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「あの、叔父さん」



 それから数日が経ったある日の事。僕は学校が休みの日曜日を利用してもう一度事務所へ足を運んでいた。


 事務室に上がると、そこには高々と並べられた書類とにらめっこする叔父さんの姿が目に飛び込む。



「おや?」



 叔父さんは僕に気が付くと、書類から顔を上げて眼鏡を外しながら此方に視線を向ける。



「ミナト君。どうしたんです?」


「えっと、ちょっと叔父さんに用事があって」


「僕に? それは珍しいですね、貴方の方から訪ねて来るなんて。お入りなさい、お茶を淹れてあげよう」


「ありがとうございます」



 クスリと笑みをもらす叔父さんに促されるまま事務室の中に足を踏み入れ、破れかぶれの革張りのソファーに腰を下ろした。


 暫くして、叔父さんがティーカップ二つを手に此方へと戻ってくる。その一つを僕に差し出しながら、彼も向かいのソファーに腰を落ち着けた。



「それで、僕に用事とは?」



 にこやかにそう問い掛けてくる叔父さんを上目に見ながら、実は……と切り出した。



「今日時間があったらでいいんですけど、午後から一緒に行ってほしいとこがあって」


「僕にですか? どこへです」


「あの、この間来た鈴音さんって人から歌舞伎舞踊のお誘いチケットもらったんです。鈴音さんが女形で出るって言うから。せっかくだから行こうと思ったんですけど、僕そんな所行くの初めてで。母さんも今日は都合が悪いって言うから叔父さん一緒に行ってくれないかなって思って」



 もらった公演チケットを叔父さんに手渡しながらダメですか? と首を傾げて見せる。


 叔父さんは暫くチケットを眺めたままいると、チラリと壁に掛けられた時計を見やる。



「う~んそうですねぇ。実は今日中に片付けないといけない仕事がありまして、ちょっと時間的に苦しいかも知れないですね」



 申し訳なさそうにそう告げてくる叔父さんに、僕も残念気に目を伏せた。



「仕事なら仕方がないですよね。すみませんお忙しいし所お邪魔して」


「いいえ。でも貴方が僕にお願い、なんて珍しい事です。……わかりました、すぐに準備しますから待っていなさい」



 そう言ってスクリと立ち上がった叔父さんを僕は驚きの目で見上げる。



「えっ、けど仕事が……」


「可愛い甥っ子の頼みですから。たまにはいいでしょう」



 ね、と微笑む叔父さんに僕も「ありがとう」と満面の笑みを返した。











 会場は既に満員御礼で、何百と並ぶ席は全て埋まっている様だった。


 僕達の席はその会場の二階のど真ん中、スタンドが凹凸に付き出すような形でちょうど上から舞台を目前に見下ろせる場所にあった。つまりVIP席って事。



「すご……女性客ばかりだ」



 二階から階下の席を見下ろすと、並ぶ椅子に座っているのは殆ど女性ばかり。歌舞伎って言ったら年配の人がいっぱいのイメージがあったから少し面食らった。



「神宮家……つまり鈴音君の家系は歌舞伎の女形とはまた違っていて、舞を主としている流派なんです。家系的にも美形揃いですし。当主であられる雪都さんも齢75にしては人気のある現役女形ですが、長男の鈴音君次男の秋都君三男の海都君は神宮の女形三兄弟と呼ばれ特に人気の高い御兄弟なんですよ。僕も何度か一緒に仕事をさせて頂きましたが……女性受けが良すぎで結構色んな意味で疲れましたね毎回」


「へぇ~」



 だから女性客が多いんだ。確かに鈴音さんは美形だったな、一見怖い人に見えるけど。


 そう話している内に公演開始のアナウンスが流れ始め、明々とついていた明かりも少しずつ暗くなっていく。 横笛の音と共に和楽器の協奏が流れ始め、それに続くように舞台の中心にスポットライトの明かりが集まった。



 薄暗い会場内に女性の黄色い悲鳴が響く。



「な、なんかライヴ会場みたいですね」



 悲鳴に少しビビりながらボソリと叔父さんに耳打ちすると、叔父さんも少し苦笑いを浮かべながら「まぁ仕方がないでしょう」と言葉を返した。


 すると、ふと舞台の両の袖口から二人の人影が姿を表す。


 黒く艶めく長い髪。一人は綺麗な紅色の着物を身に付け、もう一人は可愛らしい淡い桃色の着物を身に付けていた。



「あれが神宮三兄弟の二番目と三番目。桃色が兄の秋都君で赤が弟の海都君ですよ」



 こそりと叔父さんが耳打ちをしてくる。



「はぁ~……」



 僕はそんな叔父さんの耳打ちさえ聞こえないと言った風にその二人を食い入る様に見る。


 白粉を塗り、赤い紅を唇にひいたただそれだけの化粧なのに、本当に男なのかと疑いたくなる程その二人は綺麗だった。紅の着物の方は妖艶な美女。桃色の着物の方は可愛らしい少女といった感じ。 きっと女形と言う言葉の意味を知らなかったら男性だとは気付かずにいたかも知れない。


 すごい、すごい。こんな芸能の世界があったなんて……。


 感動で目尻が濡れる気配を感じながらも、僕は視線そらさずその演目を見続けた。


 その二人の演目が終わった後高らかな拍手喝采の中、次に姿を現したのは先程の二人より更に上を行く程綺麗な美女だった。綺麗な金糸の長い髪に紫色の藤を模した簪をさし、それと応対するような薄紫の着物。そしてしなやかで線の細い身体つきとは裏腹にスっと伸びた高長身。


「ほら、あれが神宮家一の美女女形の藤葵……鈴音君です」


「鈴音さん!?」



 叔父さんがこそりとしてきた耳打ちに僕は叫びに近い大声を発していた。



「いつ見ても彼の女形は美しい。流石友近氏の唯一の弟子なだけあります」



 驚きに目を皿の様に見開き、口をパクパクとしている僕の横で叔父さんが感心した様に頷いた。

 妖艶な笑みを会場に向けて舞い踊る姿はただ綺麗と一言だけでは形容し難い程のもの。でもそれ以外の言葉がどうしても見つからず、僕はちょっとした歯痒い気持ちを感じながらその演目を見続けた。


 二演目が終わると、10分休憩が入る。僕はちろりと腕時計に目配せすると、パンフレットを見ていた叔父さんに声をかける。



「僕ちょっとトイレに言って来ますね」


「一人で大丈夫ですか?」



 少しからかい気味にそう訊ねてくる叔父さんに、僕はむぅっと頬を膨らませた。



「子供扱いしないで下さい。大丈夫に決まってます!」



 プンッとそっぽを向いてクスクスと笑う叔父さんを背に会場から出る。そのまま長い廊下を歩く。


 途中通りがかったトイレには入らず、僕はそのまま歩き続け目的地であるとある部屋に辿り着くと、白いドアをトントンとノックした。


 はい、と中から返事が返って来るのを待ってからドアノブを回し扉を開いた。



「準備はどうですか?」



 中にいたのは先程の鈴音さん達と似たように着物を見にまとった少女。彼も女形だから少女と言うのは少し変な感じだけど。


 見覚えある深緑色の着物。そして黒髪のウィッグをつけて、顔には白粉と赤い紅。どこからどう見ても可憐な美少女にしか見えないその人物は、紛れもなく僕のよく知っている人物。



「すごい……トナミさんが女形やってたって本当だったんですね」



 鏡越しにその美少女────トナミさんを見ながら言う。するとトナミさんは「当たり前だろ」と胸を張った。



「こう見えても2~3年前は結構有名だったんだぜ俺だって。なんたって天才女形神宮鈴音の一番弟子なんだから!」



 自慢気に語る彼にクスリと笑い声をもらしながらうんうんと相槌を返す。



「確かに神宮三兄弟……でしたっけ? 彼らの舞いはすごかった。僕感動して泣きそうになりましたもん」


「だろ!? えっへへやっぱ鈴あんちゃんはすごいよなぁ~」



 まるで自分の事のように喜ぶ彼が微笑ましい。



「でも、本当に大丈夫ですかね?」


「何が?」


「この作戦。トナミさんが雛瑠璃をバックに舞を舞うって。それを今回のソロデビューの売りにして叔父さん納得させるんだって……と言うか本当にいいんですか? その、雛瑠璃を歌うのが僕で……」


「今更何言ってんだよ。貴文だって納得したじゃんか。レコーディングだって終わったし、CDだってブレスかけてんだし。いい加減に腹括れよな」


「けどトナミさんのソロデビューなのに僕が歌うなんて……」


「いーの。人には得意不得意があるんだよ! それに俺、失敗する気ないし?」



 どこから来るんだかそんな自信。


 はぁ、もういっか。


「じゃあ僕客席に戻りますから。頑張って下さいね」


「おう!」


「あ、そうだ。あのさトナミさん」


「んぁ?」



 部屋を出ようとした時ふと他の用件も思い出してトナミさんを振り返る。



「僕もお願いがあるんです。いいですか?」


「お願い? 何?」


「あの……後で神宮三兄弟と写真とりたいんだけどダメかな?」


「写真~!?」


「だ、だってすっごく綺麗だったんだ。鈴音さんとかその弟さんとか! だから、ダメ……かな?」



 両手を合わせてお願いのポーズをとってみる。トナミさんはじとーっと此方を見ていたけど最後は仕方なさそうに頷いて「わかった」と言ってくれた。



「あんちゃん達に言っといてやるよ」


「ありがとう! じゃあ頑張って」



 お互い手を振り合った後僕は足早に客席へと戻った。


「あいつ俺が現役アイドルだって事完璧忘れてるよなー。……ま、いっか」


 


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