例えばの話
可能性の未来
先には色があった。
谷にかかる大きく透き通った綺麗な橋。
赤、オレンジ、青、みどり、紫、黄色……。
昔観たことがあるそれは、今までより近く、大きい。まるで奇跡を見ているようだ。青い空の下でかかる虹は何かを祝福してるように輝きを放つ。
いつしか見た南極のオーロラにも、砂漠に広がるオアシスにも負けない光景、谷と谷を結ぶそれは世界の広さと世界の美しさ、世界の尊さを語ってるかのようだ。
ある友からの貰い物である一眼レフの写真に収め、テントまで戻るとキャンパスを広げる。画材を敷いてあるシートの上に並べ、折りたたみ式の背もたれ椅子を設置する。前に訪れた芸術の都で購入した木製パレットの上に、虹と同じ絵の具を一つ一つ並べる。
世界の美しさをキャンパスに表現する。
それは、彼女にとって幸せなひと時でもある。
筆を走らせ、色を真っ白なキャンパスに付けていく。そうやって真っ白な世界は、彼女の見た美しい世界に変わって行くのだ。
彼女はそうして世界の景色を描き、いつしか世に広まった。
ある者は彼女を旅人の絵描きと呼ぶ。
ある者は彼女を世界の諦観者と呼ぶ。
ある者は彼女を創造者と呼ぶ。
彼女がキャンパスに描いた世界は旅の数だけ存在する。彼女はまだ若く、しかし回った世界はこの数年で数え知れない。
「ん〜、土台はこんなものかな」
筆を水の入った小さなバケツに入れ、軽く振りながら色を落とす。
軽く伸びをしてから椅子から立ち上がり、麦藁帽子と無地のエプロンを外す。
テントまで戻り、昨日調達した具材を幾つか取り出し直ぐに調理を始める。
手慣れた手つきで野菜や肉を切り、お米を炊き始める。時折り谷の方を見ながら、彼女は夕飯の支度に勤しむ。
「よっと……」
「あ、お帰り秀久」
夕日が暮れる頃、谷の方から青年が登ってくる。
男性は下げていたロープを回収すると、頭につけていたライトを外しながら歩み寄ってきた妻からタオルを受け取る。
「サンキュ、やっぱ噂通りだった。ここがかつて歴史に記録されてない文明が栄えた街だ」
「これは……金貨ですね」
「ああ、恐らくロンドンに金貨が流通し始めた頃だな。形もかなり似ているし調べてみる必要がありそうだ」
「……久しぶりですね、日本」
帰国するという意味だと彼女は即座に理解した。
「怒るかな……みんな」
「……」
秀久は眉を寄せながら笑う。
あの日、みんなには黙って世界へ出て行った秀久。しかし彼女だけには見抜かれており、共に歩むことを決めた。
それは目的があってこそ成り立ち、男は世界を知るため、女は世界を描くためという果てしなく長い旅路なのだった。だが後悔はない、2人だからこそ寂しさも無く、2人だからこそ生きる意味もある。
危険な国や村も数え切れない。
時には女が誘拐されたことさえあった。だが、掲げた目的が2人を繋いでいる故に、2人は今も同じ歩幅で歩んでいる。
「にゃ〜」
+一匹。
スズの抜けたような鳴き声に2人は声を出して笑った。
「お、今日はカレーか」
「うん、ご飯も炊きあがるから夕ご飯にしましょう」
「ああ、お腹ペコペコだ」
「ふふ、ねえ秀久」
「ん?」
夕陽に照らされながら立っている妻。
太陽のような黄金色の長い髪が風に乗って靡く。
振り向いたその顔も、こっちに向けるその微笑みも、何もかもが美しかった。
そういえば前訪れた国で言われたことがある。
『あんたの奥さん、宝石みたいに綺麗だな』
今なら、その意味がわかるかも知れない。
艶やかな小さな唇が動き、にっこりと微笑んだ。
「愛してる」
秀久はみなもに微笑み返す。
「俺もだ」
彼らは今、この先も共に歩むのだろう。
風がそっと頬を撫でた。