃう」

「わかってるならいいの。それとここでの話はコウちゃんには内緒ね。未来のあなたの記憶にこの時の記憶は残ってないからコウちゃんもこの時を知らないんだよ」

ま、私が消したんだけどね。

と嗤う。

「じゃあよろしくね」

そう言って天使は里穂の部屋に帰っていった。

私はさらに寝付けなくなった。




ーーーーーー十月九日ーーーーーーー

ーーーー遠藤孝最後の平和の物語ーー

明日がついに運命の日。

結局僕は迷っていた。

この時間線と僕の時間線

春野七草と八谷咲

どっちを救ってもそこに正解はない。

七草は午前十一時現在でまだ寝ていた。

僕はその寝顔を見つめながら思考を続けた。



ーーーー春野里穂の覚悟の記憶ーーーー

午後十一時。私の心は既に決まっている。

私は孝くんを救う。

それで例ええ私が消えたとしても。

孝くんはもう寝てしまった。

これで孝くんの寝顔を見るのも最後になるのかな?

私は悔いが残らないように孝くんの寝顔を見続けた。




ーーーーーー十月十日ーーーーーーーー

ーーー終わりの記憶(春野七草の記憶)ーーー

空のよく曇った日だった。

今日この日孝くんが死ぬ。

それは絶対に変えられない事実。

天使でさえも手をあげた運命。

何せ孝くん自身が死因を知らないのだから。

だから止めようがない。

後手に回って対策するしか方法がない。

私はその時が来るのをただ待っていた。


午後二時ついにその時。

孝くんが事故にあった。

私は急いで駆けつけたが不思議なことに野次馬がいない。

そして彼の変わり果てた姿に絶句する。

お腹のあたりが潰れていた。

「ななくさ」

掠れた声で孝くんが言う

「ななくさ、ぼくはきみがすきだ。でもさきちゃんもすきでどちらもえらべなかった」

そこで一度咳き込む。

口から血を吐いた。

「もう喋らないで!孝くん!」

私は泣き叫んだ。

「私は孝くんを助けるって決めたんだから!

だから絶対に死なせない」

「ごめん。ぼくはいけんできない。どちらもえらべないから」

「だから私は助ける。例え隔絶されたとしても!」

「そう、だからおとなしく助けられて」

隣から声がする。

聞き間違えるはずのない。

妹の、天使声。

隣には里穂の姿。

しかし孝くんは

「みあ?」

と言い残し息を引き取った。

その目は驚愕に固まり、里穂を見ていた。

「さあ、早くコウちゃんを」

「・・・・・・・うん」

私は受け取った力を使った。

「お疲れ様」

天使が言う。

「もう大丈夫。コウちゃんは生き返った」

「よかった。ーーーきゃ!」

安堵したのも束の間

私の周りから黒くてドロッとしたものが溢れた。

「なにこれ!?」

怖くて天使を見た。

天使は冷静に答える。

「それは罪。世界に対して反逆したものの末路。これからお姉ちゃんは誰にも知られず、誰にもどこにも繋がらない。そんな存在になる」

そう話していている内に黒いドロは私に絡みつき沈める。

「さようなら」

天使は冷たく言い放つ。

「孝くん!私待ってるから!きっと助けてくれるって信じてるから!」

それまで私があなたを守るから。

その言葉は言うことができなかった。




ーーー運命の物語(遠藤孝の物語)ーーーー

あの日から二年の時が経った。

時間は巻き戻らない。

僕はあの家を出て一人で暮らしていた。

静香さんも里穂ちゃんも七草を覚えていない。

あれから妙に里穂ちゃんが僕に懐いてくる。

ついには一緒に寝たいとも言いだしたので僕は家を出た。

あの時里穂ちゃんが美亜に見えたのはなんでなのか?

それが気になるけれど、今は考えたくない。

何もしたくない。

ただただ僕はこの二年を無駄に過ごしてきた。

僕は運命に負け、屈服した。

元の世界なんて知らない。

もう帰る気力もない。

だったらこのまま死んでしまおう。

「ダメだよ。孝くんはまだ負けてない。

七草さんを助けられる」

誰だ?

聞いたことがある。

とても懐かしい声。

「だから手を伸ばして。一緒に変えよう。

一緒に戦おう。私はそんな孝くんが大好きだから」

手を伸ばす?

面倒だった。

なのに僕はその声に言葉を返した。

二年ぶりの僕の言葉を。

「きみはだれだ?」

「私?私は八谷咲。きみの最愛の彼女だよ」

「八谷咲・・・・・」

懐かしい。

僕の好きな人。

「まさか忘れてないよね!?まだ一ヶ月しか経ってないのに!?」

忘れるはずがない。

もう二度と忘れないと誓ったから。

「七草を助けたい。手伝ってくれ。

ーーーーーー咲ちゃん!」

僕は手を伸ばした。

手が何かに触れて引き上げられる。

途中眩しくて目を瞑る。

浮遊感がなくなって目を開くとそこには咲ちゃんが、最愛の彼女が涙を流しながら笑っていた。

「おかえりなさい」

僕は僕の日本に帰って来た。

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